BLの源流『JUNE』元編集長・佐川俊彦インタビュー「女の子は美少年の着ぐるみを着ると自由になる」

『JUNE』元編集長・佐川俊彦インタビュー

需要と供給の関係の幸せな一致が、過去にあった

――『JUNEの時代』には、BL前夜の第一世代は理論武装しなければならなかったと書かれています。先行世代の澁澤龍彦が責任編集だった『血と薔薇』のような文学志向の耽美ではなく、『JUNE』はエンタメ・パロディ志向の“お耽美”だったとも語られている。江戸川乱歩などのエロ・グロ・ナンセンスに通じる要素がありつつ、それを受け継いだ寺山修司や唐十郎など1960年代のアングラ演劇ほどおどろおどろしくない。微妙なさじ加減。

佐川:全共闘世代の文化はちょっと怖いところがあって、僕は寺山さんや唐さんの演劇も怖くて行かなかった。そこで見つけたのが、飴屋法水さんがやっていた東京グランギニョル(1983年結成)。丸尾末広さんがポスターを描いて出演もしているというので、観なきゃいけないと行ってみたら大正解でした。少女が観て面白い耽美、ブラックユーモアのすごい舞台でした。面白い時代でしたね。『血と薔薇』とかは真面目すぎるのがつらかった。やっぱりユーモアがあるのが、1970~1980年代的なイメージだった。

 品がいいかどうかも『JUNE』に載せる基準でした。ゲイのなかでもドラァグ・クイーン系になると、お下品な方へいっちゃうので避けました。『ロッキー・ホラー・ショー』(舞台から映画になったミュージカル)くらいはギリギリよかったんですけど。ただ、後のBL世代になると『ロッキー・ホラー・ショー』は常軌を逸した人ばかり歌ってるみたいに受けとられ、理解されない感じでした。あれはあれで、グラム・ロックの時代の文化を知らないと楽しめないのかもしれない。

――『JUNE』では、竹宮恵子「お絵描き教室」、中島梓「小説道場」が、読者に見るべき方向性を示していたのが大きかった気がします。

佐川:お手本があるとできるんですよ。だから日本は、ジェネリックの国だなと思います。竹宮さんと中島さんがお手本をはっきり示してくれて、それがどんどんつながって後進の作家さんを大量に生むことになってよかったと思います。

――中島さんは早稲田大学で佐川さんも在籍したワセダミステリクラブにいたけど、幽霊部員だったとか。

佐川:新入生歓迎コンパにきただけ。実は上級生に『COM』への投稿が優秀作として掲載された人がいて、投稿で名前が一度載っただけだった中島さんが負けず嫌いだったから、ワセミスから足が遠のいたのではないかという裏エピソードが。

――1970年代後半に角川映画とサブカルチャーの話題が載った角川書店の雑誌『バラエティ』で中島梓、竹宮恵子が連載していましたが、同誌にクラブの先輩がいたそうですね。

佐川:先輩の秋山協一郎さんが『バラエティ』でアルバイトを始め、マンガ家などを同誌に引っ張り込んだんです。翻訳家、批評家、作家など、マスコミの底辺を支えるなかにワセミス出身者が多かった。編集者になった人も多くて、やはり大先輩の曽根忠穂さんがSF雑誌『奇想天外』をやっていて、僕はその影響も大きかった。曽根さんに頼まれパロディ事典を作ったりしたんですが、彼を紹介してくれたのが同じく大先輩で翻訳家・評論家の鏡明さん。SF雑誌『STARLOG』を編集した中尾重晴さんも先輩。ただ、ワセミスにはミステリやSFの教養のすごい人が大勢いて、僕なんかはとてもついていけませんでした。

――出版界ではワセミス人脈をたぐりあうような感じだったんですか。

佐川:そのへんは、意外につるまなかった。本当にその仕事ができる人に頼むのであって、コネという感じではなかったです。僕は『JUNE』の仕事をアルバイト時代から始めて一応編集長になりましたけど、人に使われる方が楽だったから『奇想天外』、『バラエティ』、『STARLOG』、それから『POPEYE』や『アニメージュ』などで書いていました。

――『JUNE』で忙しかったはずなのに、ずいぶん働いていたんですね。

佐川:今ふり返ると信じられない。

――当時は、栗本薫、竹本健治、橋本治なども寄稿していたインディーズ雑誌『綺譚』の編集にかかわり、原稿も書いていたでしょう。私、1冊持っていますよ。

佐川:発行元の綺譚社が、中島梓・栗本薫の事務所を兼ねていた時期があったんです。マンガ家の高野文子さんが電話番をしていた。とにかく面白いことがしたいという動きが、いろんなジャンルで同時多発的に起きていたんです。

――本に書かれたように佐川さんは第1回のコミケを手伝ったし、後にオタクと呼ばれるカルチャーの初期を知っているわけですよね。

佐川:オタク世代は、1954年生まれの僕の4年後くらいに大量発生した。生まれた時からテレビがあったかどうかの違いが大きいと思います。アニメも特撮もドラマも音楽も全部ただで見て、現実よりもテレビの画面がいいというオタクを大量に生んだ。うちは親の都合で早くからテレビがあったから、近所の人がきて『月光仮面』を見ていたのが、幼稚園に入る前の僕の一番古い記憶です。逆にいうと僕は、テレビが普及する前を知っている。なかった頃と比べたり、また女の子向けのものも読んでいたし、学校も転校したから地域の差とか、そこらへんも比べられるのはライターとしてよかったと思います。どこか1つのなかにどっぷり漬かっているとそれが当たり前になっちゃうから。

――『JUNE』の時代は雑誌の投稿文化が花盛りだった時代でもありますけど、今のネットの投稿文化との違いをどう感じますか。

佐川:媒体が移っても基本は変わっていないでしょう。ただ紙の時代よりも量がめちゃくちゃ増えた。僕はそれが苦手で、誰かの美意識の基準で選んでほしい。『JUNE』は予算の都合で薄かったですけど、かえってよかったです。ふんだんに予算があっていくらでも載せられるとなると、逆につまらない。僕は泳げないこともあって、海は苦手でプールにしてほしい。コミケは最初の頃、オタクは井の中の蛙だみたいにいわれたけど、井戸が湖の広さになったらどうか、海になって世界とつながったらどうなんだという不思議な逆転現象が起きるのは面白い。ただ、情報が多いのは苦手で、選ぶにしてもベストだとか泣けるとかの基準でなく、かつてのマンガ雑誌『ガロ』が面白主義といって糸井重里さん、南伸坊さん、荒木経惟さんなどを起用したように、面白いから選ぶという風にしてほしい。

――『JUNE』はBLの時代に入って休刊しましたけど、両者の一番の違いはなんですか。

佐川:ハッピーエンドかどうか。『JUNE』を読んだBLファンから「ハッピーエンドじゃないから損した」と感想がきて、本当に目からウロコでした。いろいろ頑張ったけどダメでしたという物語なら、ただの現実じゃん、なんでお金払って現実を見せられなきゃいけないんだ、お金で夢を買った方がいいじゃないかという話です。あと、攻めと受けがBLの大発見だった。それは大発明でもあるけど、今ではこっちが攻めでこっちが受けじゃなければいけないとか、フェチというか縛りになってしまった。

『JUNE』にそういう縛りはなかったんです。僕は、好きになった人が異性でも同性でもいいというところから入った。動物でもロボットでもいい。だから、それがSFになったりする。『JUNE』の話から離れますけど、異世界転生ものが増えたのも、読んで外国人にもなれれば、昔の人にも、女にも男にもなれるという、自分に都合のいい世界がエンタテインメントであるという点は読書体験と一緒でしょう。基本は変わっていない。作者が自分の見たいもの、読みたいものを描いたら、ほかの人たちも同じだった。そのような、需要と供給の関係の幸せな一致が、過去にあった。それが『JUNE』の時代だったと思います。

■書籍情報
『「JUNE」の時代――BLの夜明け前』
著者:佐川俊彦
価格:1,760円
発売日:5月27日
出版社:亜紀書房

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