『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』第8話、完全なる「エヴァ要素」と一瞬見えた「ララァの存在」何を意味する?

■色濃く湧き出たエヴァ要素
第7話に関しても、サイコ・ガンダムの描写などにかなりエヴァンゲリオンっぽいところがあったように思う。が、それらは匂わせる程度であり、第8話ほどわかりやすくそのまんまな描写ではなかった。対して第8話はもう直球、誰がどう見てもエヴァである。ここまでこれ見よがしなセルフパロディを全12話の折り返し地点を過ぎたところで盛り込んできたということは、残り4話でパロディの向こう側に行こうとしているということではないのだろうか。なんせ話のスタート地点もパロディだし、新展開を迎えた節目で大ネタのセルフパロディをやっている。さすがにもう同じことを繰り返すことはないだろう。DAICON FILMの昔からパロディに次ぐパロディを重ねてきた人々が、ついに自分たちが作ったパロディまみれの大ヒット作である『エヴァンゲリオン』すらパロディのネタにしたのだ。残りの話数の中で、同じことを繰り返す必要はないだろう。
ということで、ガイナックス/カラーという環境で仕事をする中でパロディをやり尽くしたスタッフ陣が、ガンダムという作品を題材にその向こう側にどう踏み出していくのかを注視したい。できればパロディの向こう側、既存作品のネタを分解して消費する行為をやり尽くしたその先に辿り着いてほしいと思っている。作品世界内の情報の蓄積においては無類の厚みを誇るガンダムシリーズでそれをやれれば、『GQuuuuuuX』は無二の作品になれるはずだ。



















