【連載】速水健朗のこれはニュースではない:ヤンキーとリアリティー番組
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として、最新回の話題をコラムとしてお届け。
第2回は、三谷幸喜の映画『清洲会議』の権力の構図から、Breaking Downの朝倉未来の立ち振る舞い、そしてリアリティー番組の考察にまで話が及ぶ。
権力とは構図である
入り口は、古い話。織田信長は、天下統一目前にして死ぬ。このときに残された織田の家臣たちには、柴田利家、丹羽秀長、佐々成政、池田恒興、前田利家、滝川一益、そして羽柴秀吉とそうそうたるメンツだ。戦乱の時代なのだから決着は、即、争いで決めるという流れにはならない。まずは会議。それが、天下分け目の清洲会議だ。これは三谷幸喜が映画化している。
会議の話と見せかけ、会議の前に始まる駆け引きや根回しの話。現代の飲み会だって駆け引きはある。よくいるのは少し遅れてくる奴。序盤の盛り上がらない場面をスルーできるし、登場人物として目立つことができる。でも遅れすぎると、楽しい場面を見逃す。人気があるのは、5分程度の遅刻。それを狙う奴が多すぎて、定刻に誰もいないなんてこともある。滝川一益は、清洲会議に遅刻する。
ともあれ、三谷映画では、会議の場の機転一発で、秀吉に天下が転がり込んでくる。彼は、信長の孫でまだ赤ん坊の三法師を抱いて会議の場にやってくる。その瞬間、大広間の家臣たち全員が彼にひれ伏す。実際には三法師に頭を下げるのだけど、結果、秀吉に頭を下げているのと同然なのだ。権力とは構図である。この場面は見事。
機転や知恵で立ち回り、トップの座に着く。これはヤンキー漫画的である。ヤンキー漫画でも、実は喧嘩を描くのは三流。戦わずして、権力を得て上り詰めていく奴が偉い。スピード出世と機転と運の良さ。秀吉の魅力とヤンキー漫画の三大要素が絡み合う。飲み会に5分遅れてくる小物は、おととい来やがれ。
Breaking Downの空気読み
Breaking Downにおける朝倉未来の立ち振る舞いに、いつも見入ってしまう。Breaking Downは、喧嘩自慢たちを集めた格闘技の大会だが、オーディションこそメインだ。会場のひな壇にレギュラーのメンバーが20人ほど並んで、その真ん中に朝倉未来がいる。オーディション出演者たちは、自己PRをするため誰かに突っかかっていくが、朝倉に突っかかっていく奴は希だ。不思議とそうはならない。絡まれやすいレギュラーメンバーがいつも絡まれる。かつてのこめおのポジション。そして、朝倉は乱闘に加わることは絶対にない。手や口は出さない。どこかのタイミングで「じゃあ次の人どうぞ」とクールに言い放つのみ。それを見るのがBreaking Downの楽しみ方である。このタイミングの良さのみで朝倉は、特権的な立ち位置を強めていく。
どの大会のオーディションだったか、オーディションの場でバン仲村(一番好きなキャラクターだ)がこう言った。「おいSATORU、こいつをつまみ出せ」。一瞬、SATORUはむっとする。彼はバン仲村の子分ではない。だが、この場所で雰囲気を読み、つまみ出す訳を演じた方がおもしろい。そう踏んだであろうSATORUは、バウンサーの役割を見事に果たした。どんな凶暴そうに見える奴らでも、この場では空気を読む。そして、SATORUをあごで使ったバン仲村は、ヤンキー漫画のコミュニケーションを完璧に理解している。Breaking Downは、こうした空気を読む能力があるものたちが中心となり回っていくのだ。
精神科医の斉藤環は、ヤンキー漫画では、努力して強い奴より、最初から何もしなくても強いやつが最強であると指摘した。すぐに例が浮かばないが、『東京リベンジャーズ』のマイキーなんかはそういう感じである。訓練を経て強くなるのでなく、生まれつき強い。そして、権力闘争の2回戦、3回戦をうまく回避しながら、決勝トーナメントに進出していく。
斉藤環のヤンキー論には、別のバージョンもある。要約するが、ヤンキー同士は「あいつは本物だけど、俺はなんちゃってで怖い人のフリをしているだけ」と互いに思っているという。全員が自分は違うけど、他の奴は本物のヤンキーと思っている世界。この世界に本物は誰1人いないということ。ヤンキー漫画にもBreaking Downにも共通する話。リアリティー番組的でもある。