航空史上最悪の日航123便事故の“真相”ーージャーナリスト・米田憲司に聞く、40年目の“真実”

■事故調査委員会の報告書問題点とは?
──そういった誤報は自衛隊が事故に関与していないことを確認するための時間稼ぎだったのではないか、という説が米田さんの本には書かれていて、これにも驚かされました。ただ、取材や論拠のないデマなども、この事故に関しては数多く存在しています。SNSやネットの発展で、そういったデマが広がりやすくなりました。
米田:そうですね。ただ、アントヌッチ証言があった1995年ごろから、ミサイルで撃墜されたとか何らかの飛行物体とぶつかったとか、そういった話は出ていました。なので、123便の事故に関しては陰謀論めいた話やデマが出回るのは、それほど最近の話でもないんです。
──昔からいろいろと憶測が出がちな事故だったわけですね。
米田:それはなぜかというと、自分は事故調査委員会の報告書に原因があると思っています。この報告書は「事故の7年前に機体が尻もち事故を起こして、その修理をする際にボーイングがミスを犯し、それによって機体後部の圧力隔壁に破損が生じた。そこから与圧された客席の空気が漏れ、垂直尾翼の破損につながった」という結論が書かれています。しかし、この結論については私以外にも「おかしい」と思っている人がたくさんいるんです。航空関係者にもいますし、遺族の方にもいる。
──報告書に書かれた事故原因に曖昧さがあるわけですか。
米田:そうです。なので、隔壁より先に垂直尾翼が壊れたんだ、先に垂直尾翼が壊れたのはミサイルのせいだ……というような説が出てきてしまうんです。さらに事故から40年が経ち、当時のことを知らない世代が社会の中心になっています。そうなると、SNSでのフェイクも含めて後追いでいろいろな情報を知ることになって、素人が何の裏付けもなく発信した説が信じられるようになってしまう。
──そもそも最初に発表された「事故原因」が疑惑を持たれるような内容だったことがデマが発生する原因であり、そこに時代の変化やネットの発達が加わってしまったわけですね……。では、40年が経過して、米田さんの目から見て日本の航空機事故に対する対応や対策は変化・進歩したと思いますか?
米田:制度的には変化しています。事故が起きた1985年には、事故について調べるのは航空事故調査委員会だったんですね。これは航空事故が起きたら招集されて、事故について調査するという形になっていました。その後、2000年の地下鉄日比谷線の中目黒駅脱線衝突事故があって、航空・鉄道事故調査委員会に改組されました。その後さらに改組されて、2008年以降は船舶事故も調査する運輸安全委員会(JTSB)になっています。このように、調査体制自体は1985年から大きく変化しました。
──飛行機だけではなく、より幅広い事故に対応できる組織に改変されたわけですね。
米田:ただ、アメリカやイギリスの航空機事故に関する調査委員会は、かならずパイロット経験者が混じっているんですが、JTSBにはそういったシステムがありません。東大の航空力学の先生などが招集されて調査にあたるので、もちろん素人ではないですが、かといってパイロットでもない。たとえば123便の事故の際も、ボイスレコーダーに録音されていた言い回しが調査委員会にはわからなかったけれど、パイロットが聞いたら専門用語について見当がついたということもありました。実際に航空機を操縦している人間を、調査委員として組み込むシステムが必要だと思います。
──40年で調査体制は大きく変わったけど、現場の経験がある人間が調査にしっかりとタッチできないという点はあまり変化していないんですね。では、本書を通じて読者に訴えたいこと、考えてほしいことはありますか?
米田:日航の123便という一航空会社が起こした事故ではありますが、事故調査に関しては真の原因を特定するのではなく、日米の政治決着が優先されたという経緯があります。そして、政治決着が優先された結果、真の原因がうやむやにされたことで、この事故は再発防止の教訓となりませんでした。この点については、まず読者の方に知ってほしいと思っています。さらにいえば、米国への追随と忖度によって、実際に発生した事実が都合よく歪められて日本社会全体に広められました。こちらも大きな問題だと思います。
──政治決着の方が優先された点は、事実だとすれば確かに大きな問題です。

米田:事故から40年が経過して、遺族の方も高齢化しています。毎年の御巣鷹への登山も、今年はどれだけの遺族が参加できるのかわかりません。ただ、遺族の方が最も「なぜ自分の親族が亡くなったのか」を知りたいはずなんです。そういう意味では、この本は遺族の方に読んでいただきたいとも思っています。ここまで原因がわからず、遺族の方にもどかしい思いをさせ、陰謀論やデマが飛び出すようになった原因は、やはり曖昧な事故調査報告書にあります。そこにフォーカスすると、事故調査委員会や日航という企業を批判しなければいけなくなる。それができないから、大手メディアは結局遺族の心情を伝えて終わってしまうんです。でも、それではいけない。書くべきことは書かなくてはならない。そういう意味では、80歳を超えて体もあちこち悪いですが、それでもこの本を出すことができてよかったと思っています。
冒頭にも書いたが、今年は事故から40年目の節目となる。この事故については、50歳以上なら多かれ少なかれ覚えていると思うが、長い年月の間に記憶が薄れてしまった人も多いだろう。本書では、事故当日に取材者だった著者が見たり聞いたりした内容が、写真とともに克明に描かれており、当時の混乱する現場の様子を感じることができる。あの事故を覚えている人はもちろんだが、知らない若い人にもぜひ読んでもらいたい。
■書誌情報
『日航123便事故 40年目の真実』
著者:米田憲司
価格:1980円
発売日:2025年5月26日
出版社:宝島社
























