ピアノはなぜ「女性にもっとも望ましい楽器」とされたのか? 女性音楽家を巡る歴史を知る2冊

女性音楽家たちの歴史を知る2冊

明治期の音楽エリートだった幸田延の光と影

 女性にもっとも望ましい楽器はピアノであるという規範は、日本にもあった。

 持ち運びができず、座った態勢で演奏するしかないピアノは、女性は家にいるべき存在であるという社会通念によく合致していた。

 同時に、女性がピアノを弾けるということは、娘にこの高額楽器を買い与え習わせることができる家の出身であるというステイタスの証、文化資本の象徴だった。「ピアノは持参金」と言われたこともあったそうだ。

 だが、日本と西洋ではピアノにくっついていた規範に違うところもあった。それは近代化を急いだ明治日本が性急に西洋音楽を移植したことによる。

 玉川裕子『「ピアノを弾く少女」の誕生 ジェンダーと近代日本の音楽文化史』(青土社)は、明治期の西洋音楽導入以降のピアノの受容と広がりを、「ピアノを弾く少女」というイメージをめぐる変遷を軸に読み取った研究書だ。

 著者が意識の裏に置いている問題は次の数点である。

・西洋音楽が普及していくなかで、なぜピアノが王座の位置を占めるようになったか。
・ピアノの習い手が、娘や妻、つまり女性に偏っていたのはなぜか。
・(これは現代にまで通じている問題だが)ピアノを専門的に学んでも、女性の自立に結びつかない(仕事がない)のはどうしてか。

 具体的な構成はこういう具合である。

 ピアノをはじめとする楽器を小道具に使った小説や少女雑誌のイラスト等から、楽器が帯びていたイメージを拾い出す。ピアノの登場以前、少女が弾く楽器といえば琴だった。ピアノが良家の子女のたしなみ、少女の憧れの対象となっていくのと入れ替わりに、琴のイメージは悪化していく。女性に望まれた楽器の次点がヴァイオリンだったのも西洋と同じだが、琴と合奏する小説が存在したというのが興味深い。「和洋折衷」は音楽教育に対する政府の方針でもあった。

 文学に関しては、夏目漱石の作品を題材に、登場する楽器や、弾き手の性別や階層に対する検討が行われている。

 続いて、百貨店の音楽事業と広告戦略のイメージが洗い出される。ターゲットは三越だ。三越は、少年音楽隊を組織する、休憩室にピアノとヴァイオリンを置くなど、文化への貢献も重要だという理念を当初から持っていた。

 三越の楽器販売戦略は、文化事業の体裁でまず西洋音楽や楽器を紹介し、新ライフスタイルの提案と啓蒙を行ってから、実際の楽器を売り出すという手順をたどった。もちろん広告でも新ライフスタイルが訴求された。

 新ライフスタイルの提案と啓蒙は、この頃問われていた「家庭音楽」という概念と紐付いていた。良き趣味としての音楽は家庭においてどうあるべきかというような議論だ。議論というもののお手本は西洋に求められていた。それは、

「主婦がピアノを奏でると、主人や子どもがこれを囲んで歌い、家庭が真の楽園になる」

 というイメージである。こんな「楽園」はもちろん実現しなかったわけだが、「ピアノを弾く主婦」は「ピアノを弾く娘」に横滑りする。中間層の隆興とピアノの普及が交差して、ピアノ=女性の弾くものという結びつきを強固にしたのである。

 最後に正直な感想を述べよう。本書は既発表の複数の論文を編んだもので、主題間の繋がりがあまり良くなくまとまりに欠ける。ピアノを弾くのはなぜ女性かという問いにしても、そりゃ何しろ高価だし、良家の子女のたしなみとして富裕層があてがったのが中流層にも降りてきたからでしょ、という予断を裏切るところがあまりない。

 では読むべきポイントがないかというと、そんなことはない。具体的には第6章「女性職業音楽家の光と影」だ。

 明治の西洋音楽移植は、伊澤修二率いる音楽取調掛が担った。音楽取調掛は東京音楽学校に発展し、東京藝術大学となった。

 音楽取調掛の設置は、儒教的な伝統復権を求めた教学聖旨の発布と前後していた。最初は男女問わずに教員候補である伝習生を受け入れていたが、音楽学校の体裁が整うと伝習生は男子のみとされ、女子の入学は禁じられた。

 ところがその4年後に、女子の入学が復活する。人材不足のせいだ。音楽を習うことが奨励されていたのは女子ばかりで、男子一生の仕事とは考えられていなかった。男女別学が制度化され、女性が高等教育を望むのが難しくなったときに、音楽取調掛は逆に門戸を開いたのである。

 本邦唯一の音楽教育機関の女性比率が高いとなれば、傑出した女性音楽家が出現するのは必然である。

 この章でフォーカスされるのは、幸田延。唱歌教育の実験校であった東京女子師範学校(お茶の水女子大の前身)の附属小学校で、伊澤修二とともに唱歌教材を編んだルーサー・ホワイティング・メーソンから直々に音楽教育を受け、ピアノを習い、音楽取調掛の伝習生になったという筋金入りの音楽エリートである。ちなみに延は、幸田露伴の姪である。

 欧米への留学を経て音楽取調掛の教職に就いた延は同校の中心的存在となる。皇族の音楽教育係なども務めていたが、不可解に退職して在野の音楽家となった。

 後の研究によると、延をめぐって学内やジャーナリズムでバッシングがなされていたらしい。それと前後して東京音楽学校の校長が代わり、男性を重用する方向へ改革された。つまり延は追い出されたのだ、というのだ。

 ここで意味を持ってくるのが「家庭音楽」である。延の顛末の背景では、女性の自立、立身出世にとって希少な手段としての音楽と、家庭に楽園をもたらすたしなみとしての音楽というイメージが衝突を起こしている。音楽教育や楽壇が制度として確立し権威化するなかで中枢が男性で占められるようになり、後者「たしなみとしての音楽」が勝ち残ったということだろう。

 この第6章を中心に本書は読まれるとよいと思う。


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