映画『爆弾』なぜ「細野ゆかり」視点を省いたか 映像化でのスリリングな会話劇と小説版の心理描写を対比

映画『爆弾』に細野ゆかりがいないワケ

 2025年11月13日のAmazon売れ筋ランキングでは、10位に呉勝浩の『爆弾』(講談社文庫)がランクインしていた。2023年には「このミステリーがすごい! 2023年版」と「ミステリが読みたい! 2023年版」でそれぞれ一位となり、第167回直木賞候補作にもなったベストセラーである。山田裕貴主演の劇場版『爆弾』のヒットもあり、原作小説に再び視線が集まっている。

佐藤二朗の怪演ぶりが話題

 映画『爆弾』は10月31日から公開され、公開4日間で観客動員37万9013人、興行収入5億円を突破。11月10日時点では、観客動員75万人、興行収入10億円を突破し、大ヒット作品となっている。

 物語は、スズキタゴサクという正体不明の中年男が酒屋でトラブルを起こし、警察に捕まるところから始まる。ありふれた事件に思えるが、取り調べ中にスズキが「自分には霊感があり、秋葉原でなにか事件が起きる」と発言。その直後、秋葉原のビルに仕掛けられた爆弾が爆発する。その後も「1時間おきに3回爆発する」と予言したスズキに対し、警視庁捜査一課・強行犯捜査係の刑事である清宮と類家は取り調べを開始。しかしスズキは、自己卑下を繰り返しつつのらりくらりと捜査のプロたちの質問をはぐらかし、さらにまだ爆発していない爆弾に関する謎かけを出題し始める。

 映画版で印象的なのが、スズキタゴサク役を演じる佐藤二朗の怪演ぶりだ。とぼけた表情で「爆発したって別によくないですか?」と言い放ち、舌先三寸で警察官たちの常識・良識を揺さぶり倒し、ニヤニヤしながら妙に媚びた態度をとったかと思いきや、突如として激昂したような長台詞を吐き、ころころと表情が変わって掴みどころがどこにもない……。見た目は住まいを失った冴えないメタボの中年男、なのに底なしの悪意に満ちているという、異色のキャラクターである。この難役を佐藤は見事に乗りこなし、『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャー並みの存在感を発揮していた。

 ではその原作にあたる呉勝浩の『爆弾』を読んでみると、映画版がとにかく原作を強くリスペクトして作られていることがよくわかる。ストーリーは小説と映画とで大きな違いはない。スズキの犯行や作中のトリックにしても、小説と映画では基本的に同じである。台詞も一言一句同じ……というわけではないが、物語のキーとなるポイントは基本的にズレがないように脚本化されており、映画を観た人が小説を読み返しても、あの佐藤二朗のスズキタゴサクのイライラさせられる喋りが脳裏に蘇ってくるはず。映画を観た後に読むと、小説をベースに丁寧に映画が作られていたことがわかるはずだ。

小説で描かれる心理描写

 反面、小説版と映画版との違いも指摘できる。最大の差は、小説では登場人物の心情がみっちりと書かれている点だろう。小説はほぼ一人称視点で進むが、場面によって視点人物が切り替わり、その人物の主観で物語が進む。その中で、視点人物が何を考えていたのかが細かく描写されている。

 原作で主な視点人物となるのが、一番最初にスズキの取り調べにあたった中年の刑事・等々力、警視庁から派遣された壮年の刑事・清宮、そして制服警官の若い巡査・倖田である。とある理由で署内の警察官たちから鼻つまみ者として扱われ、刑事としてのやる気を失っている等々力。取り調べのプロとしてスズキに接するも、徐々に翻弄されていく清宮。そして普通の「おまわりさん」でしかなかったはずなのに、スズキの犯行によって修羅場に遭遇してしまう倖田。作中での立場や考え方の変化が大きかった3人を軸にしつつ、それ以外の人物視点でも一連の事件を描いていくのが小説版『爆弾』だ。

 映画版では、登場人物の心情が地の文で“直接”示されることはなく、表情やしぐさ、台詞の間、カメラワークや編集など、映像ならではの要素から観客が読み取る形になる。一方、小説版では人物の内面が言語化され、どの場面で何を感じ、どう判断したのかが細かく描かれている。心理描写の量と明示度という点では、小説のほうが圧倒的に情報量が多い。その結果、登場人物の隙をついてスズキがねじ込んでくる「悪の論理」にそれぞれがどう対峙したかが、非常にわかりやすくなっている。

 『爆弾』は、そういった心理描写を削り落として事象だけを追っても読者は理解できる構造をもつ。実際、小説でも主要登場人物であるスズキと類家の内心にはほとんど触れられていない。逆に等々力、清宮、倖田らの心理描写はやや多く感じられるほどだが、これは「スズキの悪の論理と爆弾を用いた犯行に、彼らがいかに反応したか」が本作のテーマであるということの裏返しだろう。

 この心理描写があることから、登場人物の心の動きについては小説版の方がわかりやすいと思う読者も多いはずだ。映画版は登場人物が心情を台詞で説明するシーンがほとんどなく、その固いテンポ感が密室での会話劇の緊張感を増していた。また、映画を観てから小説版を読むことで「あの時、この人はこう考えていたのか…」という答え合わせができるところもある。

細野ゆかりとは誰なのか

 もうひとつの違いとして、小説版では「細野ゆかり」という人物が存在する点だ。細野は都内の実家に住む女子大生であり、少しコミュニケーションが苦手なものの、基本的にはどこにでもいそうな人物として描かれる。彼女がスズキの犯行によって感情を揺さぶられ、どのようなリアクションを取るかが、小説の随所に挟まれている。この細野という人物は映画には多少登場するものの、あまり存在感のあるキャラクターではなかった。

 細野は、つまるところ読者である我々である。小説では、それなりの良識と常識を持ちつつ、なんとなく社会に対して鬱屈した気持ちを少しだけ抱えているような、普通の一般市民として描かれる。しかし現代は普通の人間でもSNS上で世の中に対する意見を表明でき、そこで怒りや猜疑心をむき出しにすることが容易にできる。爆弾テロというストレスに晒された時に彼女がどのような行動を取るかを描くことで、作者の呉は我々に対しても「彼女を笑うことができるか?」「自分はこんな行動をとらないと断言できるか?」と問いかける。

 一方の映画では、この細野個人のエピソードはざっくりと削られ、かわりに名のない群衆の姿がそのまま描かれている。「尺に限りがある中で、テンポよく心理戦を描かなくてはならない」という制約がある以上、この判断は理解できる。スピーディーでスリリングな展開を楽しむなら映画版、作品を通して作者が問いかけたかったこと、描きたかったことをより細かく知りたいなら小説版、という棲み分けがなされているとも言えるだろう。

 ということで、かつての角川映画ではないが、小説版『爆弾』はまさに「読んでから見るか 見てから読むか」という楽しみ方ができる作品である。“読んでから見る”なら、映画版の取捨選択のうまさや、演者がどのキャラクターをどう料理したかが楽しめるし、“見てから読む”なら、場面ごとのキャラクターの内心を深く知ることができる。「小説が映画になる」ことの醍醐味を感じられる作品だ。

■書誌情報
『爆弾』
著者:呉勝浩
価格:1,067円
発売日:2024年7月12日
出版社:講談社
レーベル:講談社文庫

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