『猿の惑星』著者は日本軍の捕虜になった体験があったーー原作から浮かび上がる時代背景とその思潮

『猿の惑星』原作を読む

 一方、『猿の惑星』が最初に映画化された1968年は、長髪の若者による反体制運動、黒人の公民権運動が熱を帯びた時代だった。ゆえに『猿の惑星』シリーズを世代間闘争や人種差別の比喩ととらえる解釈もあった。21世紀になって製作されたリブート3部作に関しても、世界各地でみられる民族や貧富などの分断状況を猿のイメージを通して語ったものと容易にとらえうるだろう。

 ブールは、人間に一番近い動物とされる類人猿が社会的権力を持つ設定によって、人間というものを風刺した。わずかな差で相手を仲間か仲間でないかを分ける傲慢さが、そこには描かれている。また、人間化した猿の暴力や猜疑心を表現することは、逆にいくら人間が文明化したようでも争い続ける我々は獣の域を出ていないのではないか、『猿の惑星』の猿と変わらないのではないかという思いを引き寄せる。猿と人間の地位逆転というシンプルな発想は、様々な種類の差別や分断の暗喩となりうるし、いろいろな物語展開に応用可能な奥行きを持つ。『猿の惑星』の基本設定は、1つの発明だったといっていい。

 ブールの原作小説は、猿対人間のシンプルな対立を軸としつつも、猿には暴力的で軍人のゴリラ、知性的で学者のチンパンジー、老獪で政治家的なオランウータンと色分けがあった。人間に関しても、知性の有無で差異がある。いずれも一枚岩ではなく、それぞれの種族内で意識のズレや対立などがあることも、以後の数多い映画化における物語のヴァリエーションを生む出発点となった。

 新作映画『猿の惑星 キングダム』を劇場で観ていて、背景の音楽におやっと思った場面があった。サウンドトラックを担当したのはジョン・パエザーノだが、1968年の映画化第1作で流れたジェリー・ゴールドスミスの音楽も一部に使われていたのである。このことは、新作における原点回帰の意識を感じさせた。人間狩りのシーンが、第1作冒頭にあったことはすでに触れた。それ以外に原点回帰として重要なのは、かつて人間が惑星を支配していた歴史の忘却・隠蔽に関し、猿と人間が閉ざされた場にある過去の遺物を明らかにし、それぞれ自分の立場にとって都合のいい解釈をしようとする展開だ。

 この展開は、先住者と後の時代の実効支配者との対立に関連した歴史の伝承、修正や歪曲、忘却、隠蔽という、今も世界各地にある問題を連想させる。そうした歴史問題のモチーフは、映画第1作をはじめ『猿の惑星』シリーズ諸作にしばしば盛りこまれてきたが、その出発点もブールの原作にある。彼の小説では、遺跡調査で発見された人形が、歴史の事実を解き明かす重要な鍵になるのだ。

 猿に支配された惑星の歴史について、1968年の映画第1作では、主人公の人間が驚愕するラストが待っていた。それに対し、ブールの原作は、同映画とも異なる意外な結末が用意されている。小説が語った宇宙の歴史の真実とはなんなのか。本を読んで確かめてもらいたい。

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