台湾作家・楊双子の“歴史百合小説”はなぜ世界的評価を得た? 「女性同士の友情や仲間としての絆を描いた」

楊双子トークショー

 2024年に全米図書賞(翻訳文学部門)と日本翻訳大賞をダブル受賞という快挙を成し遂げた、台湾の小説家・楊双子(ようふたご)氏の『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社)。日本統治時代の台湾を舞台に、日本人作家と台湾人通訳の女性同士の心の交流を描いた本作は、「歴史百合小説」という新たなジャンルを切り拓きながら、世界の読者に深い感動を与えている。 

 この度、著者の楊双子氏、英語版翻訳を手がけたリン・キン氏、日本語版翻訳を担当した三浦裕子氏の3人による対談が下北沢の「本屋B&B」で実現。中央公論新社の石川由美子氏が司会を務め、作品の誕生秘話から翻訳の苦労、そして各国の反響までたっぷりと語り合った。そのイベントの模様を抜粋・編集してお届けしたい。 

植民地の問題、女性の立場からじっくり考えたかった

楊双子氏、通訳の太台本屋 tai-tai booksエリー氏(中央公論新社)

石川:まずは楊双子さんから、簡単な自己紹介とこの作品が生まれたきっかけをお聞かせください。 

楊:私は2016年から歴史小説を発表し始めました。「楊双子」というペンネームは、実は双子の妹との共同ペンネームだったのですが、2015年に妹が亡くなり、今は私一人でこの名前を使って作品を発表しています。ただ、作品執筆のために使っている歴史資料は妹と一緒に調べた、今でも大事な資料です。双子の妹との共同制作という思いを込めて、「楊双子」の名前で書き続けています。 

 『台湾漫遊鉄道のふたり』を書こうと思ったきっかけは、日本統治時代の女性がどういう生活をしていたのか、どういう職業に就いていたのかを考えて書きたいと思ったからです。特に植民地という問題について、女性の立場から焦点を当てて、じっくり考えたいと思いました。 

 実は以前に『花開少女華麗島』という短編集を書いたのですが、その中の「金木犀銀木犀」という1編が『台湾漫遊鉄道のふたり』の短いプロトタイプともいえる内容でした。植民地の問題は短編では書ききれない部分がたくさんあったので、長編小説でこの問題についてゆっくり書きたいと思ったのです。 

訳者も騙された「虚構」のコンセプト

三浦:私は「太台本屋 tai-tai books」というユニットで台湾や香港の本の翻訳企画を出版社に持ち込んで日本の読者の方々に紹介する活動をしているのですが、リン・キンさんも自ら作品を売り込んで翻訳出版に至ったそうですね。どのようにしてこの作品と出会われたのでしょうか。 

キン:そもそも楊さんの作品に出会ったのは「Asian American Writers’ Workshop(AAWW)」という、ニューヨークを拠点にアジア系アメリカ人の作家、文学、コミュニティを支援するグループのイベントでした。台湾のクィア文学を中心とした若手作家を集めた企画で、まだ大学生だった私は「日本語ができます」と自己紹介したところ、日本統治時代が舞台の『花開時節(花咲く季節)』を編集者の方から紹介され、その一部を訳すことになったんです。それがきっかけで『台湾漫遊録(台湾漫遊鉄道のふたり)』も翻訳することになりました。 

 実は最初、原書を本屋で見かけた時は、青山千鶴子という日本人作家が書いたものだと思って買わなかったんです。日本人作家の作品を翻訳する気はなかったので。 

三浦:私も同じように騙されました! どういうことかというと、原書の初版は発売当初、「日本人作家・青山千鶴子が日本統治時代に台湾を旅して書いた幻の小説を楊双子が発掘し、中文に訳した作品」として売り出されていたんです。あまり前情報を入れずに読みたいので作品や著者についてくわしくは調べずにそのまま読み進めてみると、どうにも文章が若いなと。気になってネットでいろいろ調べてみたら、楊双子さんによる創作だったと、本国でもちょっとした騒動になったようでした。 

キン:実は楊さんのオリジナル作品だと分かって、これは面白いチャンスだと思いました。翻訳者について書かれた小説って、そんなに多くないですからね。当時は学生で出版関係のネットワークが一切なかったので、編集者のリストや連絡先を先生からもらっていろんな人に連絡しました。でも、まだ英訳出版されたことがない作家の作品で、翻訳出版の経験もない翻訳者からの売り込みに、なかなか返事はありませんでした。そこで、私のデビュー小説の編集者だったYuka Igarashiさんなら、きっと日本を含む東アジアが舞台の作品ということで興味を示してくれるだろうと、直接売り込みに行ったんです。 

三浦:いま欧米で日本人作家、特に女性作家の作品が人気ですが、Yuka Igarashiさんは日本人作家の作品を欧米に多数紹介されている優秀な編集者なんですよね。英訳版の編集者がIgarashiさんだと知ってこれはうまくいくだろうなと思いました。 

 こういう売り込みが成功するには、作品の力はもちろん、編集者さんのセンスや好みも大事なんですよね。私たちも1年ぐらいかかって、中央公論新社の石川さんのアンテナに引っかかって出版することができました。 

「正解」を探さなければならない翻訳の苦労

石川:おふたりが翻訳で具体的に苦労された点はありますか。 

三浦裕子氏

三浦:私が一番大変だったのは、歴史的事実の確認です。小説の翻訳というものには、明らかな誤訳はあっても、「正解」はないですよね。原文が同じでも訳者によって出来上がるものは違ってきます。ただ、この作品に関しては、日本統治時代を扱っているので、一部の訳には「正解」があるんです。その「正解」を探さなければならないのがすごく大変でした。

 例えば、物語の終盤で台中高等女学校の校歌が出てくるのですが、日本語の原文が分からなかったんです。双子さんに聞いても、歴史資料は既に亡くなった妹さんが管理していたので、どこにあるか分からないと言われてしまい……。そこからインターネットで必死に調べました。学校自体は台中女子高級中等学校として現在も残っているので、学校のウェブサイトで旧制女学校時代の卒業生の方々が同窓会で当時の校歌を歌っている録音を見つけました。ただ、音質も悪くて歌詞の半分ぐらいしか聞き取れず、さらにインターネットをさまよったところ、個人の方のブログに歌詞が上がっていたんです。そこでようやく正確な日本語の歌詞を確認できました。そういうものが数百個くらいあって、都度調べものをするという感じです。 

楊:妹は日本語ができたので、日本時代の資料を集めて自分で翻訳していました。この校歌の歌詞も、約100年前の日本語は本当に難解で、妹もよく分からない部分があったようですが、自身の語学能力と感性を使って中国語に翻訳しました。妹が亡くなった後、その資料がどこにあるか分からなくなってしまったものの、どうしても妹が訳した歌詞を入れたかったんです。訳者の方々にはご苦労をおかけして、申し訳なかったです。 

同じ漢字でも3通りの読み方

キン:私は実際にある地名やレストランの名前を、日本統治時代に当時の日本人や台湾の人たちがどう読んでいたか、調べるのが大変でした。主要な都市は分かるものの、聞いたことがないような地名も出てきたので。三浦さんが訳された日本語版が先に出版されていたので、それを買ってちょっとカンニングしました(笑) 

楊:三浦さんが日本語版を翻訳中は、いろんな質問がきてやりとりしていましたけど、英語版を訳しているキンさんからはあまり問い合わせがないなと、とても不思議に思っていましたが、そういうことだったんですね(笑) 

キン:作家自身に質問する勇気がなかったんです。翻訳のキャリアもまだまだでしたし、恐れ多くて……。 

三浦:私も地名の読み方には苦労しました。同じ漢字でも、当時、日本人は日本語発音、台湾人は台湾語発音で読んでいました。さらに現代では台湾人は北京語由来の台湾華語で読むので、同じ漢字でも3種類の読み方があるんです。私は場合によって、日本語発音にするか台湾語発音にするかを判断していました。 

 ただ、キンさんの場合はさらに複雑で、英語圏の読者が知っているのは現代の台湾華語の発音だけれど、それを使うべきか、当時の日本語や台湾語の発音を使うべきかという問題があったんですよね。 

キン:英語版には台湾の地図があるのですが、興味深いことに出版社のGraywolf Pressさんが地名を当時の漢字、日本語読み、台湾語読みの3つで表記したんです。読者の混乱を招くかもしれないと心配でしたが、時代による言語の複雑さを理解してもらうのにはよかったと思います。 

食べ物への興味は万国共通 

石川:作品に対して各国の読者の反応はいかがでしたか。 

楊:日本語版と英語版は、三浦さんとリンさんが直接読者と触れ合って、たくさんのフィードバックを私より聞いていると思います。私は前回と今回来日した時と、アメリカでのイベントで少し聞いたことしか話せませんが、みんな食べ物に対してすごく興味を持ってくれました。これは万国共通だなと感じました。 

リン・キン氏

キン:アメリカでは「クィア文学」として紹介されました。日本の漫画ファンなら「百合」を知っているかもしれませんが、アメリカではジャンルとしては、マーケティング的には「クィア」の方が通りやすいんです。双子さんの「百合」の定義は、日本の一般的な「百合」とはまたちょっと違う気がするのですが、どうでしょう? 

楊:台湾でもこの20年、「百合」の定義は曖昧でいろんな解釈がありました。私の妹は日本の「百合」が台湾の読者たちにどう受け入れられ理解されてきたのかを学術的に研究していたので、私も妹といっしょに勉強してきたのですが、いまの台湾での「百合」の広義の定義としては、女性と女性の間のいろんな関係、絆や恋愛といったもの全てが含まれています。つまり、同志小説、いわゆるレズビアン小説も含まれていますけど、私は恋愛や性に関することよりも女性同士の友情や仲間としての絆を描くことを選びました。 

石川:SNSを見ていると日本では「こういう百合もありなんだ」という声が多くて、百合の定義が逆輸入的に押し広げられているのがとても面白くていい現象だと思いました。かつ、日本でも台湾でも主要なジャンルとはいえない「百合」の要素を含む作品が全米図書賞や日本翻訳大賞という権威ある賞を受賞したことは痛快だと思っています。 

台湾文学はまだまだマイナー、でも伸びしろがある

石川:アメリカと日本、各国で台湾文学はどのような立ち位置なのか、翻訳者目線での所感を教えてください。 

キン:悲しい話になりますが、アメリカでは小説だけに限らず翻訳出版は全出版物の3%しかありません。言語を問わずです。この間、ChatGPTにも「まだ3%ですか?」と聞いたのですが、「はい、3%です」と教えてくれました(笑)。そんなわけで、翻訳文学自体が全体的にマイナーな状況です。台湾でも「台湾人作家はどうしたら英語でもっと翻訳されるのか?」と聞かれますが、日本の作家さんでもそこまで翻訳されていないので、けっこう厳しい現状です。 

三浦:台湾文学は日本ではまだ本当にマイナーです。この前、書店でイベントをした際に、足を止めてくれた方に「台湾の小説を読んだことはありますか?」と声をかけたことがあるんです。そのお店には1日500~600人が来店するそうなんですが、立ち止まってくれたのは30人くらい。その中で台湾の小説を読んだことがあるのは3人だけでした。でも、これは伸びしろしかないと思って、もうちょっと頑張ろうという気持ちになりました。 

石川:最後に双子さん、読者へのメッセージと今後のご予定をお願いします。 

楊:私の小説には複雑な歴史や難しいテーマが出てきますが、小説家として、みなさんに本を読む時は楽しい気持ちで読んでほしいです。いまちょうど2つの作品を同時進行で執筆しています。一つは現代の物語で、来年前半には書き上げたいと思っています。もう一つは歴史小説で、こちらは長編で何年かかるかわからないのですが、皆さん待っていてくださいね。

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