町田そのこが明かす、“少女たちの友情”への憧れ「あまり友情に縁がない学生時代を過ごしました」


『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞した作家・町田そのこによる最新作『彼女たちは楽園で遊ぶ』(中央公論新社)。伊坂幸太郎の『楽園の楽園』(中央公論新社)から着想を得て生まれた本作は、女子高生たちの青春と恐怖が交錯する新境地となった。
ホラーという新たなジャンルに挑みながらも、作品の根底には、町田そのこらしい「家族」の形を見つめる鋭い眼差しが息づいている。今回、彼女がこの物語で描きたかった「楽園」とは何か。そして、作家として大切にしている思いについて語ってもらった。
“役得”から始まった、「楽園」をテーマにした初のチャレンジ

――『彼女たちは楽園で遊ぶ』は、どのような経緯で生まれた物語なのでしょうか。
町田そのこ(以下、町田):最初に中央公論新社の編集者さんから、「伊坂幸太郎さんの『楽園の楽園』という作品からインスピレーションを受けた物語を書けますか?」というお話をいただいたんです。聞けば、伊坂さんの構想段階の原稿を拝見できると。このチャンスを逃すまいと「ぜひお願いします!」と二つ返事でお受けしました。だって、ものすごい“役得”じゃないですか(笑)。
――まだ世に出る前の作品が読めるチャンスだったわけですね。お読みになったとき、どのような感想を抱かれましたか?
町田:もう本当に素晴らしかったです。物語の“種”というか、ここから芽が出て、いろんな花が咲く……そんなイメージが湧く作品でした。振り返ってみると、私はこれまで自分の書きたいことを書いてきたので、今回のように“決められたテーマ”に沿って小説を書くのは初めての試みだったんですよね。でも「今年はチャレンジの年にしよう」と決めていたので、思い切って挑戦してみることにしました。
――『彼女たちは楽園で遊ぶ』では、『楽園の楽園』が“世にあまり出回っていない幻の書籍”として登場し、新興宗教団体の聖書にもなっていました。『楽園の楽園』を読んでいれば「あの本がここに繋がるのか」という面白さがありますし、知らなくても「どんなことが書かれた本なのか」という謎が物語を引っ張る要素になっているのが見事でした。
町田:そう言っていただけると嬉しいです。というのも、実はこの形になるまで本当に苦労したので。伊坂さんの作品に、はじめは感化されすぎてしまったんです。そして、「もっともっとリンクさせたい」と肩に力が入りすぎてしまいました。
最初に書いた原稿は、『楽園の楽園』を読んでいないと意味がわからないところまで引っ張られていました。もはや「小説ってどうやって書くんだっけ?」という状態にまで迷走してしまって(笑)。そこからオリジナリティを出して、“自分の物語”にするまでにとても苦労しましたね。担当編集の方とこれまで以上に頻繁にやり取りを重ね、ようやく1年かけて形にできたという感じです。書き上げたときは、ちょっとした燃え尽き症候群のようになりました。
――読み手としては、そんな苦労をまったく感じさせないノンストップの読書体験でした。
町田:ありがとうございます。書店員さんや読者の方からもそういった反響をたくさんいただきました。「楽しそうに書かれていましたね」とか「文章に疾走感がありました」といった感想にすごく驚いたんですよ。個人的には「ああ、ここのシーンは本当に詰まって、何度も読み返して調整したな」という記憶が鮮明に残っているので。それこそ悪夢を見るほどでしたから! だから担当編集さんとは「2人で厄払いに行こう」なんて話していたんですよ。ホラー的な意味ではなく、ずっと背負っていた肩の荷を下ろしに行くつもりで(笑)。
かつて住んでいた土地の空気、泣きながら挑んだ登山経験が生んだリアリティ
――ホラーという点でも、本作は新しい試みでしたね。実際に書かれてみていかがでしたか。
町田:読者としてホラー小説や漫画を読むのは好きだったので、自分のなかにある引き出しを総動員して書き始めたのですが、「これ、読んでいて怖いのかな?」と自問しっぱなしでした。説明しすぎても違うし、かといって状況が伝わらなくては意味がない。そのバランスを取るのが難しかったです。まずは現実味を持たせるために、舞台を自分がかつて住んでいた九州の田舎町に設定して、その土地の空気を再現できるように書きました。そして物語の軸には、昔からあるけれど今は多くの人が忘れてしまっている、そんな曖昧になりつつある伝承を据えることにしたんです。
――実際にお住まいだった地域にも、そういった昔話があったのでしょうか。
町田:ありましたね。“なんとか姫の伝説”といった話で。お姫様が亡くなったと言われている場所もあり、子ども心に怖かった記憶があります。そうした感覚を物語に落とし込めたら面白いんじゃないかと思ったんです。
――山の中に立ち込める草木のにおい、葉に触れて切れる感覚など、自然のなかで無力感を突きつけられる描写がとても生々しく感じました。山歩きはお好きなんですか?
町田:いえいえ、全然。年々、運動不足で困っているくらいなので(笑)。あのリアルさは、もしかしたら数年前に新聞連載していた『北九州発 町田そのこ てくてく作家道』という企画で山に登った経験から来ているのかもしれません。一緒に登った記者の方が「子どもでも登れる山ですよ」とおっしゃるので、「ちょっとハイキングに行ってくる」みたいな軽い気持ちで引き受けたんです。そしたら実際は縄梯子まであるガチの登山で! 一歩間違えたら死ぬのではと思うくらい怖いのに、でも途中で「やめた」なんて言えないし、「なんでこんなことに」と泣きながら登りました。
――その心境は、山上の施設から脱出する初花ちゃんそのままですね。
町田:そうかもしれませんね(笑)。しかも登り切ったら今度は「町田さんがラーメンを食べているところを撮りたい」と言われて、記者さんがラーメンを作り始めたんですよ。それもカップ麺じゃなく、九州の名店のどんぶりをわざわざ持参して! 「私、なんでここにいるんだろう?」という感覚と、山登りなんてしたこともないのに必死で登った気持ちは、初花ちゃんと重なっているのかもしれません。
学生時代の憧れを叶える形で描かれた、女子高生たちの友情物語
――ホラー展開と女子高校生たちの青春のコントラストも印象的でした。
町田:以前『わたしの知る花』(中央公論新社)を書いたときに、「女子高校生の物語を書くのってすごく楽しい!」と思ったんです。なので、いつか丁寧に女子高校生を主人公に小説を書いてみたいと考えていたところに、今回の“ホラー”という挑戦が舞い込んできて。おどろおどろしいものと対峙する“かわいい存在”として、女子高生を主人公にしてみることにしました。
――凛音、美央、初花の熱い友情については、どのような思いで書かれたのでしょうか。
町田:憧れですね。私自身、あまり友情に縁がない学生時代を過ごしました。文化祭や体育祭で涙を流すほど一丸となって取り組むクラスメートたちを、「羨ましいな」と外から見ている生徒でした。今振り返ると、友達ができなかったのも当然だなと思う部分もあります。当時の私にいちばん近いのは美央ですかね。打算的で、他者への理解が浅いところがあったりして。そんな私があの頃に仲良くなりたかったのが、ちょっと口は悪いけれど根は優しい凛音や、賢くて落ち着いた初花のような子たちでした。
――そんな凛音の口調で語られる、冒頭の「スピババアがいなくなった」という一文から、一気に物語に引き込まれました。
町田:ありがとうございます。小説の冒頭は、絶対にインパクトのある一文にしようと思っていました。ホラーですから不穏な始まりにしたかったんですけど、同時に「えっ、始まりがこれ?」と意表を突くような書き出しにもしたい欲もあり……。単純に「おばあさんがいなくなった」ではなく、「スピリチュアルなことばかり言うババア」略して“スピババア”がいなくなった、という一文から始めることにしたんです。
――そのスピババアが作る「まめもち」をはじめ、少女たちの周囲で起こる怪奇事件でも「目」がキーアイテムになっていますね。
町田:ホラーを書くうえで、「怖いことって何だろう」とひたすら考えました。その中で、ふと「目が溶けたら怖いな」と思いついたんです。担当編集さんに「どうやったら目って溶けるんですかね?」なんて聞いたりして(笑)。でも、実際にはそんなに簡単に溶けないことがわかり、「じゃあ、えぐり取られるのはどうかな」なんて物騒な話をしていましたね。
――「目」には、肉体的な怖さだけでなく、愛しい人の顔が見えなくなるという精神的なダメージもありますね。
町田:そうですね。私はいつも、最初からがっちりプロットを組んで書くことはありません。ざっくりと方向性を決めて書き始めるタイプなので、「なぜそうなるのか」という理由や因果にたどり着かせるのが大変でした。
――少女たちと行動をともにする青年・美美憂(びびう)の名前は、『楽園の楽園』に登場する教師・美美雨(びびう)とも繋がっていました。
町田:『楽園の楽園』を読んでいて、「びびう」という名前の響きがかっこよくて、ぜひ使いたいと思ったんです。とはいえ、キャラクターはまったく違うので、漢字を変えることにしました。最初は登場人物を全員女性にしようとも考えたんですが、保護者的な立場で手を貸す男性がひとりいてもいいのかなと、美美憂を青年にしました。ただ、そうすると今度は女子高生たちとの距離感がすごくデリケートになっていくんですよね。搾取的に見えてしまうのも違うし、恋愛の気配が漂いすぎると物語がまったく別方向に転がってしまう。そこはかなり慎重に描きました。
時代とともに変化していく「家族」の形と、絶対に変わらない“糸”を探して
――『楽園の楽園』では、人の手が入らない原始的な風景を「楽園」と表現されていたように思います。町田先生にとっての「楽園」とは?
町田:なんのしがらみもなく、好きな友達と自由に遊べること。それがひとつの「楽園」じゃないかなと思いました。少女たちの友情って、環境によってその形が損なわれたり、ちぎれてしまったりするものじゃないですか。だからこそ、誰にも干渉されない場所にいられるだけで、もうそこは「楽園」なんじゃないかと思います。
――今作でも、大人によって搾取される子どもの尊厳を丁寧にすくい取る、町田先生らしい視線が光っていると感じました。
町田:大人たちも、より幸せに生きようとしているだけなんですけどね。でも、親の「良かれと思って」の行動が、結果的に子どもの首を締めてしまうこともある。その危うさを今回は描けたのかなと思います。
――親も完璧ではないけれど、子はそんな親たちの影響をダイレクトに受けてしまうというのが辛いところですね。
町田:私が作家活動を通して一番大事にしているのが、「家族」という大きな括りなんです。というのも、子どものころから家族に対して“生きづらさ”を感じていたことが大きくて。そしていざ自分が親になってみたら、「果たして私は子どもたちにとっていい親なのか」「いい家庭を築けているのか」といった不安が常にどこかにつきまとうんです。
私は母に甘えることがなかなかできませんでした。でも、不思議なことに、私の娘は私の母ととても仲がいいんですよ。それこそ女友達みたいに口喧嘩をしたり、ときには下の名前で呼んだりしていて。そんな関係性、私には考えられなかったので本当に驚きました。なぜ私にはできないことを、娘はできたのだろうーーそう考えることがよくあります。そうやって「家族とは何か」という問いを考え続けているからこそ、私は書き続けられているのかもしれません。
――家族の形も、時代とともにどんどん変化していますね。
町田:そうですね。社会的にも、もはや“血のつながり”だけが家族ではなくなってきています。『宙ごはん』(小学館)で書いたように、私は、同じ食卓を囲むこともひとつの“家族”の形だと思っているんです。そうした変化をこれからも描いていきたいし、一方でその根底には時代が変わっても決して変わらない“糸”のようなものがあると思っています。きっと私は、その“糸”をずっと探しながら書き続けていくのだと思います。
■書誌情報
『彼女たちは楽園で遊ぶ』
著者:町田そのこ
価格:2,090円
発売日:2025年10月21日
出版社:中央公論新社
























