“異世界もの”は江戸時代からあった? 藤田和日郎『シルバーマウンテン』の元ネタ『仙境異聞』を解説

“異世界もの”は江戸時代からあった?

 藤田和日郎が現在、「週刊少年サンデー」にて連載している漫画『シルバーマウンテン』(小学館)。その単行本の最新刊となる第4巻が、2026年5月18日に発売された。

 主人公の名は、拝郷銀兵衛(85歳)。あるとき、謎の天狗によって、無理矢理「螺界」と呼ばれる、「竜が舞い、魔道が飛び交う」異世界に送られてしまった老武道家だ。銀兵衛は、その「螺界」への“転移”(注・“転生”ではない)の代償として、なぜか「75年分の歳」を天狗に毟(むし)り取られてしまう(つまり、心は85歳のまま、体は10歳の少年に若返りさせられてしまう)。

 また、もともとは銀兵衛の親友でありながら、ある女性の死をきっかけとして、敵対する間柄になっていた佐伯兵頭という老武道家も、同じように少年の姿にされて異世界に送られていた。

 反りが合わないふたりは、当然、「螺界」でもいがみ合うことになるのだが、ほとんど偶発的といってもいい、サイッダという「嘘のつけない」女性との出会いが、彼らの関係を少しだけ変えていくことになる。

 そして、銀兵衛は「ギン」、兵頭は「ヒョード」と名乗り、元の世界(現代の日本)に戻るため、「螺界」にそびえ立つ「銀嶺」の頂を目指すことになるのだったが……。

3つの世界が複雑に絡み合う物語

 さて、この『シルバーマウンテン』、流行りの「異世界転生(転移)」の物語としてはいささか複雑な構造で作られており、上記の「現代の日本」と「螺界」の他、「文政年間の江戸」という3つの世界が絡み合いながら進行している。

 具体的にいえば、物語の序章部分では、文政3年(1820年)10月1日――「寅吉」という名の「天狗に攫われた」少年が、著名な国学者・平田篤胤に「仙境」で見た「銀色のお山」の話を語って聞かせる場面が描かれているのだが、実はこの寅吉、その正体は(おそらくは「螺界」での冒険を一通り終えた後の)「ギン」――拝郷銀兵衛である(現時点では、なぜ少年の姿のままの銀兵衛が江戸時代に再度“転移”させられているのかは不明)。

 つまり、『シルバーマウンテン』とは、一番外側に「文政年間の江戸」があり、その内側に「螺界/仙境」が、さらにその奥に「現代の日本」があるという、三重構造(入れ子型)の物語なのだ。

 このうち、藤田和日郎の漫画を読み解く上でもっとも注目すべきは、ある意味では、物語のおもな舞台となる「螺界」のパートではなく、「文政年間の江戸」のパートということになるだろう。というのは、いま述べた「寅吉」の逸話は、藤田の創作というわけではなく、江戸の町で一大“異世界”ブームを巻き起こしたある「実話」をもとにしたものだからだ。

江戸の町で一躍人気者となった異界を知る少年

 それは、文政3年(1820年)、秋のことであった。国学者・平田篤胤は、随筆家・山崎美成のもとに身を寄せていた「寅吉」という名の不思議な少年と初めて面会する。

 寅吉とは、天狗や山人たちが住む仙境と江戸の町とを行き来しながら、「杉山僧正」なる神仙のもとで数年にわたり異界の術(仙術?)の修行に励んできた少年で、もともと幽界の存在を信じていた平田篤胤は、彼をしばらく自宅に住まわせ、仙境の情報を聞き取ろうとする。

 そのときに平田が寅吉から得た異界の情報をまとめた著作が、『仙境異聞』(1822年)であり、結果的に寅吉は、平田の周りの知識人たちだけでなく、「流行子」として、江戸の町の人々の人気者となっていったのである。

 なお、この『仙境異聞』、2018年頃に、SNSで話題になったのを覚えている方も少なくないかもしれない。当時すでにライトノベル、漫画、アニメなどの世界において、「異世界転生(転移)物」はひとつの人気ジャンルを形成しており、そうした物語群の「元祖」として、“現世(うつしよ)と異界とを行き来できる少年”寅吉の逸話は注目を浴びたのだった。

 『シルバーマウンテン』に話を戻せば、第1話において、藤田和日郎はかなりこの「実話」に忠実な形で、物語を展開させようとしていることがわかる。

 たとえば、『仙境異聞』によると、寅吉の目は「下三白」であり、それは、拝郷銀兵衛の特徴的な三白眼のデザインにも大きく反映されている。また、初めて会ったとき、平田篤胤には、寅吉の外見は「十五歳といいつつ、十三歳に見えた」そうで、この平田の感想も、そのまま『シルバーマウンテン』の序章で活かされている(深読みかもしれないが、「螺界」に転移した時点での銀兵衛の見た目が10歳のそれだったとすれば、平田のもとを訪れるまでに、3年近くのときが経過していた、ということになるのだろうか)。

 そして、寅吉が初めて仙境に行くことになった際の話だが、もともと家の近所で占いをしていた卜者(占い師)に興味を持っていた彼を、(その卜者とは別の)「旅装束に身を包んだ老翁」が、異界へと通じる「壺」の中へと誘(いざな)ったのだという。これもまた、おおむね『シルバーマウンテン』第1話で寅吉/銀兵衛が語っている通りだ(注・ただし、漫画では、くだんの卜者と旅装束の老翁を同一人物にしており、さらに、寅吉が平田のことを信用する前に語った作り話、という風に変えている)。

 いずれにせよ、こうしたひとつひとつの「実話」に基づく描写が、(寅吉の話の真偽はともかく)荒唐無稽な物語にリアリティを与えているのは間違いない(自らが創造した物語世界に、実在の人物や歴史的な事件の逸話を組み込むというのは、藤田和日郎の漫画の基本パターンであり、かつ、伝奇物の作劇の王道でもある)。

江戸時代と現代――時代を越えて異世界転生(転移)物が流行るワケ

 ちなみに、『仙境異聞』が流行った文政年間(化政時代)といえば、寛政の改革への反動もあって、華やかな町人文化が最盛期ないし爛熟期を迎えていた時代でもあり、そうした状況は、現代のエンタメ業界のそれと似ていなくもない。そんなある種の“行き詰まり”の時代に、「ここではないどこか」で活躍する主人公を描いた物語が大衆に受けるというのも、なんとなく理解はできるだろう。

『シルバーマウンテン』の着地点がどこにあるのかはいまだ不明であり、また、藤田和日郎の漫画は、難しいことは考えずにただ楽しめばいい、というのは作者本人がいっている通りだが、それでも、ギンとヒョードが「螺界」で繰り広げる熱き闘いは、先行き不安な“いま”を生き抜くためのなんらかの指針を、私たち読者に示してくれるのではないだろうか。

【参考】
『天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞』平田篤胤/今井秀和[訳・解説](角川ソフィア文庫)
『仙境異聞 勝五郎再生記聞』平田篤胤/子安宣邦[校注](岩波文庫)


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