ロン・ハワード監督の持ち味が発揮 『ヒルビリー・エレジー』はアメリカ映画史における重要作に
アメリカでベストセラーとなった書籍『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』は、ラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれるアメリカの貧困地域に生まれながら、アイビー・リーグ(アメリカの名門私立大学)の大学院を卒業した著者J・D・ヴァンスが、自分やその家族、そしてルーツや周囲の人々について言及している回顧録だ。この書籍が人気となった理由は、この内容がドナルド・トランプの支持層の内情を理解する入り口となっていると話題になったからだという。
本作『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』は、これをさらにアメリカを代表する名匠ロン・ハワード監督と、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)、『アラジン』(2019年)の脚本家ヴァネッサ・テイラーなどが、一つの物語として映画化したものだ。ここでは、そんな本作の人間ドラマの背景にある様々な要素を考えながら、描かれたものの意味をより深く考察していきたい。
最初に映し出されるのは、少年時代の主人公J.D.が、ケンタッキー州南東部の小さな町ジャクソンの自然の中で過ごしている、ある夏の光景だ。ジャクソンは自然のほかに、国道を走る車のための数軒のファストフード店、町の人々のための教会や学校、小さな農園くらいしかない場所である。かつて祖父や祖母が暮らしていた土地であり、J.D.はそこで生まれても育ってもいないが、この山間にある箱庭のような世界は、彼や姉のお気に入りの場所になったという。
このように、アパラチア山脈の丘陵地帯などに住んでいる白人は、田舎者を意味する「ヒルビリー」などと呼ばれ、アメリカの富や文化的な生活から切り離された存在として見られてきた。J.D.は、そこにルーツを持つ人物なのだ。
祖母は、J.D.の祖母が13歳のときに妊娠したことで、家族を捨てて祖父とともにオハイオ州のミドルタウンに移住した。本作でも描かれるように、ジャクソンとミドルタウンは国道でつながっていて、ヴァンスの家族以外にもヒルビリーが移住した例が多いのだという。ミドルタウンには大規模な製鉄工場が工員を求めていて、当時は働き口もあった。
ヴァンスの祖父と祖母がピックアップトラックで国道から山を下りてミドルタウンに移り住むところを、巨大な製鉄工場を背景に大スペクタルで見せていくシーンは、胸を締め付けるような印象深いものとなっている。それは、普段はあまり顧みられることのない、しかしアメリカの民衆の一時代の姿を切り取った重要な歴史の1ページであるといえる。なぜなら、この二人と同じように山を下りてミドルタウンに移り住んだヒルビリーが少なくなかったからだ。彼らは皆、この国道の風景と工場の景色を見ているのだ。
このようにヒルビリーの一部は、アメリカにおける一般的な大量消費社会に同化し、文化を吸収しながら、逆に自分たちの流儀をアメリカの各地方へと拡散させていった。その意味で本作は、ルキノ・ヴィスコンティ監督が映画化した、イタリア貴族の興亡を描く『山猫』(1963年)のように、一族の歴史と時代の流れを同時に映し出した大作にもなっていると考えることができる。
J.D.の祖父母や母親がミドルタウンに住むことで、いろいろな軋轢もあったようだ。原作となった回顧録では、クリスマスに店で大騒動を起こした例を紹介しているように、家族は気性が荒く、度を超えた悪態をつくためトラブルを招くことが多かったのだという。本作は、原作に書かれた家族の気質を、J.D.の成長物語のなかに周到に織り込みながら表現していく。