あと10年で“人工意識”を実証できる? 神経科学者・渡辺正峰が語る、デジタル不老不死の可能性

意識を機械に移して、肉体の寿命が尽きたあとも意識が存在し続けられるーーつまり、私が生き続けられるようにする。SF映画のような話だが、私が十年以上前から取り組んでいる研究が成功すれば、そんなことも可能になる。(『意識の不思議』より)
東京大学大学院工学系研究科准教授であり、神経科学を専門とする渡辺正峰氏の新書『意識の不思議』(ちくまプリマー新書)は、私たちの「意識」は脳で行われている電気信号の伝達であり、理論的には脳と機械を繋いで意識をアップロードすることも可能になるかもしれないと説く、実に刺激的な一冊だ。
『銀河鉄道999』や『マトリックス』、あるいは『三体』といったSF作品で繰り返し描かれてきた「意識のアップロード」という技術の可能性について、渡辺正峰氏に話を聞いた。
あと10年で「人工意識」というものを実証できる可能性は十分にある

ーー『意識の不思議』は謎の多い「意識」というものについてわかりやすく説明されているとともに、それを機械にアップロードする方法が詳述されており、「死なない」という選択肢が現実的なものとして提示されていてワクワクします。言葉だけ聞くとSF的な話にも思えてしまいますが、脳を機械と接続し、意識をアップロードするための要素技術はかなり揃っていて、「あとはやるだけ」という部分も多いということですね。
渡辺正峰(以下、渡辺):そうですね。私のモットーは「関連技術に未知のイノベーションを必要としない」ということなので、本格的に着手できる状況が整えば、あと10年で「人工意識」というものを実証できる可能性は十分にあると考えています。
ーー「機械と脳を接続する」というところで、技術的な面より、むしろ実験について倫理的な面でのハードルが高いでしょうか。
渡辺:いえ、例えば動物実験を行うとして、それは一般的な神経科学で行われている範囲のものです。いざ人で治験を行うという段階になれば倫理的な話にもなってくると思いますが、余命宣告を受けているような方を対象にすることも含めて、世界を見渡せば受け入れてくれるケースはあると考えています。つまり入口の段階では必ずしも広く社会のコンセンサスを得る必要はないと思いますが、それが本格的に普及していくという段階においては、議論が起こるのではと。
ーー「意識をアップロードする」という言葉だけだと、自分の記憶をある程度共有した、極めて自分的な考え方をするコピーが生まれる、というイメージを持つ人も多いかもしれません。しかし渡辺先生が提唱しているのは、自分が自分としての連続性を持ったままいわば“デジタル不老不死”になれるという方法であり、「死によって自分の意識が消滅して無になる」ということを恐れる人たちの大きな希望になるものだと思います。詳しくは本書を読んでいただくとして、ここでは手順を簡単にご説明いただけますか。
渡辺:前提として、「神経レベルで脳のモデルを作る」という研究は、日本を含めた世界各国で急速に進んでいる状況です。脳全体の神経細胞の配線の様子をすべて描き出したものを「コネクトーム」というのですが、2023年にはショウジョウバエの脳のコネクトームが解明されており、人間の脳についても10年あれば配線構造が明らかになると見られます。脳の仕組みはニューロンとシナプスによる電気回路だと考えることができますが、数千億のニューロンが接続しあった複雑な神経回路を物理的に再現するのは難しい。それならば、スーパーコンピュータの計算によって脳の神経回路を再現し、学習により基本的な働きができる「機械脳」に育て上げようと。その機械脳と生体の脳と接続すれば、機械の中に「意識」が湧いているかどうかを確認でき、そうして「人工意識」というものを確立した上で、個人の意識と一体化することができると考えています。
ーーそこでいよいよ「意識のアップロード」の段階に入るんですね。

渡辺:そうですね。目指すのは「私(の人格)」を機械に移行することで、そこで初めて、肉体上の死を迎えたとしても、シームレスに意識が維持されます。そのためにはなるべく多くの「記憶」を機械脳に持ち込む必要があり、それがなければ意識がアップロードされたところで「ここはどこ、私は誰」という状態になってしまう。持ち込むべき記憶は紙に書き出して人に見せられるようなものだけでなく、普段は忘れてしまっているようなことも重要です。記憶は神経細胞のつながり方、その天文学的な数の組み合わせによって保管されており、機械脳が生体脳と接続した状態で過去の記憶を「思い出す」ことで、機械脳に当時とよく似た活動を起こし、擬似体験させることができる。簡潔に言うと、さまざまな記憶を思い出すだけで、機械脳にそれを移植することができるということです。
肉体的な死を迎えるまでにどれだけ多くの記憶を引き継ぐことができるかは、機械脳と生体の脳を接続できる期間によるかもしれませんが、自己を保つには必ずしもすべてではなく、ある程度の記憶が移植できればいいだろうと考えています。肉体的な死を迎えたとしても、「その後」の時間はいくらでもあるわけですから、足りないものはそこからいくらでも学習すればいいんです。
脳が崩壊した時点で意識も霧散してしまうのは間違いない

ーー本書では、渡辺先生の研究に対して懐疑的な人たちに向けた、説得的な言葉も多く見られます。中長期的なミッションとして「意識のアップロード」を目指す「MinD in a Device」が立ち上げられた2018年から、例えば生成AIの浸透も含めて、かつてSFだと思われていたようなテクノロジーも現実的に受け止める感覚が広まっているようにも思いますが、渡辺先生の研究の受け止められ方は変化してきたでしょうか。
渡辺:そうですね。2017年に『脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦』(中公新書)を出した当時は、AIについても海のものとも山のものともわからないような状況で、私自身もここまで普及するとは思っていませんでした。いまは「AIの意識」のような話もニュースになりますし、私が研究している「人工意識」についても伝えやすくなっています。ただ、人工物に意識を宿すことで「死なない」という選択肢を生み出すーーという研究の目的については、共感する人が増えているかというと必ずしもそうではなく、依然として「死にたくない(不老不死になりたい)」と考える人の割合は、1割程度しかないんです。
ーー自分が自分であるという意識を保ったまま生き続けて、身近な人たちとの関係を失わずに暮らしていきたい、あるいは遠く未来の世界を見てみたい……という願望は多くの人が抱き得るものだと思っていたので、とても意外です。
渡辺:さまざまな場面で話を聞いてみると、「死にたくない」と考えない人のなかには、「死後の世界」があると考えている人が相当な割合いるようです。脳科学の研究をすればするほど、意識というものは脳にがんじがらめになっていることがわかりますし、脳が崩壊した時点で意識も霧散してしまうのは間違いない。「意識のアップロード」に関心を持つ人を増やすためには、まずは「死後の世界はない」ということを訴えなければいけないのかもしれませんね。
ーー「意識のアップロード」が実現したその先の世界についても、あらためて聞かせてください。本書には「普通の生活の延長」という渡辺先生自身の願いも書かれていますが、「普通」という言葉とはかけ離れたロマンを感じます。
渡辺:皆さんをワクワクさせる話ではなく、とても地味な希望になってしまいますが、私はハードな「死にたくない」派なので、そもそもこの世界とまったく同じものが続いたらそれだけでありがたいと思っています。
個人の幸せを追求するなら、“セカンドライフ”は肉体という制約がないデジタルな世界ですから、自分の思い通りの世界を構築するということも可能です。しかしそれでは味気なく、都合のいい“モブ”に囲まれた「裸の王様」で居続けられる人も少ないでしょうし、やはり現世で一緒だった人たちと共に過ごすという状況が生まれるのではと。そこで幸福を追求すると、グレッグ・イーガンが『順列都市』で描いたように、現世と電気などのリソースを奪い合うようなことになるかもしれませんし、現世に対して何らかの価値を提供する経済的な活動をすることになるかもしれない。現世と同じように食事や音楽、スポーツなどを楽しむとしたら、現実世界と同じような物理法則やルールも必要になるでしょう。「現実と同じなら自分はいいや」と考える人も多いところですが、病気や老いからは解放されますし、現実世界で不自由な状態を強いられている人も、思う存分、自分の力や個性を発揮して“生きる”ことができると思います。
ーー経済活動という意味では、優秀な研究者や作家、クリエイターが寿命という制約から解放されることで、デジタルの世界から現実世界に提供される価値が大きくなる可能性もありますね。
渡辺:多くの人が「一度きりの人生がいい」と言われるなかで、珍しいご指摘ですね(笑)。私自身はおっしゃる通り、不老不死になって研究を続けられたら幸せだと本気で思っています。



















