森見登美彦「本当に不思議なものは自分の内面にしか存在しない」名探偵シャーロック・ホームズとともに見つけたもの

森見登美彦、ホームズを通して描いたもの

本当に不思議なものは自分の内側にしか存在しない

――ワトソンのもがきも、よかったです。ホームズが謎を解かなくなったら、ワトソンも小説を発表できなくなるし、ホームズなしでは価値のない自分という現実に向き合わざるを得なくなってしまう。でも、「この人がいてこその自分」であっても別にいいんだと彼が肯定していく過程は、読者のことも救ってくれるんじゃないかなと思いました。

森見:たしかにワトソンも「小説を書けなくなったら自分はもう終わりだ」と、ある意味でスランプに陥っていますよね。物語の前半では、ホームズのスランプによって、みんなが自分の存在価値を見失いかけていたけれど、最終的に誰しもにとってよい形に着地できたのはよかったなと思います。あんまり、意識していなかったけど。

――心霊主義団体が登場していたのもよかったです。ヴィクトリア朝時代はオカルトがブームでしたし、晩年のコナン・ドイルも心霊主義に傾倒していましたし。

森見:ホームズをミステリーとしてではなくファンタジーとして描く以上は、心霊主義を避けてはとおれないだろうな、と。ただそれは、この物語における“解けない謎”……〈東の東の間〉とは別の、むしろ対立軸にあるもので。世の中には、本当の不思議とそうでない不思議があるということも書きたかったのだと思います。

――そうでない不思議?

森見:基本的に私は、本当に不思議なものは自分の内側にしか存在しないと思っているんですよ。ホームズのスランプとも繋がっている〈東の東の間〉はまさにそういうものです。。でも心霊主義は、なにか不思議なことがあったときに、外側に答えを見つけ出そうとして人が生みだすものだと思うんです。そういう、心霊主義的なものを、私はまったく信じていません。自分の妄想のなかでならいくらでも不思議なことが起こりうるし、神秘的なものも存在すると信じられるけど、この世にはおばけが存在します、みたいなことについては懐疑的ですね。

――だから、〈東の東の間〉と心霊主義団体を対立軸に。〈東の東の間〉の存在に『竹取物語』まで関わっていると明かされる流れは、かなり驚かされました。さすがヴィクトリア朝京都。見事な融合だなと。

森見:〈東の東の間〉が存在するのは洛西という設定だったので繋げてしまいました。だいぶごちゃまぜにしちゃった感がありますね(笑)。ただ、昔から竹林には、「向こう側に連れて行かれる」というイメージがあって、日常と“本当に不思議なもの”との境界線を表現するのに、これほどぴったりな存在はないと思いました。その向こう側からどうしたら帰ってこられるかを、この作品では描かなくてはいけないな、とも。

――『熱帯』とは異なる結末を迎え、なにか変化はありましたか?

森見:今はまだ、本当に戻ってこられたのか、よくわからない(笑)。でも、自分の内側にあるものを突きつめていく作業というのは、ある程度、底をついた感じがします。ホームズと一緒にこれ以上行けないところまで行ったからこそ、ある種「あきらめ」がついた。今後はやり方を変えなくてはいけないでしょうね。もっとでたらめなエンターテインメントに回帰するしかないんじゃないかな、という気はしています。

――え、読みたい!……でも、何年後になるんでしょう(笑)。

森見:もうそんなに長期間悩みたくないので、なるべく早く出したいですけどね(笑)。「小説とは何か」とか、「自分とは何か」とか、そういうことを書こうとしてきたけど、そうするとどうしても『熱帯』や今作のようにヘンテコなものになってしまう。どうすれば読者にとっておもしろい小説になるか、その瀬戸際で悩む作業はもうさんざんやったので、次からはもうちょっとわかりやすいものを書きたいです。でも、まあ、分かりません。もしかしたらまた急に哲学的なものを書きたくなるかもしれない。

――それも読みたいですし、『恋文の技術』で〈恋文を書こうと思うな〉という格言があるように、哲学を真正面から掘り下げることをやめるからこそ浮かび上がってくる哲学がある気がするんです。あくまでエンタメにこだわりつつ、キャラクターを通じて哲学を掘り下げる森見さんの小説だからこそ描けるものがあって、それが読者の心を打つんじゃないかなと思います。

森見:なるほど。私小説を書いているつもりはありませんが、私は常に「自分」を書いてきたと思うんです。でも直接的に「自分」を書こうとすると、かたちにならないんですよね。思いきり力こぶを作って挑もうとすればするほど「自分」の謎がどんどん深まり、とらえられなくなっていくんです。本当は、おっしゃるように、別のものを書いていたら自然と「自分」が描けていたというふうであるのがいい。だからこそ……くりかえしになりますが、この十年とはちがうやりかたで、小説にとりくまねばなと思いますね。どんなものが生まれるのか、まだわからないけれど、次へ進むためのヒントはホームズと一緒に見つけられた気がします。

■書籍情報
『シャーロック・ホームズの凱旋』
著者:森見登美彦
価格:1,980円
発売日:2024年1月22日
出版社:中央公論新社

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