『ブラック・クランズマン』スパイク・リーよる“映画的復讐”とは 2つの引用作品をもとに考察
1986年のデビュー以来、今日まで一貫してアメリカ社会の歪みに目を向け続けてきたブラック・ムービーの巨匠スパイク・リー。彼の新作『ブラック・クランズマン』はアメリカ映画史に対する自身の復讐心が込められている。映画誕生からアメリカで描かれ続けてきたスクリーンの中の“白人による白人のための黒人像”は、近年『ブラックパンサー』のメガヒット、そして『ムーンライト』や『ゲット・アウト』のオスカー主要賞獲得などから、映画業界としても見直しが図られはじめていることがうかがえる(3作品とも黒人監督と、大多数を有色人種が占めるスタッフにより製作)。スパイク・リーはこの『ブラック・クランズマン』でどんな映画的復讐を図ったのか。劇中で象徴的に引用される2作品を例に紐解いていこう。
『ブラック・クランズマン』とは?
本作は同名ノンフィクション作品を基に、1979年コロラド州コロラドスプリングスの警察署で初の黒人刑事として採用されたロンと白人刑事フリップが敢行した白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」の潜入捜査を描くクライム・エンターテインメント作品。アカデミー賞では作品賞、監督賞など主要部門含む6部門にノミネートされ、脚色賞を受賞した。
本作に登場する二つのアメリカ映画
オープニングシーンで引用される『風と共に去りぬ』は、南北戦争により南部の貴族的社会が崩壊するなか、社交界の中心にいたジョージア州の大地主の長女スカーレット・オハラが強く生きる姿を描く壮大な一大叙事詩的作品である。1939年度の第12回アカデミー賞では最多ノミネート作として、作品賞、監督賞、主演女優賞など9部門を総なめ、映画史上空前の大ヒットを記録した。しかしその映画史的評価とは裏腹に、南部の大地主の娘であるスカーレットという白人富裕層の立場を美しく描写することで、その生活が実際は黒人奴隷の強制労働と支配の上に成立していたことを暗に肯定しているとして、近年では一部から懐疑の目が向けられる。『ブラック・クランズマン』で引用された『風と共に去りぬ』のラストシーンで象徴的にはためく南軍旗は現在もミシシッピ州旗のデザインの一部として用いられている一方で、 KKKが集会で愛用していることなどから奴隷制や有色人種差別を正当化する人々のシンボルとして南部白人の多くを除く人々からは非難の声が上がる存在でもある。
そして物語の終盤、KKKが会合で鑑賞しているのは1915年公開の『國民の創生』。それまではあくまで演劇の記録映像としてのみ機能していた映画において、クロスカッティングやクローズアップ、フラッシュバックなど革新的な表現技術を生み、演劇とは独立した芸術表現としての映画の立場を基礎づけた作品。監督のD・W・グリフィスは”映画の父”と呼ばれる。だが、その革新的な発明の一方で、内容は南北戦争後の南部で選挙権を獲得し権力を握った野蛮で無知、乱暴な黒人の暴動をKKKというヒーローが撃退するといった人種差別的描写によって構成されていた。結果としてグリフィスの生んだ映像表現の巧みさが当時の白人至上主義者が抱えていた差別精神を煽動し、本作公開後一旦は収束していたKKKを再結成させてしまう事態にまで発展。反人種差別団体による猛抗議と上映禁止運動が起こり、シカゴなど一部の地域では上映が禁止されるなど、皮肉にも映画表現の祖でありながら”アメリカ映画最大の恥”と呼ばれ、様々な意味で映画史に大きく名を遺している。作中では集団で白人に襲い掛かりリンチしたり議会に酒を飲んで出席するなど、非常な白人至上主義的バイアスのかかった黒人像が一貫して描かれている。
また、『國民の創生』公開の1915年当時、表舞台に立つことが許されなかった黒人役を黒塗りした白人が演じるミンストレル・ショーが盛んに行われていた。多くの黒人役が登場するこの作品でも黒塗りの白人俳優ら演じる黒人集団に襲われる白人、それを“ヒーロー”であるKKKが救出するべく向かうシーンがクロスカッティングによってみられる。