城定秀夫作品にハズれなし 青春も性春も、あらゆる題材を手際よく料理する手腕

城定秀夫、あらゆる題材を料理する手腕

 今、日本映画で最も多作かつ、〈当たり〉の多い監督といえば城定秀夫をおいて他にいない。青春も性春も、あらゆる題材を手際よく料理し、鮮やかに盛り付けてみせる。今年は6本の新作が公開されるというから、その手腕を目にする機会が飛躍的に増えるだろう。

 実際、現在公開中の城定映画――『愛なのに』『女子高生に殺されたい』は、いずれもハズレなしの佳作揃いで、筆者は丸の内TOEIで『愛なのに』と、城定が脚本を提供した『猫は逃げた』を続けて観た後、各1200円也のパンフレットも直ちに買い求めてしまった。シナリオが共に収録されているので、映画を観終わった後も、映画の世界にまだ浸っていたかったからだ。

 『愛なのに』は、古書店の店主・多田(瀬戸康史)に一方的に思いを寄せる女子高生・岬(河合優実)に始まり、店主がかつて思いを寄せていたバイト仲間で間もなく結婚する一花(さとうほなみ)との不倫、さらにその夫・亮介(中島歩)はウエディングプランナーの美樹(向里祐香)と関係を持っていたりと、邦画的なドロドロジメジメの世界になるかと思いきや、実にカラッとした心地よい描写で、クスクスとした笑いが劇場内に絶えない。こちらは脚本が『愛がなんだ』の今泉力哉がメインとなって書いただけあって、城定演出が理想的な形で加算されている。

『愛なのに』(c)2021「愛なのに」フィルムパートナーズ

 もう一本の『女子高生に殺されたい』は、高2の頃から「可愛い女の子に殺されたい」という願望を持つようになった春人(田中圭)が、やがて〈女子高生に殺されたい〉と思うようになり、それを実行するために、ある少女が在籍する高校へ赴任する。春人はさらに「絶対条件、それは完全犯罪であること。僕の欲望のために彼女が罪を償うなんてありえない」と宣う。つまり、ある女子高生に殺されたいが、彼女が罪に問われるのは良しとしないと言っているわけだ。優しいんだかワガママなんだかわからない願望を抱いている奴なのだが、こんな荒唐無稽な男の欲望を優先したご都合主義極まりないサイテーな男の話を、脚本も担った城定秀夫は、まんまと成立させてしまう。

『女子高生に殺されたい』(c)2022日活

 古屋兎丸の原作にミステリー要素を加味させて、〈男は誰に殺されたいのか?〉が徐々に解き明かされていく作劇となり、タイトルが上手くミスリードする形になっている。そしてクライマックスには文化祭という華々しい舞台が加わっているが、こうしたアレンジは時として蛇足となるが、映画的な描写を熟知する監督ゆえに、原作を壊すのではなく、映画へと置き換える作業が絶妙の配分で行われている。もっとも、体育館の舞台の天井裏が重要な場所となるのは、同じ古屋原作である『帝一の國』に似た趣向があったことを思えば、新鮮味に欠けるきらいはあるものの、その語り口の巧みさには舌を巻く。

〈女子高生×おじさん〉の映画たち

『女子高生に殺されたい』(c)2022日活

 『愛なのに』も『女子高生に殺されたい』も、共に〈女子高生×おじさん〉を描いている。前者は女子高生がおじさんに一方的に思いを寄せ、後者はおじさんが女子高生に変態的な願望を抱くようになる。まあ、おじさんと言っても、瀬戸康史や田中圭なのだが、ここで俳優の固有名詞を出すと、その顔が先に浮かんでしまうので、以下彼らを〈おじさん〉と呼ぶ。近年は他にも、小松菜奈×大泉洋で映画化された『恋は雨上がりのように』も同様の構造になっていたが、これらの作品では年上男性への仄かな恋愛感情は描いても、逆の立場からの感情は倫理感を伴ったものとして描かれている。これが漫画原作の「キラキラ青春映画」になると、『PとJK』や、『先生! 、、、好きになってもいいですか?』等に見られるように、結婚や卒業という行程を経ることで合法性を持たせた上で〈禁断の恋〉を成立させていたが。

 スタンリー・キューブリックの『ロリータ』まで遡らなくとも、援助交際が社会現象化した90年代後半になると、援交を主題とした原田眞人監督『バウンス koGALS』や、庵野秀明監督『ラブ&ポップ』が登場したが、もはや〈女子高生×おじさん〉の恋愛などは幻想にすぎず、時間で関係性を買うのだというドライな描写に徹していた。ところが、両作ともにおじさんが女子高生を説教する場面が挿入されている点が引っかかった。これが何とも白々しく、作者の言葉を劇中の役所広司や浅野忠信に仮託して語る構造が透けて見えてしまい、映画の完成度とは別に、おじさん目線の偉そうな言葉が空虚に響いた。

 『恋は雨上がりのように』『愛なのに』では、純愛とも説教とも無縁に、おじさんの側は受け身の姿勢――というより、娘のような世代の女子高生を見守る存在となって、やがて彼女が自分のもとから離れていくであろうことを予感させて映画が閉じられる。

『女子高生に殺されたい』(c)2022日活

 一方で、そうした倫理的な正しさと、虚構の中の描写が紐付けられることによって、物語構造が単純化し、キャラクターの動きが慎重になってしまわないかと思いそうになるが、この2作は、〈女子高生×おじさん〉の関係を繊細に描くことで、安易な恋愛描写へと流さない。脚本と演出が周到に計算され、目に見えない感情を描くことに力点が置かれるため、深い余韻を残して映画館を後にすることになる。

 『愛なのに』では、女子高生に告白されたおじさんの〈性〉にまつわる意外な展開が待っているが、彼にとって恋愛感情、あるいは恋愛残骸感情ともいうべき思いを抱く相手は別におり、そこにもうひとつの物語が広がっていく作りになっている。そして、さらにそこからまた別の物語が広がっていくだけに、この重層的な物語世界の中では、女子高生の古書店主への仄かな恋愛感情は、むしろ微笑ましさを増し、おじさんをアセクシュアルな存在にすることなく描くことを可能にしている。とはいえ、このおじさんは、女子高生の同級生男子や両親から関係を詰問されてしまうのだが。

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