『古見さんは、コミュ症です。』に込められた生きていく上での希望 演出・瑠東東一郎に聞く

『古見さん』演出・瑠東東一郎インタビュー

 NHKのよるドラ枠(月曜22時45分~)で放送されている『古見さんは、コミュ症です。』(以下、『古見さん』)は、異色の学園ドラマだ。

 『週刊少年サンデー』(小学館)でオダトモヒトが連載している同名漫画をドラマ化した本作はコミュ症(コミュニケーションが苦手な状態を指した原作オリジナルの略称)の若者たちが織りなす青春群像劇。脚本は連続テレビ小説『スカーレット』(NHK)等で知られる水橋文美江が担当している。

 フツー(だと本人は思っている)の高校生・只野仁人(増田貴久)と学園のマドンナ的存在だが人と話すのが苦手な少女・古見硝子(池田エライザ)の2人を筆頭に、劇中には“コミュ症”の若者が多数登場するのだが、本作では彼らの姿が時におかしく時に切なく描かれている。

 この度、リアルサウンド映画部では、総合演出の瑠東東一郎に話を伺った。『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)を筆頭とする数々のドラマを監督してきた瑠東は『古見さん』のテーマとどのように向き合い、演出プランを組み立てていったのか? そして、水橋文美江の脚本をどのように受け止めたのか?(成馬零一)

視聴者の心に届けるために

――最初に、瑠東さんが担当している総合演出の役割について教えてください。

瑠東東一郎(以下、瑠東):チーフ監督として、作品の演出プランや作品全体のトーンを決めました。俳優部と共にキャラクターを作っていくこともそうですし、今作は特にコメディと心情シーンのバランスが重要だったので、どの様なパッケージで芝居と映像を組み上げていくか、という部分は凄く意識しました。

――原作漫画とは、構成や見せ方がだいぶ違いますが、映像化するにあたって、どのように見せたいと思いましたか?

瑠東:原作の中にあるヒューマンな部分をより立体的に描いて、笑いとの陰影を浮き立たせたことが、ドラマにおける特色となっています。色々な形の“コミュ症”を抱えた人たちが不器用に一生懸命に生きているわけですが、その人たちが全力でズレた時には笑いになり、それが真っ直ぐ感情でぶつかれば感動が生まれる。それを1本30分の中に詰め込んでいければと思いました。

――只野くんを演じる増田貴久さんを筆頭に、出演俳優の方々の年齢が劇中のキャラクターよりも高めですね。その狙いについて教えて下さい。

瑠東:作品世界よりも経験値の多い方々に演じてもらうことで、より深くアプローチ出来ることが狙いです。水橋文美江先生の本は人間描写の深さが魅力ですよね。その本を俳優さんに演じてもらうにあたって、リアルな同世代では描けなかった心の機微が、30代を超えていろいろな経験をした俳優が演じることでより深く、作品に投影されたと思います。

――ふつうに考えると同世代の俳優を起用した方が、リアリティが出そうですが、本作を観ていると必ずしもそういうわけではないんだなと思いました。そもそも漫画って高校生を描いていても、登場人物の内面描写が実年齢よりも繊細で抽象化されているところがあると思うんですよ。だから、年齢が上の方が演じた方が、悩みのレベルとピントが合うのかもしれないですよね。

瑠東:原作漫画の多くは、設定が若いだけで、そこで生じる人間ドラマは、かなりオトナな内容であることが多いんです。それを表現するにあたって、ある程度の経験を踏まえたキャストが演じることの意味は大きいです。細やかな表情や、そこに存在する空気、そこから生まれる感情などは、ある程度の経験を経た“年齢設定が高い”方がより芝居に深みが生まれます。

――水橋文美江さんの脚本はいかがでしたか?

瑠東:毎回、めちゃくちゃ楽しみでしたね。水橋先生の本は言葉の情報量が少ないのに人物描写が深いんですよ。

――行間がありますよね。

瑠東:すごく素敵な言葉を選んで絞って紡がれているので、解釈の余地が良い意味で広くかつ深い。僕自身すごく勉強になりました。

――演出は難しかったですか?

瑠東:燃えましたね。

――“挑戦状”のような感じでしょうか。

瑠東:いい意味でそう思います。言葉って多ければ多いほど、見る方にも演じる方にも限定してしまうものですが、水橋さんの脚本には余白がある。それは「任せます」というだけではないんです。大きな深い流れが台本に書いてあるので、そこに試行錯誤しながら辿り着いてください、という様なメッセージに感じました。現場でそこを作り上げていくことで、予定調和でなくなり、生っぽくなる。そうすれば、その瞬間にキャスト自身の心が大きく動く。だからこそ見ている人たちの心にも届くのだと思います。

――池田エライザさんが演じる古見さんは、劇中ではほとんど喋らないですよね。細かい表情の機微だけで表現しないといけないので演じる側は大変だと思うのですが、現場ではどのような話をされているのですか?

瑠東:こんなに会話のないドラマを撮ったことがなかったので、見せ方については凄く考えました。彼女もそこは凄く考えてくれていました。音としての言葉がない状態で目の前の只野くんの心をどう動かすのか。そして、それを受けた只野くんが返してきたものをさらにどう返してキャッチボールを作っていくか。その繊細な「心の動き」は互いに細かく話をしました。

――只野くんと古見さんが黒板で筆談をする場面は、作品の要となる重要な場面だったと思うのですが、撮るにあたって気をつけたことはありますか?

瑠東:現場にいる2人の心がどうすれば動くのかというのを第一に考えて、映像プランを組み立てていきました。書いた文字にも力はあるのですが、そもそもそこで重要なのは書いている古見さんの表情だったり、それを見ている只野くんの表情だったり、そこで2人の仲に生まれた空気だったりするので、そこを細かく見てもらえるように気をつけました。

――「コミュ症」という作品のテーマについてはどう思われましたか? このドラマを見て、若い人にとって「人とどう関わるのか?」というコミュニケーションの問題が、恋愛や進路の問題以上に大きくなっているように感じました。

瑠東:30代でも40代でも「人とコミュニケーションがうまくとれない」ということは、少なくない人が悩んでいる問題だと思うんですよね。『古見さん』は、学校を舞台に10代の若者の話としてそのテーマを扱っていて、読んでいる側が懐かしさも含めて感じとってもらえるように書かれている作品だと思います。なので、多くの人が抱えている根源的なものとして多くの人の心に届く様にドラマを作っています。

――学園ドラマですので10代に向けて作られた作品だと思っていたのですが、視聴者の年齢はあまり意識していないという感じでしょうか?

瑠東:前述の様に若い方を含め、幅広く多くの人に届けばありがたいな、と思っています。その為にも作り手のメッセージや思いは、より強く込めようと思っています。今って強いメッセージが必要な時だと思うんですよね。ですので、10代の方々が観た時に、自分がこの先、生きていく上での「明日の何か」になってもらえたら最高です。逆に年配の方には、最近、すごく疲れる状況が多いと思うので「日々の癒し」になってもらえれば。簡単に消費されるものではなくて「何か」が強く残るものを作りたいと思っています。

――「フツー(普通)って何だろう?」というテーマもありますね。

瑠東:コミュニケーションの問題もそうですが、“みんなが考える普通”に、囚われてるわけですよね。じゃあ、みんなが気にしている普通とは何なのか? 普通であることを気にしたり、逆に普通でないことを恐れたりというのは、作品の根幹にあるテーマだと思います。

――普通のドラマだったらもっと類型的な描き方になって、お互いに偏見を持って、いがみ合っていたと思うのですが、このドラマは垣根がないですよね。

瑠東:それが大事だと思うんですよ。特別ではなく、フツーであることとして描く。それが当たり前の世界観なんですよね。色んな個性や特徴のある人たちが、それぞれに抱える悩みを持ってぶつかり、それをフツーである(実はそうではないのですが)只野くんがそのままで大丈夫だよ、と肯定することで、友達が広がっていく。しかもそれは一元的ではない。

――ナレーションが高橋克実さんの声ですが、原作のイメージとは違って、逆に面白かったです。

瑠東:古見さんを優しく包んであげられる声ってどんな感じだろうかというところから、「おじさんの」と言ったら失礼ですけれど、彼らの親世代である克実さんの優しさとユニークさで只野くんと古見さんを包んであげられたらという意図ですね。

――この作品自体が、只野くんや古見さんを大人が優しく見守っているという感じがあるように感じます。

瑠東:そうですね。ナレーションは第三者の目線で作品を客観的に見せることになるので、登場人物を優しい俯瞰で包んであげるようなタッチを心がけています。時に突っ込んだり、コメディの要素も踏まえながら。

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