【連載】福嶋亮大「メディアが人間である」 第7回:21世紀の起源――人間がメディアである

福嶋亮大「メディアが人間である」第7回

 21世紀のメディア論や美学をどう構想するか。また21世紀の人間のステータスはどう変わってゆくのか(あるいは変わらないのか)。批評家・福嶋亮大が、脳、人工知能、アート等も射程に収めつつ、マーシャル・マクルーハンのメディア論やジャン・ボードリヤールのシミュラークル論のアップデートを試みる思考のノート「メディアが人間である」。第7回では、21世紀メディアの起源が1830年代前後にあることを改めて確認しつつ、ボードリヤールが予見したマスメディアの脅威が、ソーシャルメディアによってさらに加速している現代の状況を鑑みる。

第1回:21世紀の美学に向けて
第2回:探索する脳のミメーシス
第3回:アウラは二度消える
第4回:メタメディアの美学、あるいはメディアの消去
第5回:電気の思想――マクルーハンからクリストファー・ノーランへ
第6回:鏡の世紀――テクノ・ユートピアニズム再考

1、世界を人間の欲望に似せる

 マルクス&エンゲルスが1848年に発表した『共産党宣言』は「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」という名高いスローガンを掲げただけではなく、グローバル化の画期性をいち早く鮮明にしたという点でも、記念碑的な文書である。彼らは、資本主義の拡大によって、民族的な偏狭さを超えた「一つの世界」が遠からず到来すること、その結果、世界そのものがブルジョア化されることを予見した。

 ブルジョア階級は、すべての生産用具の急速な改良によって、無制限に容易になった交通によって、すべての民族を、どんなに未開な民族をも、文明のなかへ引き入れる。〔…〕かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、すなわちブルジョア階級になることを強制する。一言でいえば、ブルジョア階級は、かれら自身の姿に型どって世界を創造するのである。(※1)

マルクス+エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

 商品のグローバルな流通によって、世界そのものがブルジョア階級の望みに基づいて「創造」される――このような資本主義の運動は21世紀になっても終わる気配はない。現に、世界じゅうの都市の表層(ブランド、ファストフード、カフェ、スマートフォン、ショッピングモール……)は民族や言語の壁を超えて、その共通性をいっそう際立たせている。グローバリゼーションはたんに世界各地をつなげる巨大な経済圏を樹立しただけではなく、≪世界をブルジョア的人間の欲望に似せる≫という一種の擬人化のプログラムも推進したのだ。19世紀半ばの『共産党宣言』は、この新しいプログラムの出現を的確に捉えていた。

 こうして、グローバリゼーションは世界と人間の欲望を「鏡」のように向かいあわせる。つまり、世界は世界観をモデルにして作り変えられる。ここで重要なのは、この資本主義の世界規模の運動が、メディアとコミュニケーションの新技術の発明と重なっていたことである。

※1 マルクス+エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛他訳、岩波文庫、改訳1971年)45頁。

2、1830年代前後――21世紀メディアの起源

 実際、マルクス&エンゲルスがグローバル化の効果を「発見」したのは、電気の力が地球規模のネットワークをめざめさせたのとほぼ同時期であった。『共産党宣言』に先立つ1844年に、アメリカのサミュエル・モールスが電信を発明し、その実用化が進むにつれて、情報に即時的・電撃的に「反応」する電子の神経系がグローバルに拡大していった。それがマクルーハンの言う「グローバル・ヴィレッジ」の基礎になったことは、すでに第5回で述べたとおりである。

 その一方、1830年代のヨーロッパでは非活字的なニューメディア、つまり写真とコンピュータの原型が誕生した。フランスのダゲールが1839年に「ダゲレオタイプ」(銀板写真)を発明する一方、イギリスのバベッジは1833年にパンチカードを用いた「解析機関」を設計し、計算機科学のパイオニアとなった。ダゲールの装置とバベッジの装置、つまり画像を処理するメディア機械とデータを処理する計算機械は、それ以降、並行的に発展することになったのである(※2)。

 さらに、旧来の活字メディアも大きな飛躍の時期を迎えていた。ロマン主義文学の研究者モース・ペッカムによれば、紙の原材料不足が綿花によって解消されたことを機に、1820年代のヨーロッパで印刷物の爆発的増加が起こり、それが中産階級のリーディング・パブリック(読者公衆)を誕生させることになった。

 1830年までに、出版に革命的変化が起こっていた。印刷物はいまや安価で、人類史上初めて、読み書き能力があらゆる階級に著しく浸透していた。イギリスでは人口は四倍に増加していたが、読み書きができる人口は三二倍になったのである。たんに出版業が影響を受けたというだけではない。あらゆる種類のコミュニケーションと紙を媒介とする記録保存のすべて――雑誌、新聞、手紙、そして事業、政府、軍の通信と命令――が、その影響を受けたのである。(※3)

モース・ペッカム『悲劇のヴィジョンを超えて』(上智大学出版)

 ここにはまさに「マスメディアの誕生」の情景が記されている。この読者層を爆発的に広げた出版革命によって、旧来の知識人は自らが押しのけられつつあると感じ、ときに強い嫌悪感を示したが、この趨勢を止めることはできなかった。1840年代に入ると、哲学者のキルケゴールが新聞の生み出した「公衆」に抗して、神の前にひとり立つ「単独者」の思想を語ったが、それはマスメディアが世俗の神のような力をもち始めたことの裏返しでもある。

 こうしてみると、現代メディア環境の起源がおおむね1820年代から40年代にあることが分かるだろう。この時期に、電子的な通信ネットワークとともに、画像と計算に基づくニューメディアが誕生する一方、出版革命によって旧来のエリート知識人の覇権をくつがえす「マス」(大衆)が拡大した。『共産党宣言』の描いた世界の単一化・ブルジョア化という見通しが、この新しいメディア環境のなかで加速したのは明らかである。グローバル資本主義、電子的ネットワーク、コンピュータ、写真、マスメディア――これらの「発明」の集中した1830年代前後の時代は、まさしく≪21世紀の起源≫と呼ぶにふさわしい。

※2 レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』(堀潤之訳、ちくま学芸文庫、2023年)90頁。

※3 モース・ペッカム『悲劇のヴィジョンを超えて』(高柳俊一他訳、上智大学出版、2014年)18頁。

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