“批評”から“考察”の時代、書き手に求められるものとは? 木俣冬×成馬零一特別対談

“批評”から“考察”の時代に求められるもの

 NHK連続テレビ小説こと“朝ドラ”。民放各局の連続ドラマ、さらに近年は日本国内・海外問わず配信サービス限定のオリジナルドラマを無数に観ることができる時代になっている中で、絶対王者として君臨し続けているのが朝ドラだ。毎朝必ずと言っていいほど、SNSではトレンド入りし、多くの視聴者が作品について論じ合う、こんなコンテンツは世界を見回してもほかにない。木俣冬著『ネットと朝ドラ』は、そんな国民的コンテンツの2017年から2022年までを見渡す一冊となっている。ドラマ評論家の成馬零一氏に本書を読んで感じた朝ドラの変化、ドラマ評論について、木俣氏と語り合ってもらった。

ひとつの区切りだった『ひよっこ』

成馬零一(以下、成馬):『ネットと朝ドラ』では、“朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説を「1.0」「2.0」「3.0」に分類して、2017年の『ひよっこ』からを「3.0」に設定しています。SNSと朝ドラの関係性が最初に変わったのは、2010年の『ゲゲゲの女房』で、2013年の『あまちゃん』の爆発もSNSの影響が多分にありました。僕自身も「2017年」はひとつの区切りがあった年だったと捉えているのですが、2.0と3.0の違いが、なかなか言語化できていなかったので、その点からお話できたら面白いのかなと。

木俣冬(以下、木俣):「ネットと朝ドラ」というキーワードで本を書きませんかと提案を受けて、どうしようかと考えたときに、誰もが楽しめる現代的なコンテンツへと変化していったひとつの区切りが2017年の『ひよっこ』だったのかなと。2017年に出版した『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)では、成馬さんがおっしゃった『ゲゲゲの女房』『あまちゃん』の変化から『ひよっこ』までを書きました。この頃は、昭和の遺物的な認識のあった朝ドラが、ドラマ好きな方々やカルチャーに興味がある方によって価値の再発見をされはじめたというイメージでした。そこからさらにもう一段回、朝ドラを楽しむ視聴者の層が広がっていったのが2017年であり、その肌触りのようなものを「3.0」として書き記していきたいと思いました。

成馬:振り返ると、『あまちゃん』の頃は朝ドラが“サブカル的消費”をされていたように思います。2011年~2013年頃は、朝ドラ自体が朝ドラを壊そうとしていて、渡辺あやさんや宮藤官九郎さんのような、個性の強い脚本家が抜擢されていた。その結果、揺らぎや混乱が生じて朝ドラ周辺が活性化した。だからこそ『あまちゃん』の時は、朝ドラに興味がない文化人や、普段ドラマを観ないような人も、一言、二言、なにか言おうという空気があった。あの時の空気は、アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』が盛り上がった時と似た雰囲気で、今振り返ると勘違いでしたが、朝ドラに限らずテレビドラマという表現自体が、語るべき価値のあるカルチャーとして認知されていったという手応えがありました。そこからさらに空気が変わったと感じたのが『ひよっこ』が放送された2017年です。民放のドラマでも、坂元裕二さんの『カルテット』(TBS系)、遊川和彦さんの『過保護のカホコ』(日本テレビ系)、バカリズムさんの『架空OL日記』(読売テレビ)といった作品にもその気配は現れていて、一言でいうと作品が優しくなった。2017年以前は、露悪的で過激なものが許された時代で、その到達点が『あまちゃん』であり『半沢直樹』(TBS系)だった。でも、次第にネガティブな表現を視聴者が敬遠するようになってきて、その結果、作り手側も「誰も傷つかない優しい世界」を戦略的に描くように変わっていった。一見、楽しくて優しい世界だけど、その裏側には何かがうごめいているような感覚。それはSNSの炎上対策という側面もあったように思います。『ネットと朝ドラ』にも収録されている岡田惠和さんのインタビューを読んで、改めて感じました。

木俣:『ひよっこ』は「誰も傷つかない優しい世界」を描いた作品でしたね。ただ、岡田さんがインタビューでも語っていたように、光と影がそこには確かにありました。また、2020年代のドラマは多様性や伏線・考察要素などが多く求められるようになった印象ですが、振り返ってみると『ひよっこ』には今の観客が求める要素も随所に盛り込まれているんですよね。主人公のみね子(有村架純)は、ただかわいい頑張るヒロインというわけではなく、毒も吐くし、なにかを成し遂げる人物でもない。だからこそ、視聴者の多くが感情移入できる等身大の存在感があった。脇役にも魅力的な人物がたくさんいて、視聴者は誰が“推し”か言い合えるような要素も提示されていた。そして、記憶をなくしたお父さんというミステリー的な要素や、伏線回収もありました。

成馬:以前、岡田さんにインタビューをした際に「SNSはやりたくない」と話されていたのですが、本書に収録されたインタビューを読むと「SNSを見るようになった」と話されていて興味深かったです。その影響なのか『ひよっこ』には、SNS上の朝ドラに対する反応を見て書いているような表現が見え隠れしました。

木俣:『あまちゃん』の頃は作り手が発信したものを、視聴者が受け取って感想を書くというところで完結していたものが、『ひよっこ』の頃から作り手がSNSを意識するような感じが出てきた。「皆さんが好きなものを提示するので、一緒に楽しみましょう」というか。実際、その後の『わろてんか』『なつぞら』は、SNSをどう効果的に使って朝ドラを盛り上げていくかをプロデューサーも考えているように感じました。

成馬:それが“いいこと”なのかどうかは難しいところですよね。

木俣:そこですよね。“悪いこと”ではないと思いますが、行き過ぎてしまう方向への懸念はずっと感じています。

成馬:僕個人のSNSとの付き合い方としては、作品を観て自分が感じたことを一番に考えたくて、その後、Twitterで呟いたり、みんなの感想を見るという順番が理想なんですよね。でも、2017年の『カルテット』のあたりから、リアルタイムで「みんなで観ている」という意識がすごく高まってしまい、自分の意見が出来上がる前に「みんなの感想」がSNS上に溢れ、可視化されてしまうようになってしまった。その「みんなの感想」に自分の意見が呑み込まれてしまうことに対して気をつけながら、普段は記事を書いているのですが「ドラマ評論家」の肩書で活動をしている立場としては、すごく窮屈に感じています。

木俣:「みんなで観ている」「みんなで作っている」は、素敵なことだとは思うんです。評論家やライターの肩書を持つ人だけではなく、いろいろな人たちが自由に分析をして、名台詞を記録して、実況もして、誰もがドラマ語りができるようになった。NHKも民放各局もそれが宣伝になると考えはじめ、評論家に良く書いてもらうよりも、純粋に楽しんでいる方々の声を意識したほうが数字になると理解していく。そこから宣伝方法はもちろん、台本作りでもいかに“バズらせるか”も要素として組み込まれていく。坂元裕二さんは頭のいい方で、ネットの声を非常に巧みに取り込みながら、それをマーケティングではなくクリエイティブなものにできる作家ですよね。2021年の『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)、2022年の『初恋の悪魔』(日本テレビ系)を観ていると、まだまだ世界の変化に柔軟に対応できそうだと感じました。

ドラマ評論の型を作った2つの局面

成馬:話が少し変わってしまうのですが、ドラマをサブカル的に観る楽しさを覚えたのが堤幸彦さんがチーフ演出を務めた『ケイゾク』(TBS系)や『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)、『トリック』(テレビ朝日系)といった1999年~2001年頃の作品だったんです。このときの原体験があるからこそ、ドラマについて語る/書くことができるのかなと気づいたんですよ。

木俣:たしかに、本広克行監督の『踊る大捜査線』(フジテレビ系)からはじまり、『ケイゾク』などの堤幸彦さんの一連の作品がドラマライターを生み出したように思いますね。私自身もそのひとりです。何冊もムック本を編集したりライターやったりしました。

成馬:2021年に『テレビドラマクロニクル1990→2020』(PLANETS)という書籍の中で堤幸彦さんの作品について論評したのですが、インタビューや関連書籍に、木俣さんが関わったものが多くて、たくさん引用させていただきました。木俣さんはドラマ評論の型を確実に作った人だと僕は思っていて……。

木俣:いえいえ、私は当時、“評論”ではなく、作り手の考えをいかに伝えるかという思いのみでライターをやっていました。どうやってこの作品を作ったのか、あらゆる角度から取材して、裏話をいかに世に出せるかと。このドラマは誰のどんな思いで作られていたのか、その“記憶”を残したかったんです。それが作品の構造を明らかにして、いわゆる評論になったのかなという気もしますが。

成馬:木俣さんはドラマ評論の重要な局面に2度関わっていると思うんです。2000年代に堤幸彦さんたちの作った尖鋭的なドラマが視聴率とは違う形で注目されるようになっていった時に、インタビューなどを通してクリエイターの思いを雑誌や書籍で視聴者に伝えた。そして、2010年代の朝ドラの毎日レビュー。これはWeb媒体におけるドラマ評の基本フォーマットを作ったと思います。朝ドラに限らずテレビドラマは、雑誌では掲載のタイミングがどうしてもズレてしまうので扱いが難しかったのですが、ネットで放送直後に書くことで即時性のあるレビューを可能にした。今は地上波のドラマの多くが放送翌日にはレビューが出るようになっていて、その先駆けとなったのが、木俣さんの朝ドラレビューだったと思います。

木俣:おそれおおいです。毎日レビューをやり始めたのは2015年の『まれ』でした。それこそ、『あまちゃん』で毎日やっていたらよかったなあと思うのですが、2013年の頃はまだドラマの記事を週イチで書く事自体もどうなの、それはプロの仕事といえるの?という状況だったんですよね。毎日ブログを書いている方もいましたが、本当に一部の方に向けてという感じで。そんな状況の中で、過去の関係者などへの取材を基にしたややマニアックな部分を週イチレビューで発信していたら、当時は珍しかったこともあり、それを楽しんでくれる方がいて。それがさらに広がり毎日レビューにも繋がっていたという感じでした。

成馬:あらためて思うのですが、毎日レビューを書くって異常なことじゃないですか(笑)。

木俣:異常ですよ(笑)。

成馬:それを何年も続けているのは本当に頭が下がります。

木俣:ここまでやってやめたら悔しいじゃんと思って、8年になってしまいました(笑)。

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