正解探しより、衝動に従ったほうが人生は面白くなる――谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』インタビュー


「本当にやりたいことはなんですか?」「将来の夢は何?」――そんな質問をされた時、あなたは、“それっぽい答え”でその場をやり過ごしてはいないだろうか。それは果たして、あなたの本心だろうか。
一見つながっているようで、実は孤立しがちな「スマホ時代」。自分を忘れるほど夢中になれる“何か”を見つけるには、どうすればいいのか――いま話題の『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)の著者、哲学者の谷川嘉浩氏に訊いた。(7月31日 取材・構成/島田一志)
※本稿は『チ。―地球の運動について―』、『寄生獣』、『ヒストリエ』のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
『チ。―地球の運動について―』の主人公、ラファウに見る「衝動」

――今回は、谷川さんの著書『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』で書かれている「衝動」について、漫画を例に伺います。谷川さんは無類の漫画好きで、著書にも漫画や映画、小説などを引用した哲学的考察が多く見られますよね。
谷川嘉浩(以下、谷川):原稿を書いていると、自然にフィクションの場面が浮かんでくるんです。それくらい漫画や映画が大好きで(笑)。
哲学書では具体例が必要ですが、現実の出来事よりフィクションの方が譬えとして洗練されています。現実は色々な事情が絡んできて複雑になりがちですが、可読性のためにポイントが整理されているからです。それから、『チ。―地球の運動について―』(魚豊)や、『葬送のフリーレン』(山田鐘人・アベツカサ)のように、多くの人たちが読んでいる有名な作品であれば、共通言語として話が通じやすいという狙いもあります。
でも結局は好きだから、ですね(笑)。漫画ばかり引用していると、若い読者に媚びているのではないかと揶揄されることもあるのですが、そんなことはまったくなくて、普通に好きで日常的に読んでいるから思い浮かびやすいんですよね。

――ではまずは、いま挙げられた『チ。』(※)の魅力からお願いします。
※『チ。―地球の運動について―』(魚豊)……15世紀ヨーロッパを舞台に、禁じられた「地動説」を命を懸けて受け継ぎ、探求した人々を描いた“継承”の物語。『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて2020年から2022年まで連載。
谷川:『チ。』は章ごとに主人公が変わる構成が新鮮でした。しかも彼らは、どこか漫画の主人公らしくないと言いますか、むしろ、嫌なヤツが多いですよね(笑)。第1章のラファウや、第2章のバデーニなど、実際にいたらつき合いたくないタイプの人物です。でもそれと同時に、彼らの心に芽生える抑えきれない「衝動」に私は惹かれました。
とりわけ印象的なのは、第1巻の「僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」というラファウのセリフです。「感動」は通常、自分の中で生じる感覚ですよね。でも彼は、異端者として裁かれ、処刑される危険を冒してでも、「感動」をこの世に残して誰かに伝えたい、と言っています。ラファウ自身、先人のフベルトから地動説への感動を受け継いでいて、それ以降の主人公たちも、同じ想いに突き動かされていく。つまり、自分個人に閉じた感動ではなく、感動の「継承」が作品全体を貫くテーマになっているわけです。
作中では「感動」という言葉が使われていますが、これは私の言う「衝動」と同じです。物語の途中までは観測データが継承されていくのですが、ある時点からはそれもなくなり、単に感動のバトンが受け渡されていくだけです。多くの読者の心を揺さぶったのは、自分の利得や信念を超えて、感動を継承しようとする主人公たちの生き様が繰り返し描かれたからだと思います。
――ラファウの「衝動」についてもう少し詳しく聞かせてください。
谷川:私の言う「衝動」は、「衝動買い」「衝動的に~する」みたいな欲求、つまり、我慢できずに感情のままに何かすることとは区別されます。「衝動」とは、合理的な理由だけでは説明しきれないほどの非合理な情熱、信念すら押しのけて自分を突き動かす原動力のことです。『チ。』では、主人公たちが感動した瞬間に「衝動」が生まれています。
ラファウは天動説が当たり前の世界に生きていて、最初はそれでよかった。けれどあるとき地動説を知り、それを「美しい」と思い、計算や観測で宇宙の真実に「感動」した。裁判で改心の宣言をしろと迫られても、彼はしませんでしたよね。世渡り上手な彼なら、あの場で嘘をついて、秘かに研究を続けることもできたかもしれないのに。つまり、ラファウは研究の継続よりも、感動の継承を選んだんです。これこそ彼の「衝動」の表われだと思います。


















