音楽ライター森朋之が読む『「桜」の追憶 伝説のA&R吉田敬・伝』「ラディカルで剛腕、気になるのはその“情熱”の源泉」
私が音楽ライターとして活動をはじめた1999年は、CDの売り上げが落ち始めた最初の年だ。CDがいちばん売れた年は1998年で、その後はずっと下落。音楽配信の増加、主な購買層だった10〜20代の人口の減少などその理由は様々だが、とにかく音楽業界は縮小を余儀なくされ、レーベルやプロダクションはビジネスモデルの変化を模索し続けた。
当時の雰囲気を思い返してみると、“これから新しい未来が来る”という希望よりも、“一体どうなってしまうのだろう?”という不安のほうが大きかったし、その傾向は年を追うごとに濃くなった。
そんな逆風をものともせず、ヒット曲を次々と連発し、新しいスタイルを持ったアーティストを次々と世に放っていたのがワーナーミュージックだった。コブクロ、絢香、Superflyらを発掘し、瞬く間に日本を代表するスターへと駆け上がる様子を一人の音楽ライターとして体験できたのは本当に幸運だったと思う。
2000年代前半の音楽シーンを牽引していたワーナーミュージック。その中心にいたのが、吉田敬氏(1962年〜2010年)だ。
1985年にCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。ドラマ主題歌、番組テーマソングなどのタイアップで楽曲の知名度を上げる手法で頭角を現し、1997年には「Tプロジェクト」を立ち上げTUBEのミリオンヒットを実現。その後もthe brilliant green、平井堅などをブレイクさせ、2000年に38歳の若さでデフスターレコーズの代表取締役に就任。バラエティ番組のオーデイションから生まれたCHEMISTRYを瞬く間にスターに押し上げた後、2003年にワーナーミュージック・ジャパンに移籍。その先の功績は、前述した通りだ。
“伝説のA&R”と称され、この世を去って10数年が経過した現在も数多くの業界人の尊敬を集め続ける吉田氏。彼と関りがあった数多くの人たちの取材を通し、そのキャリアを克明に記したノンフィクションが『「桜」の追憶 伝説のA&R吉田敬・伝』だ。著者は黒岩利之。吉田のもとで数多くの仕事を行い、その姿を間近で見ていたミュージックマンである。
本作から浮かび上がってくる吉田の印象はきわめて強烈だ。担当したアーティストの知名度を上げ、CDを売るためのもっとも近い道はどこか? そんな基準に貫かれた言動は、シンプルにしてラディカル。
久保田利伸らが所属する事務所「ファンキー・ジャム」の代表・大森奈緒子氏は本書のなかで「仕事の余韻を全然楽しまない。“ブック(ブッキング)終了、次!”って言って、先に進んでいく。普通だったら成功を堪能する時間がほしかったりするものなのい」と語っているが、その言葉通り吉田は、すべての無駄を排除し、目的を遂行するためだけに動き続けた。その能力が特に発揮されるのはやはりタイアップの獲得。事務所、クライアントにえ直訴し、次々と大型の案件を実現させていく様子はまさに剛腕だ。
実際、吉田の仕事のスタイルは、著しい成果を上げる一方、かなりの軋轢を生み出していたようだ。私はこの本を読んでいる間ずっと「これはさすがに強引すぎるだろう」「もし自分がこの現場にいたら、逃げ出したくなったかも「というか、自分みたいなヘタれは相手にもされなかっただろうな」と感じ続けていたが、彼と一緒に仕事をした方々を含め、このレーベルが当時の音楽業界の中心であったことはまちがいないだろう。
単に数字を上げていただけではなく、吉田が世に送り出したアーティストが、00年代以降の大きな潮流を生み出したことも記しておきたい。ワーナー移籍後に手がけたコブクロ、絢香、Superflyの共通点はーー音楽的な実力は大前提としてーー誰もが楽しめる“わかりやすさ”と、ありそうでなかった“新しさ”を兼ね備えていること。それはおそらく“大衆音楽とは何か?“という大きなテーマの一つの答えと言っていいだろう。
時代の動きや人々のテンションを察知し、それに見合ったアーティストや楽曲をマッチングさせる才覚。商業的な成功を圧倒的なスピード感で具現化する行動力とコネクション。確かに“伝説のA&R”としか言いようがない功績を残した吉田だが、ひとつわからないことがある。それは“人生のすべてを賭けるような音楽への情熱の源泉はどこにあったのだろうか?”ということだ。
本書は吉田と関わりがあった人々の証言を中心に構成されていて(当然ながら既にこの世にいない吉田に“あのときはどうだったのか?”と問うことはできない)、そのすべてが生々しくて貴重なのだが、“吉田本人は本当のところ、自分自身のモチベーションをどう捉えていたのか?”に関しては想像する他ない。その謎を読み手それぞれが思いめぐらせることが、この本の最大の醍醐味なのかもしれないと私自身は思っている。
吉田が逝去した2010年以降、音楽シーンの風景は一変した。2010年にはわずか4%程度だったスマートフォンの普及率は瞬く間に上がり、2023年には96%以上に到達。SNS、YouTube、TikTokなどで情報を得て、ストリーミングで視聴する習慣が浸透したことで、ヒットの法則、アーティストがブレイクする道筋も大きく広がった。きわめて不敬な物言いであるのは承知の上だが、この世界に吉田敬がいれば、どんな音楽を世に放ったのだろうか? という思いから逃れることができない。