東大卒業後、無職と離婚を経て東洋哲学に開眼……しんめいPが憧れる、陽キャとしての空海
東大卒で無職のしんめいP氏が東洋思想を超訳紹介する『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)。しんめいP氏は、東京大学を卒業し有名IT企業に就職するエリート街道を歩んでいたものの、資本主義社会のど真ん中で働くことに違和感を感じて退職。そして鹿児島の離島での生活、お笑い芸人への挑戦などの紆余曲折を経て、32歳で無職となって離婚を経験した。そこで実家の布団の中で虚無感に直面していた時に、東洋哲学の世界にのめり込んでいったのだという。そんなしんめいP氏が、ブッダ、老子、荘子、親鸞、空海などの思想を、わかりやすくかつコミカルに解説しているのが本書だ。その執筆背景についてしんめいP氏にインタビューをした。(篠原諄也)
資本主義と反資本主義の振り子に疲れた
ーー本書では東洋哲学の思想家たちは無職のような人が多かったと指摘しているのがユニークだと思いました。
しんめいP:僕が無職になってから共感できたところがすごく大きくて。東洋哲学は西洋哲学と比べると、人物に惹かれることが多いと思うんです。例えば西洋哲学のカントが好きな人は、人として好きだというよりは考え方が好きである。人と思想が切り離せるものとして考えられています。
でも東洋哲学の場合は、その「人物」が悟りのビジョンを得たという話ありきなんです。実際に実践していることが思想と離れていません。そこで人に着目してみると、普通の人は至りえない悟りのビジョンを得ているのに、結果的にほぼ無職みたいな状態になっている。だから「偉くないじゃん!」と思って、勇気をもらえたところはあります。
ーーそもそもしんめいPさんが最初に東洋哲学に最初に出合ったのは、東大生時代だそうですね。
しんめいP:大学1、2年生の頃、哲学書を読んでいたらかっこいいなというファッション感覚でした。最初は西洋哲学を読んでみたんですが難しくて。そこで東洋哲学の本を手に取った時に、これなら少しわかるかもしれないと思ったんです。
ーーなぜ、東洋哲学がしっくりきたのでしょう。
しんめいP:もしかすると僕の出身が関係あるかもしれません。大阪南部の岬町という町で生まれ育ったんですが、和歌山の高野山が近く空海の影響がやや強い場所でした。うちの家庭は(空海の)真言宗ではなくほぼ無宗教だったんですけど、近くに空海ゆかりの寺があったり、不動明王(真言宗で信仰される化身)の祠をなぜか父が世話したりしていて。そうした生まれ育った環境とシンクロする部分もあったと思います。
あと、ちょっと怪しい人だと思われそうで本には書かなかったんですけど(笑)、大学1、2年生の頃に偶然、世界の見方がかわるような衝撃的な経験をして。渋谷の昭和の香りのするのんべえ横丁を取材してインタビュー動画を作るというキャンプに参加したんです。数泊の日程で2日ほど徹夜して編集作業に没頭していたら、次の日の朝に変性意識状態のようになって、身の回りのものすべてがキラキラと見えるようになったんですよ。まるでマリオがスターを取って走っているような感覚でした。東洋哲学の世界って、もしかしたらこんな感じなのかな?とおもった原体験かもしれません。
ーーただ、学生時代はそこまで深くはのめり込まなかったそうですね。本格的に読み込むのは、就職などを経た後に無職になって実家に戻った頃だそうです。
しんめいP:今振り返れば、学生時代はまだ人生経験が足りなかったと思います。大学時代の僕の蔵書が実家の本棚に並んでいたので、30代になってから改めて、鈴木大拙などの東洋哲学の本を手に取ってみました。それが無職になって離婚までしたタイミングで読むと、深くわかるようになっていたんです。
僕は新卒の会社を辞めた後、鹿児島の離島で先輩の元で働いていたことがあります。東京の資本主義の世界に疲れてしまって、田舎で反資本主義のような生活を送りたいと思いました。でもそれがうまくいかずに挫折してしまって。そこでは資本主義と反資本主義の振り子に疲れたような感じがありました。つまり「Aが正しい」と思っていて、ある時にそれが違ったと気づくと、Aとは正反対の考え方に傾倒する。その振り子に疲れてニヒルな感じに陥って、何も信じるものがなくなっていました。そこで東洋哲学の本を読むとしっくりくるものがありました。