古代のオリンピック、人気競技は何だった?ーーペンタスロン、戦車競走、現代でも行われる格闘技種目は?
■夏季オリンピックがパリで開催
2024年7月26日に世界最大級のスポーツイベント、第33回オリンピック競技大会(フランス・パリ)が開会式を迎えた。日本勢はメダルラッシュとなっていて、大いに国内でも盛り上がっている。
今回は、前回に続き近代夏季オリンピックと、創設者であるクーベルタン男爵が発想のもととした古代ギリシャの古代オリンピックについて、誰もが知っていそうで知らない雑学をつづっていこう。
本稿執筆にあたり、トニー・ペロテット(著)『古代オリンピック 全裸の祭典』、村上直久(著)『国際情勢でたどるオリンピック史』を参考にしている。また、ヤマザキマリ(著)のマンガ、『オリンピア・キュクロス』は古代オリンピックと近代オリンピック(一度目の東京大会)
をダイレクトに扱っていることも言及しておく。
■古代オリンピックの花形競技といえば?
パリオリンピックは32競技329種目が実施されるとアナウンスされている。全種目を把握している人物は恐らく関係者でも一握りだろう。
それに対して、古代オリンピックの開催種目数はかなり限られていた。現代の人気競技であるサッカーやバスケットボールは存在しなかった時代である。そのあたりは読者諸氏も想像に難くないところだろう。紀元前776年の第1回大会から紀元前728年の第13回大会までは、1スタディオン(約191m)のコース を走る「競走」一種目のみだった。1896年に行われた第1回の近代オリンピックで行われたのは9競技43種目にすぎなかったが、それでも古代オリンピックに比べると大きく競技が多様化している。スポーツ狂だった古代ギリシャ人が現代のオリンピックを見たら驚愕して歓喜することだろう。
現代のように球技が種目にないため、原始的な方法で身体能力を争うシンプルな競技が多いのが古代オリンピックの特徴である。シンプルに速さを争う前述の競走の他に特に、人気だった競技種目には下記のようなものがある。
ペンタスロン
紀元前708年の第18回大会から導入。短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングの5種目で成績を競う5種競技。
中・長距離走
ディアロウス競走、ドリコス競走。前者は約400mの距離を走る。後者はスタディオンを10往復する。
レスリング
もとは5種競技の一種目だったがのちに独立。相手の腰から上をつかんで投げ、腰・背中・肩のいずれかが地面に触れると「1本」扱いになる。3回決まれば勝利で、打撃や相手のやわらかい部分を指でえぐる行為は反則となる。3つある古代オリンピックのフルコンタクト競技の中では最も紳士的だった。
ボクシング
時間制限、インターバルは無し。判定による勝負も無く、敗北を認めるか失神しない限り終わらない。硬い革紐を巻き付けるグローブが流行した時期もあり、打撃が決まると高確率で出血する危険な代物だった。
戦車競走
4頭立ての戦車で48スタディオンの距離を争う。歴史大作映画『ベン・ハー』で忠実に再現されているので、興味のある方はご覧いただくとわかりやすい。
パンクラティオン
素手ならどんな攻撃をしてもよいというルールで行われる総合格闘技。各地で行われる競技会で最も賞金額が高く、当時における花形競技だった。ボクシングと同じく判定による勝敗が無いため、片方が降参するまで終わらない。危険度が特に高く、死者が出ることもあった。
さて、原始的な方法で身体能力を争う競技で、近代オリンピックでは当たり前に行われている競技が一つ欠けていることに勘の良い方はお気づきと思う。水泳(競泳)である。競泳は第1回の近代オリンピックから競技に含まれており、近代オリンピックでは最もメジャーな競技・種目の一つである。ギリシャは国土の約2割をエーゲ海が占める海洋国家であり、水泳が無いことを不思議に思う方もおられることだろう。
理由は単純で、「泳ぐ」という行為が古代ギリシャ人にとって「歩く」のと同じぐらい当たり前のものだったからだ。同じ長距離を競う競技でもマラソンに比べて競歩がやや盛り上がりに欠けるように、泳げて当たり前なのにそれを競っても盛り上がらないと古代ギリシャ人は考えたのだろう。水泳が競技として行われたことはゼロではないが、ほとんどなく、ヘルミオネという小さな田舎町で競技が行われたのみである。ただし、水上競技でもボートは人気があり、こちらは花形競技だった。
■プロ選手の参加
近代夏季オリンピックでも短距離走をはじめとするトラック系の陸上競技は花形競技だが、現代では他の種目についてはかなり様相が異なる。
世界的にメジャー度が高く、特に商業的に価値のあるスポーツはサッカーとバスケットボールだろう。老舗経済誌フォーブスが発表した2024年版スポーツ選手年収ランキングでトップ10中5人がサッカー選手、3人がバスケットボール選手である。
オリンピックのサッカーはFIFAワールドカップの兼ね合いからメンバー集めに不利な規定があり、ベストメンバーを集めるのは困難だが、バスケットボールは1992年のバルセロナ大会で世界最高峰のプロリーグ・NBAの選手が初参加して以来、毎大会NBAのスタープレーヤーが代表チームに加入するのが当たり前になった。参加する選手の格についてはバスケットボールの国際団体であるFIBA主催のワールドカップよりも、オリンピックの方が豪華な陣容になる傾向にある。
掛け値なしのドリームチームだったバルセロナオリンピックのアメリカ代表は別格として、代表メンバーの質には大会ごとにばらつきがあるが、今回のアメリカ代表は昨年のFIBAワールドカップで4位に終わった反省からか、レブロン・ジェームズ、ステフィン・カリー、ジェイソン・テイタム、デビン・ブッカー、カワイ・レナード、アンソニー・デイビスなど2023-2024シーズンのオールNBAチームに選出された、時価、実績ともに一流のプレーヤーが選出されている。
メジャー競技であるテニスも一線級のプロ選手が参加するのが男女とも当たり前になっており、今大会でもノヴァク・ジョコビッチ、イガ・シフィオンテクなど世界ランク上位に名前を連ねる大物が各国の代表リストに並んでいる。同じくメジャー競技のゴルフでも、世界ランク1位のスコッティ・シェフラーなどのビッグネームが出場する。アマチュアの競技会として始まった近代オリンピックだが、1974年にアマチュア規定はオリンピック憲章から削除されている。現代のオリンピックは彼らプロ選手の参加無しでは、ブランド価値が成り立たないだろう。
■ドーピング問題
ところで、競技者の問題としてたびたび取りざたされるのがドーピングだ。すでに崩壊したソヴィエト連邦、ユーゴスラビア連邦は社会主義の名のもとプロという「身分」は存在しなかったが、国の支援を受けた事実上のプロ"ステート・アマチュア"は存在した。NBAが選手の参加を容認するようになったのも、ステートアマにカレッジバスケットボールの選手では対抗できなくなったという事情がある。1988年のソウル大会で行われたバスケットボールではアメリカは銅メダル、ユーゴスラビアが銀メダル、ソヴィエトが金メダルという象徴的な結果だった。東側諸国ではこのころから国の威信をかけた戦いのために組織的ドーピングが行われており、とりわけソヴィエトの後継のような存在にあたるロシアのドーピング問題は根深い。
実のところ、古代ギリシャでもドーピングは行われていた。医学の未発達な時代なので、ドーピングの手段として全く的外れな方法もあったが、有効なものも含まれている。古代ギリシャで用いられていた、定められた方法で食べるトカゲの肉など、運動能力を向上させる強壮剤はドーピングの紀元ともいえる。余談だが、朱戸アオ(著)の漫画『インハンド』には巧妙な方法で行われたドーピングを主人公の紐倉哲が解き明かすエピソードがある。興味のある方はお手に取っていただきたい。