『おっさんずラブ』が提示した恋の先にあるもの 春田×牧の完璧なエンディングの先を描いた意味

『おっさんずラブ』が提示した恋の先にあるもの 春田×牧の完璧なエンディングの先を描いた意味

 8月2日21時よりテレビ朝日系で、『劇場版おっさんずラブ~LOVE or DEAD~』が地上波で初放送される。『劇場版おっさんずラブ』は、なんでもありの映画だ。おなじみ天空不動産や居酒屋わんだほう、春田の家が主な舞台でありながら、香港映画のようなアクションシーンあり、記憶喪失あり、さらには監禁事件に爆弾騒動まで。ありえないほどスケールアップした世界の中で、彼らは愛のために、「好きな人にちゃんと気持ちを伝える」ために、比喩ではない炎を潜り、壁を突き破る。

 2016年のテレビ朝日系で放送された単発深夜ドラマが連続深夜ドラマになり、さらには映画にという異例の大出世を遂げた『おっさんずラブ』だからこそ、これでもかと言うほどハチャメチャにスケールアップした、まさにファンのためのお祭り的な映画である。だからといって単にファンへのご褒美映画なのかというとそれは違う。

 前作において様々な「人を好きになるということ」を描きつくし、あの春田(田中圭)と牧(林遣都)の完璧なエンディングを視聴者が目撃したその後で、映画が続きとして描いたのは、変わらず好きな人のことを思い続けている彼らの姿であり、恋愛の先にある「結婚」、そしてさらにその先にある「家族」をテーマとした普遍的な物語だった。

 この映画のテーマが「家族」であることは、新キャラであるジャスティス(志尊淳)、狸穴(沢村一樹)それぞれの家族のエピソードが描かれていることからも、春田と牧それぞれの親がしっかり登場することからもわかる。映画は、武蔵(吉田鋼太郎)と蝶子(大塚寧々)という元夫婦も含めいろいろな家族の形を提示した上で、「家族になる」ことを意識し始めた春田と牧の姿を描いた。

 牧は今までやりたかった仕事を任され、充実した日々を送っている。一方で、春田は夢に向かう牧に、置いてきぼりにされたような気がして、一抹の寂しさを感じている。牧もまた、使ってそのままの食器や黒焦げの唐揚げなど、以前は春田の可愛らしさの一つとして笑って受け入れることができていたものが笑えなくなっている。狸穴が言う通り「付き合うのと家族になるのでは次元が違う」ため、ようやく一緒になった2人は序盤からすれ違ってばかりだ。

 『おっさんずラブ』の脚本家・徳尾浩司が脚本を手掛けている現在放送中のドラマ『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)で多部未華子演じるヒロイン・メイが理想の結婚相手を「今の生活を1ミリも変えなくていい人」と言う場面がある。メイは28歳、仕事が楽しくてたまらないバリキャリだが、結婚を視野に入れることで、キャパシティー的に土台無理な家事との両立に悩む。メイの場合は、特にライフスタイルが多様化した現代において未だ「女性=家事をする」という旧態依然とした先入観を当てはめようとする社会の仕組み自体が間違っているという現代社会の問題が表面化してくるために、余計にその歪みを感じさせるものになっている。そんなメイと、家事が苦ではないから、春田との生活において主に家事を担っていた牧の悩みは共通している。そこに、思いを内に秘めてしまいがちな牧の性格が重なるから、余計に彼は苦しい。

 「好きだから結婚する、家族になる」という簡単なことは、人生の選択肢が無限にあり、人それぞれ各々の夢を持ち行動できる現代だからこそ、より難しい。

 王道の恋愛ドラマの構造を男性同士に置き換えるという着想から始まったドラマだけに、『おっさんずラブ』が辿りついた先は、その恋の先にある「家庭と仕事/夢を叶えることは果たして両立できるのか」という、現代を生きる誰もがぶつかる問題だった。

 また、「おっさんず」と言いつつ若手メンバーであるジャスティス(志尊淳)や栗林(金子大地)が着実に前進する一方で、武蔵や武川(眞島秀和)といった正真正銘のおっさんたちは変わらないままというのも興味深い。

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