日経エンタ!元編集長に聞く、伝説のヒットメーカー吉田敬「強い信念で人を動かす稀有な存在だった」
the brilliant green、平井堅、CHEMISTRY、コブクロ、絢香。90年代から2000年代にかけて、日本を代表するJ-POPアーティストのミリオンヒットを連発。いちからその才能を見出し、数多くのアーティストをトップまで成長させた、稀代の音楽プロデューサーであり伝説のA&Rとして音楽業界にその名を知られる存在、それが吉田敬(よしだ・たかし)である。
2010年10月7日に48歳という若さでこの世を去ってしまったが、彼が関わった数々の名曲は色褪せることなく、現在でもJ-POPシーンに燦然と輝き続けている。
吉田敬とはどんな人物だったのか。吉田のもとで数々の仕事をこなし、A&Rとしての姿を近くで見てきたのが黒岩利之氏である。黒岩氏が当時の音楽関係者やアーティストに取材をし、数々の証言から一時代を築いたミュージックマン・吉田敬に迫るノンフィクション『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』(blueprint)が刊行されている。この度、著書である黒岩氏と、雑誌『日経エンタテインメント!』の編集長として吉田氏と親交のあった吉岡広統氏による対談を実施。吉田氏が音楽業界に起こした数々の伝説や仕事術などを語り合っていただいた。
■『日経エンタ!』に行け!という大号令
ーーまずはお二人の関係を教えてください。
黒岩:吉岡さんと知り合ったのは、僕がソニー・ミュージックに勤めている時ですね。吉田敬さん(以下敬さん)の元でプロモーター(アーティストのメディアプロモーションや広報活動を担当する業務)として、ほぼ飛び込みのように『日経エンタテインメント!』(以下日経エンタ!)の編集部に伺った時に出会いました。敬さんは当時、雑誌やテレビやラジオにどれだけ多くアーティストの記事を掲載できるか、みたいなことをすごくこだわっていたんです。
だから当時は紙媒体だけではなくテレビもラジオも担当していたので、もうかなり多忙の時期でした(笑)。中でも敬さんからは『日経エンタ!』の企画について、直接指示されることが多々あったのを覚えています。
吉岡:確かいきなり新人のアーティストでの依頼でしたよね。
黒岩:そうでした(笑)。最初から新人のデビュー記事を見開きのインタビューでつくっていただいて。他の紙媒体ではまず実現しなかったことなので、もう驚きました。それから敬さんは『日経エンタ!』に対してより注目するようになっていった。会社内でも「攻めれば、掲載してくれるんだ」っていうような雰囲気で。それからは、何かやりたいことがあったら「日経エンタ!に行け!」っていう指令が出ていました。
■ヒットする裏側には理由がある
ーー吉岡さんは吉田さんや黒岩さんのことはどう見られていたのですか。
吉岡:『日経エンタ!』が創刊された1990年代後半当時、世間的には「アーティストに力があれば売れていく」みたいな感じがあったと思うんです。でもヒットする裏側には、ちゃんと理由があって『日経エンタ!』はその舞台裏に注目してきた雑誌だった。だから、吉田さんがアーティストを数々ヒットさせていく仕掛けは、僕らとしてもずっと興味を持っていたんですね。吉田さんに直接取材して、記事にする。そして吉田さんはヒットの仕掛けを語りつつ、メディアを使ってさらにヒットにつなげていく。その後一般的になった手法ですが、当時は斬新でメディアミックスの先駆者だと思います。
黒岩:まさにそうですよね。
吉岡:音楽誌だったら多くのカラーページを割いて掲載するようなインタビューでも『日経エンタ!』の場合は、モノクロ1ページで載せることもある。(レコード会社にとって)効率は決していい雑誌じゃないんですけど、業界の裏側を書いていたので、メディア業界の方がすごく読んでいたんです。テレビ局の人たちが読むので、キャスティングのときに「そういえば日経エンタ!に載ってたね」みたいな後押しにもなっていました。『オリコン』ランキングの上位に入れ込めれば、それを『日経エンタ!』がヒット現象として取り上げる。すると、朝のワイドショーなどが取り上げて、そこから歌番組につながって、みたいな。
黒岩:リンクしていましたよね。我々も仕掛けをするときには、まずは『日経エンタ!』にアプローチをかけていました。ただ月刊誌なので、当然入稿のタイミングがある。発売される頃には古いネタになっていることもあるわけです。けど敬さんの仕掛けは、ヒット直前に仕込むので、雑誌が出る頃にちょうど盛り上がっている。だから雑誌も売れていく。まるで予言者のようでした。当時『日経エンタ!』とはWin Winの関係ってよく言われていましたよね。
吉岡:音楽に限らずかつてのエンタテインメントビジネスって、だいたいはじめにドーンと仕掛けて、一気に(売り上げを)回収していくっていうモデルだったじゃないですか。当然すごくリスクがあって、ヒットしなかったときは、ものすごい赤字にもなりうる。ただ、ミリオンヒットになれば、多くの利益を生むことができる。だから宣伝費に何億使ったのってぐらいの、すごい仕掛けもありましたよね。
黒岩:敬さんがやろうって言って、青写真を僕らに見せていたときには、もう吉岡さんへの仕込みが始まっているっていうこともありましたよ(笑)。ネタバラシをしながら、ネタを仕込んでいるみたいな。そういう意味では『日経エンタ!』とは特別な関係みたいな感じはすごくありました。
吉岡:『日経エンタ!』はビジネスや経済情報を扱っている日経グループの雑誌である以上、記者はジャーナリストとしてある程度、取材先と相対(あいたい)するところがあるんです。だからとても緊張感があって、勝負があり、一期一会がある。でも、エンタテインメント誌として、取材先と同じ方向を向いて、一緒にヒットを創っていくというところもあって、その面白さもあるんです。「日経」にあっては異端なのかもしれませんが、創刊から編集長までの17年間、「日経エンタ!からヒットを創りたい」という思いはずっとどこかにありました。