東村アキコ『かくかくしかじか』映画好評ーー漫画世界を実写化するための優れた技法とは? 永野芽郁の演技から考察 

永野芽郁の演技はなぜ「天才」と称される?

手堅く映画的に原作描写を再現する発端場面

 話題の漫画作品を原作とする実写化映画を観たとき、これは映画的だ(!)という瞬間が写ると何だかその映画を抱きしめたくなる。『海月姫』や『東京タラレバ娘』などの東村アキコによる自伝的原作、永野芽郁主演映画『かくかくしかじか』は、実写映画ならではのきらめきが宿る力作。主人公・林明子(永野芽郁)が授賞式会場まで着物の裾をまくって走る冒頭場面があり、その壇上から回想する青春時代の導入・発端場面の流れがいい。

 幼い頃から絵を描くのが上手で将来は漫画家になると早くも夢を抱いた明子が、美大出身の漫画家の方がカッコいいというだけの理由で美大受験を目指す。とはいえ美大受験は絵描き上手の猛者が集まる狭き門。そこで同じく美大志望の同級生・北見(見上愛)から、地元・宮崎では知る人ぞ知る絵画教室を紹介してもらう。教室最寄りのバス停に到着すると、原付バイクにまたがった日高健三(大泉洋)にフルネームを呼ばれる。どうやら教室の先生らしい……。

 日高はバイクを発進。明子は教室まで後を追う。田園風景の中で揺れる画面。前景の大泉はピンぼけ、後景で追いかける永野が際立つ躍動のワンショットがきらめく。バス停での出会いからこの走りまで3ページで描きこまれた原作描写を忠実に再現している。映画を観る前に原作を読んだとき、まずこの発端がどんなきらめき場面になるのかと想像したが、手堅く映画的。それは原作キャラクターを生身の存在としていとも簡単に立ち上がらせてしまう永野芽郁の力業というか、躍動感ある画面上で走るという行為に徹する彼女が、動的な均衡を保つ、ひとえにその映画的資質によるものでもある。

永野芽郁とメロウネスが出会ってしまった音楽的工夫

 永野芽郁はとにかく動く俳優である。その動きが画面上にホールド・フィックスする状態(均衡)になると、そりゃもうずば抜けて魅力的に写る。こうした映画的資質が誰の目にも明らかだったのが、瀬田なつき監督作『PARKS パークス』(2017)。原作物ではなく井の頭公園100周年を記念するオリジナル脚本だが、井の頭恩賜公園をメイン舞台とするロケーションの恩寵を受けたような永野が随所できらめく。導入場面として沿線の電車に揺られる永野が、つり革からつり革へ移動するあざやかな場面は、動的均衡の実例的名演である。

 『かくかくしかじか』でも南国情緒豊かで、東村自らコーディネートした海辺と田園ロケーションが味方している。上述した大泉との追いかけ場面はもちろん、とんだ暴力まがい指導を徹底する日高に嘘をついて教室から逃げたものの、また再度渋々教室に通うようになる場面連鎖がいい。原作では竹刀を片手に罵声を飛ばしまくる激烈型破りキャラの傍若無人ぶりがひたすら連打される日高役を意外としめやかな生身のリアリティで演じる大泉が、漫画と実写が見事に溶け合う教室空間を設計しつつ、永野はむしろ室外場面で瑞々しい陰影をうむ。

 南国の熱気が画面全体を満たす中、明子が教室に歩いて向かう場面。あまりの熱気で画面はかすむ。なのに永野は俄然、その存在をくっきり浮かび上がらせる。加えて画面上には意外な挿入歌。明子が美大受験する時代設定が1990年代であることから音楽的には90sR&Bムードへの目配せ選曲かどうか、沖縄出身のシンガーソングライターYo-Seaが夏の清涼剤を導入するひんやりさわやかなメロウチューン「Flower」がかかる。目がくらむような南国の夏。永野芽郁とメロウネスが偶然出会ってしまったみたいな。汗の滴も自ずと清涼パウダー化するくらい爽快そのもの。原作では二見という名前の同級生・北見が「フリッパーズ・ギターを愛するオリーブ少女」と音楽的嗜好が割りと細かくキャラ付けされているが、実写では現行曲を取り込む自由闊達な映画の総合芸術感をさりげなく提示する。これはさすが、星野源「恋」などのミュージックビデオの演出を手掛けてきた関和亮監督の音楽的工夫が光る。実写ならではの粋な演出の下、永野芽郁が原作の図像を完璧に立ち上がらせ、カメラが再現する単なる現実をも超えられる映画的存在感を誇示する。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる