『葬送のフリーレン』映画化を望む声も……「第一級魔法使い試験編」に続く「黄金郷のマハト編」はなぜ人気?

フリーレン「黄金郷のマハト編」なぜ人気?

※本稿は漫画『葬送のフリーレン』のネタバレを含みます。原作未読の方はご注意ください。

 3月22日の放送をもって、最終回を迎えたアニメ『葬送のフリーレン』。2期制作の発表がなかったことも相まって、SNSでは「毎週の楽しみが……」「終わってしまって寂しい」など、“フリーレンロス“に陥る視聴者が続出。早くも続編を望む声が寄せられており、アニメ2期や劇場版への期待としてあるエピソードが話題に上がった。それが「黄金郷のマハト編」である。

 「第一級魔法使い試験編」に登場した宮廷魔法使いのデンケンや、七崩賢・黄金郷のマハトを中心に展開される本エピソード。本作のなかでも屈指の人気と謳われる「黄金郷のマハト編」だが、このエピソードの存在により、読者は人間と魔族がまったく別の生き物だということを思い知らされる。

人間と魔族の共存は不可能なのか

 フリーレンはこれまで、魔族と人間は“決して分かり合えないもの”と繰り返し説いてきた。「人類と魔族は似た容姿をしていて言葉が通じるのに、本当に共存はできないのか」との問いに対して、いつも否定的な態度をとってきたのである。

 魔族のなかには友好的で、対話によって歩み寄ろうとする者もいる。しかし、元来は人食いの化け物であり、魔族にとって言葉は人を欺くためのものでしかない。殺されそうになった魔物が家族の概念がないのに「お母さん」という言葉を使うのは、自分の身を守るため。言葉の意味を理解していないが、ただ的確な使いどころだけは知っている……これこそが魔族の強みであり、人間との絶対的な隔たりだった。

人間との共存を願うマハトという存在

 残忍な魔族像が描かれるなか、人間との共存を望む稀有な存在として登場するのが黄金郷のマハトである。彼は滅ぼした村で出会った神父に「人を殺すことに罪悪感を持てないのは可哀想だ」と哀れまれたことで、"悪意”と“罪悪感”について考えるようになる。

 恐怖や怒り、悲しみがわかるマハトには、人類にあって魔族に欠落しているその感情が新鮮に映ったのだろう。このことがきっかけで彼は生まれて初めて人間に興味を持ち、知りたいと思うようになる。「人間を知りたい」と願う姿は、ヒンメルの死により“人間を知る旅”に出ることを決意したフリーレンとどこか通ずるものがある。

 こうして“悪意”と“罪悪感”を知るため、マハトは殺戮を繰り返していくが、何の感情も湧いてこない。魔族にとって人を殺すことは生まれ持った習性であり、人間に置き換えると食う寝るに等しいほど意思を必要としない行為だからだ。だが、それが親しい者ならどうだろう。そう考えたマハトはその後、城塞都市ヴァイゼの領主グリュックと手を組むが、彼らは悲運の道を辿ることになるーー。

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