なぜ水槽の魚はいつも綺麗なのか? 水族館を知り尽くした男、泉貴人が明かす「水族館のひみつ」


「Dr.クラゲさん」として知られるクラゲ・イソギンチャクの研究者であり、「水族館生物学」を提唱している海洋生物学者・泉貴人による著書『水族館のひみつ 海洋生物学者が教える水族館のきらめき』(中公新書ラクレ)が、話題となっている。
幼い頃からカメラを持って各地の水族館に足を運んでいた水族館マニアである著者が、研究者として深く関わる中で培った水族館のあれこれを語り尽くした1冊。綺麗事では片付けられない水族館の現状や裏側などがたっぷりと語られている。
今回、著者である泉貴人に執筆に関してのこだわり、水族館の魅力、また新種発見についてなど、さまざまに語ってもらった。
クラゲを飼育するのはとても難しい
――本書は幼い頃から水族館に通っていた泉さんにとって念願でもあり、特別な思いが込められた1冊ですよね。
泉貴人(以下、泉):この本、出版を完全に狙っていました! 5年くらい前から水族館の本を出したいと考えていたのですが、どうせなら出版社の方から声が掛かるまでネタを温めようと。そう思っていた矢先、読売新聞に掲載された私のインタビュー記事を読んだ中央公論新社の編集者さんから出版のオファーをいただいて。「水族館の本はどうですか?」と、こちらからここぞとばかりにいそいそと提案した次第です。水族館は私にとって、肝いりのテーマの1つですからね。研究者として研究自体に水族館が絡んでいる上に、20年以上にわたる水族館マニアでもありますから、水族館にまつわる仕事ができることが喜ばしいです。
――全編にわたって、水族館への熱い思いをビシビシと感じました。
泉:実はこの本に書かれていることは、2部構成の第1部だけなんです。この本はいわゆる“水族館側から見た視点”というんですかね。一部、外から見た視点でも書いていますが、「誰も知らない水族館のひみつ」だけを書いてあるものなんです。もともと後半には、長年培ったマニア目線の「誰にも教えたくない水族館の秘術」という第2部が付属したのですが、あまりにも長くなってしまうということで、第1部だけ本書に収めることになりました。
そこからコラムなどを増やして、綺麗事では片付けられない水族館の裏側――水族館の方々が言及できない、研究者である私だからこそ語れる部分――を盛り込みました。かなりギリギリのところを攻めたので、編集者の方々と相談を重ねながら書き上げました。

――水族館で見られる魚が、なぜ綺麗な状態のものばかりなのか。著書を読んで納得しましたし、クラゲの展示方法についてのお話も興味深かったです。クラゲは自分の重さで沈んでしまう。それがどんどん重なって死んでしまうということも初めて知りました。
泉:クラゲについてのほとんどは山形県鶴岡市にある加茂水族館の館長の功績であり、本来は館長ご自身が本に書くべきことなのですが、今回、ある程度ならばネタにしていいと言っていただいたんです。クラゲってなんであんなものが海の中で生きているんだ? と思うくらい、実はとんでもない生き物なんですよね。だからこそ、これまでの設備だと岩や水槽の角で傷つくし、水流を作らなければ潰れてしまうため、水族館での飼育は難しかったんです。それがなぜ綺麗な状態で展示されるようになったのか。そのカラクリは著書に書いた通り、ぐるぐると回る水流を作ったり、水槽の後ろ側を暗くして横から光を当てることで幻想的に見せたりして展示しているからなんです。まさに、水族館による展示の研究成果。研究者である私が気づかなかった視点でした。
水族館には研究施設としての価値がある
――最近、愛知県蒲郡(がまごおり)市にある竹島水族館が、カピバラの水槽に高価なアクリルガラスを使用していることをユーモラスに説明した貼り紙が、来館者によってXに投稿され話題となっていましたが、水槽についての項目も興味深かったです。
泉:水槽一つをとっても家庭用のそれとはキャパシティがまったく違いますし、水槽の中に入れられる生物も違う。表から見るだけでは想像のつかないものが裏にはあるため、敢えて水槽の形状やガラスなどについての項目も設けたのですが、そこを評価していただけるならばありがたいです。
ただし専門書ではない都合、本著ではあくまでも構造や施設の話に絞りながら、ほどよいところで収めることを心がけて書きました。値段関連の話とかはこれでもかなり端折ったんです。ですから、この本はいわば「水族館の入門編」。私としては第2弾、第3弾を狙っています。
――それほどまでに、水族館は奥が深いということですね。泉さんが幼い頃、今ほどSNSが普及していなかったと思います。どんなふうに知識を深めていかれたのですか。
泉:やはり、水族館に訪問してみないことには始まらなかったですからね。その証拠のブツがこれです(と1冊の本を見せてくれる)。私の水族館歴20年の原点で、2005年に発売された中村元さんという“水族館の神”と呼ばれた方が書いた『決定版!! 全国水族館ガイド』(SBクリエイティブ)という本です。表紙はもはやセロテープで止めてあるのですが、これは2005年当時の全国にある水族館100館を紹介した本で、私は地元・千葉県船橋の本屋で見つけて購入して、制覇したら印をつけながら水族館の巡礼をしていましたが、この前、20年経ってやっと掲載されている全館、閉館してしまったところを除いて行くことができました。

また、私は写真マニアなので、生き物から館内にある解説まで全部撮りまくっていたのも知識の増強には役に立ったと思います。生物マニアから研究者になりましたが、実は水族館自体で仕事をしようとは思っていませんでした。
――海洋生物好きの場合、水族館の飼育員になるという夢を持つことが多い印象ですが、泉さんはそうではなかったんですね。
泉:うちの学科にも、そういう水族館を目指す学生はいっぱいいます。一方で、学生の頃の私の中には水族館=研究施設という認識がなく、あくまでも水族館は遊びにいくところだと思っていたことが大きいと思います。著書にもある通り、水族館で研究し始めたのは大学院生の頃ですが、クラゲとイソギンチャクの専門家の集まりに来ていた水族館職員に裏側を見せてほしいという話をして、実際に見せてもらう中で水族館に研究施設としての価値があることに自分で気づいたんです。
大学院の師匠は分類学の専門家で、ほかにイソギンチャクの師匠もいるのですが、それ以外は自分ですべて開拓したようなもの。もちろん、私より前に水族館と研究していた人もいるんでしょうが、そういうこともあって偉そうに「水族館生物学」を学問として提唱している次第です。だからこそ、この本でいちばん伝えたかったのは、第5章の「調査・研究する」。この章を書きたいがために、この本を書いたと言ってもいいくらいです。
水族館員の神業

――第5章にあった沖縄美ら海水族館のバックヤードで15年飼育されていた「チュラウミカワリギンチャク」は、泉さんが論文で発表された新種です。
泉:沖縄美ら海水族館は沖縄に生息している生き物をテーマとしているのですが、何者かわからないものはなかなか展示に出せないんです。この研究で「展示できる」生物にしたことで、水族館の恩返しになったと感じます。さらに、水槽を占拠するほどのデカい生き物にも関わらず、バックヤードで15年間もお世話をして(状態を)維持してくれていたことによって、新種の発見に繋がりました。
――著書全体から水族館の職員みなさんに対するリスペクトを感じます。
泉:なんせ、訳のわからない深海のイソギンチャクを、15年間も水族館のバックヤードで飼育し続けていたんですからね。
普段、うちの研究室の生き物の世話はすべて学生に任せていますが、餌やりにせよ掃除にせよ、完璧な世話って本当に神業なんです。あんなに大変な生き物を平然と生かせることこそが水族館のパワー。第4章「殖やす」にも書きましたが、こんな生き物を繁殖させてたんかい! って思わず突っ込んでしまうような、想像もつかないことが行われているのが水族館なんです。そんな水族館から研究者が孤立しているのはもったいないですよね。なにより、変な生き物が水族館にいることに気づくのは、バックヤードに入り込める立場にならないといけないわけで。ゆえに、私が研究者だからこそ、とんでもない気づきもあったということですね。
――水族館での研究があまり進んでこなかったのは、これまでの歴史の中で研究者と水族館が密に関わる機会がなかったからなのでしょうか。
泉:調べてみると、実はそうでもないんです。水族館はいろんなルーツがあるものが統合されて今のような施設になっていて、大学の実験水槽だとか臨海実験所の生け簀みたいなものからも派生しているんです。例えば、東京大学の三崎臨海実験場も昔は水族館を持っていました。しかし、おそらく50、60年代くらいから商売にシフトして、一時期、大きく派手な水槽で生き物を見せるレジャー施設になっていったのではないかなと。もちろん京都大学白浜水族館のように、大学の研究水槽としてのかたちを残した水族館が現代にも残っていますが、少数派だというイメージですね。
――一時期は、ということですが、現代は違っているということですか。
泉:私が見てきた20年でそこまでの移り変わりは感じないのですが、私が生まれた頃、バブル崩壊の後にはレジャー系の水族館は減って、この20年間では多少研究の場に戻ってきたように感じます。まあ、兵庫の神戸須磨シーワールドのように、前身の須磨水族館時代は生き物にフィーチャーしていた水族館が、シャチのショーやビジュアル系の水槽が増えるリニューアルを行った例もあります。
もちろん、綺麗で映える水槽があるほうが魅力的ではあるでしょうが、来場者のみなさんにはその水槽の中にいる生き物にも目を向けてもらえたら。生き物を飼って詳しく知りたいというのは、人間の根源的な欲です。そこから、水槽を大きくして生息環境を再現して餌を判明させて……というふうに探求してきたのが水族館の営みです。飼うことによって餌もわかれば、行動もわかるわけで、図鑑で見ているのとはまったく違う生き物の側面を知ることができるんです。
第4章の終わりにも書きましたが、水族館には生き物を見せることだけは継続してほしい。そうする中で、私のようなガキが育ち、将来、研究などで生物学を発展させることで水族館に寄与するものもあるわけですからね。
水族館での展示は綺麗事では片付けられない
――著書の中には、泉さんの水族館やそれにまつわるさまざまなことに対するジレンマも感じました。特に、イルカを取り巻くあれこれやワシントン条約による規制など難しい問題が散見しているのだなと感じました。
泉:最近、かごしま水族館で放流予定だったジンベエザメが網に絡まって死んでしまったり、海遊館から放流したジンベエザメが川で死んでしまったりということが騒ぎとなっていました。ですが、ほかの雑多な小魚とかで、そういった話は聞かないですよね? 話題になるのって、ほんの一部の動物だけなんですよ。これは本当におかしい。水族館での展示は綺麗事では片付けられません。私としても綺麗事を語るつもりもなかったので、その辺りについては自分の気持ちを押し出しつつ、問題提起ぐらいのマイルドさに留めながら盛り込みました。
――今進めている「水族館生物学」的な研究もあるのでしょうか。
泉:広島・因島に福山大学の水族館があるのですが、その水槽に変なクラゲが湧いたんです。ポリプ(注:水槽の底にくっついた状態)が濾過槽に入り込んだんでしょうけど、調べてみたら南方の海で発生する「フクロクジュクラゲ」というクラゲでした。これ、生態も全然わかっていなくて、日本でポリプが見つかったこともなかったクラゲという強烈な発見なんです。今、加茂水族館、九十九島水族館海きらら、新江ノ島水族館などのクラゲのオールスターと水族館生物学を進めています。2、3年経ってやっと論文に出せるくらいの話ですけれどね。

――また、それぞれの水族館の特徴が細かく紹介されている「おススメ水族館」も興味深かったです。
泉:今回は選りすぐったものを紹介しました。本当は知り合いのいる水族館全館を紹介したかったのですが、分量的に難しかったので申し訳なかったです。あと、本書はイラストもほぼ自分で書いたもので、写真も注釈がないものは自分で撮ったものです。「おススメ水族館」の各水族館のアイコンも私が書いていて。自慢げに語らせていただきますが(笑)、水族館のデッサン調のイラストとカラーの生き物の絵が一緒にレイアウトされているところは非常に好きです。自分で水族館ガイドを出すならば、このレイアウトで全部の水族館を描きたいですね。
――先ほど水槽の中の生き物に注目してほしいという言葉もありましたが、泉さんの思う水族館でのおすすめの過ごし方を教えてください。
泉:水槽ごとに、その水族館が推している生き物がいるわけです。水槽の上のところに展示板、解説板が乗っているので、その生き物を見てやってほしいなと。それが第1段階で、第2段階は推している生き物でもそれ以外の生き物でもいいので、ぜひ自分の推しの生き物を見つけてください。各水槽ごとでもエリアごとでも、なんなら水族館ごとでもいいので。SNSを見れば、水族館マニアの人たちが自分の推しの生き物を紹介してますし、その人たちのポストを読むのも面白いですからね。
私もこの本を書くことによって、もう一度、水族館を勉強することができました。この本が売れないと次が出せないので、水族館に興味がある方はぜひ読んでいただきたいですね。また、以前、NHKの番組の取材では話したこと――例えば、大水槽は引きで見たほうがいいとか、この生き物はここに注目するといいとかというマニア目線の話も興味を持っていただけるのなら、最初に話した第2部として書籍化したいなと思っています。
■書誌情報
『カラー版 水族館のひみつ 海洋生物学者が教える水族館のきらめき』
著者:泉貴人
価格:1,485円
発売日:2025年8月7日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書ラクレ

























