『機動戦士ガンダム 水星の魔女』小説版でSeason2に突入! プロスペラの演技の凄さが分かる能登麻美子のインタビューも
TVアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のストーリーを、SF考証担当の高島雄哉がノベライズしたシリーズに第4巻『小説 機動戦士 水星の魔女 4』(KADOKAWA)が登場して、TVアニメでSeason2にあたるエピソードに突入した。表紙にスレッタ・マーキュリーの母親のプロスペラが描かれ、声を演じた能登麻美子へのインタビューも収録されているこの巻は、プロスペラという存在の不穏さが一気に溢れて、この後に続く激動の展開を予感させる。
「アニメのストーリーを小説として読ませていただくと、新しい発見がありますね。文章で相対していくことによって、より主体的に『水星の魔女』の物語を受け止められる、より没入できると感じました」
『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女 4』の巻末に収録されたインタビューで、能登麻美子はこう答えて、アニメ作品のノベライズを読む楽しさを紹介した。エルノラ・サマヤとして娘のエリクトたちと暮らしていたフロントの「フォールクヴァング」という名称が北欧神話にちなんだものだったこと、そこで師事していたカルド・ナボ博士がどのような心境でいたかなどを、小説版で知ることができたとも発言。これは、出演者でも知りたくなる情報が小説には盛り込まれているという表れだ。
スレッタやミオリネ・レンブランが訪れていたプラント・クエタが地球居住者の地位向上を訴えるゲリラ組織「フォルドの夜明け」に襲撃され、ミオリネの父親でベネリットグループを率いるデリング・レンブランが大怪我を負い、ミオリネ自身にも危機が迫っていたところをスレッタが助けたシーンで終わったSeason1。ゲリラをガンダム・エアリアルの手でベシャッと潰したスレッタに、「……人殺し」と言って波乱を予感させてから3ヶ月をおいてSeason2は始まった。
学園フロントに戻って、以前のようにミオリネをめぐる決闘に精を出すスレッタや地球寮の仲間たちの描写で始まって、シリーズが始まった時のような"学園ガンダム"がまた始まるのかと思わせたが、リアルに命の危険に見舞われた地球寮の面々には戦闘の記憶が強く刻まれていた様子。第13話「大地からの使者」の中で、エアリアルが決闘相手を圧倒する場面に、味方のマルタンとリリッケが怯えるシーンが登場するが、小説はそこで、「プラント・クエタで経験した戦闘が、トラウマとなってふたりの脳裏によみがえったのだ」と補足。学園の外にある残酷な現実が、学園生活をじわじわと侵食してきていることを分からせる。
ミオリネから非難されたことを気に病むスレッタが、プロスペラを通話して「ありがとう、お母さん」と言った後に、「プロスペラの言葉に、スレッタの迷いはすっかり晴れていた」という言葉を添えた心理描写も、スレッタがプロスペラの言うことを絶対的に正しいと考えていることを改めて示したものだ。この心酔ぶりが、第16話「罪過の話」でより強烈に現れる。
プラント・クエタの騒動以来、ようやく対面したミオリネから「母親が言うなら、ガンダムで人を殺すの!?」という問うシーン。アニメでは少しだけ考えて、笑いながら「……はい。お母さんが言うのなら」とスレッタが答える。ミオリネと同様に観た人が恐怖すら感じたシーンだが、小説ではそこで、以前に自身で「ガンダムは人を殺す道具じゃありません」と言ったことや、ミオリネからの非難を考え合わせた上で、それでも母親を取ったことを描写する。
ロボットではなく人間として、いろいろなことを考えることができる。その上で母親を絶対視してしまうスレッタの複雑な心理状態が改めて感じ取れる描写だ。どうしたらこのような娘に育ってしまったのか。憤ったミオリネがプロスペラを尋ねて抗議するシーンは、アニメシリーズの中でプロスペラという人物の不穏さが、一気にあふれ出たものだった。
抗議するミオリネに、「……素直でいい子でしょ?」と動じずに言うプロスペラの声音には、娘というより最高の道具ができたかのような不気味さが漂う。なおも責め立てるミオリネに、プロスペラはデリングが仇であることを明かす。そこからプロスペラの声音は一変する。エルノラとして研究に没頭していたプラントを襲撃され、夫も恩師も仲間たちも失った恨みが乗ったものとなった。
小説では「このときはじめて、プロスペラの声に本気の念がこもった」描写されているが、アニメでは能登麻美子が演技だけでそうした心情を感じさせた。目で観て耳で聴くアニメならではの表現の凄さが分かるシーンを、小説では文字によって再確認して追体験できる。しばらくアニメから離れてしまっている人が読むと、いろいろと記憶が浮かんで改めてアニメを見返したいと思うはずだ。
そんな凄まじい演技を見せた能登麻美子が、プロスペラを演じて印象に残っているセリフをインタビューで答えている。第18話「空っぽな私たち」のラストシーンで話すセリフで、道具のように見ていたスレッタへの心情に変化が起こっていることを伺わせる。ここで能登麻美子が、小林寛監督とどのような話をしたのかを読めば、終盤にかけてプロスペラがとった行動の意味も分かってくるだろう。