弥生小夜子『修羅にしてリラのごとく』に脱帽ーー強烈な愛憎劇とともに描く、人生の儚さと美しさ

弥生小夜子『修羅にしてリラのごとく』がすごい

 確かな歩みで作家の階段を上っている。弥生小夜子の第三長篇となる本書を読んで、そんなことを思った。第三十回鮎川哲也賞優秀賞を獲得したデビュー作『風よ僕らの前髪を』(東京創元社)と、続く第二長篇『蝶の墓標』(東京創元社)は、ミステリの面白さの中に、重厚な人間ドラマを盛り付けた、歯ごたえのある作品だった。本書『修羅にしてリラのごとく』(双葉社)も同様だ。ミステリと人間ドラマの魅力が、存分に堪能できるのである。

 都内生まれ都内育ちの〝僕〟こと相原薫は、大学を卒業すると札幌の企業へ就職した。しかし半年で会社が倒産。父親の司が今は亡き母親(養母)の珠々と一緒に行ったという、栃木県北部の山あいにある那美川温泉で、三年に一度行われる白狼祭りの見物に出かけた。理由は父親から離れるためである。というのも薫が小学校に上がる前、自宅で母方の祖母と母親が殺されるという事件が発生。犯人も死亡したが、薫は心に深い傷を負った。それから司は薫に対して過保護になりすぎ、いつしか息苦しさを感じて札幌で就職したのである。ただし薫も父親に強い愛着があり、共依存のような関係になっている。

 那美川温泉に行った薫は、瀬音館という旅館に泊まった。しかし宿泊客の老人と老婆が死んでしまう。老人が老婆を殺し、自らは自殺したのだ。無理心中である。なお薫は、風呂場の出入り口のところで、老婆の胸にあるリラ(ライラック)の刺青を見ていた。また、実家に戻るとニュースで、老人が早坂龍介という彫り物師であることを知る。司によれば龍介は珠々の古くからの知人だという。病で長くないと告白した司から納戸を見てくれといわれた薫は、そこで裸の乳房の半ばから上を描いた女性の肖像画を見つける。その絵の女性の胸にも、リラの刺青が描かれていた。偶然の一致とは思えない。もしかしたら老婆は、死んだはずの珠々なのか。その後、司から珠々がノートに書いた〈月の落胤〉という小説を渡され、これを資料にして珠おばあちゃんの一代記を書いてみないかといわれるのだった。

 という経緯を経て〈月の落胤〉の内容に入るのだが、その前に、もうひとつ重要なエピソードがある。薫が中学二年の夏休みのことだ。猫が縁になり、一人暮らしをしている年配の女性と仲良くなった。だがそれにより、とんでもない事件に巻き込まれる。事件そのものは隠蔽されたらしく、薫は不明な点を抱えたまま時が過ぎた。

 なにか粗筋が長くなってしまったが、物語として必要な部分が多すぎるので、もう少し続けたい。〈月の落胤〉は、珠々の兄のような立場の佳三という若者を中心に進む。彼は肉体こそ男性だが、心は女性であり、そのことに悩んでいる。この〈月の落胤〉のパートが終わると、本書のメインともいうべき、第二部「修羅とリラ」になる。こちらは薫が、〈月の落胤〉と残された手記を元にして綴った小説だ。主人公は珠々になり、隠居した大実業家で大柳組というヤクザと繋がりを持つ高倉武邦に、佳三と一緒に引き取られる。そこから珠々の波乱の人生が活写されていくのだ。詳しいことは省くが、さまざまな人間の運命が交錯するドラマは、強烈な愛憎劇である。どんどん圧力を増していくストーリーに圧倒された。これは凄い。

 さらに第三章「父と彼女と僕」で、再び〝僕〟のパートになると、怒涛の謎解きが始まる。ああ、あのエピソードには、そんな意味があったのか。あの人物の使い方(粗筋に出していない重要人物も何人かいる)には、こんな意図があったのか。パチパチと嵌っていくジグソーパズルのように、真実という名の絵が完成していく。珠々の人生を通じて、ミステリのサプライズを実現させ、しかも世代を跨いだ家族の物語にもなっている。第三長篇でこれだけの作品を創り上げた作者に脱帽だ。

 最後に文章についても触れておこう。デビュー作から文章が達者な作者だったが、その才能は本書でも遺憾なく発揮されている。特にラストの文章は、人生の儚さと美しさを、巧みに表現していた。この文章の力も、弥生作品の読みどころなのである。

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