『キングダム』さらに深まる歴史大河としての魅力 70巻で描かれた法家・韓非子の議論とは
中国の春秋戦国時代を舞台に、史実と脚色を巧みに織り交ぜてストーリーを紡ぎ、人気を博している漫画&アニメ『キングダム』。ダイナミックな合戦のみならず、各国の特性や思想的背景も含めて細やかに描かれており、文官たちの戦いが物語を奥深いものにしている。
中でも最新の70巻にて描かれている「韓非子」の活躍は、非常に興味深い内容となっている。韓非子は儒家の師を持ちながら法家に転身し、後世に大きな影響を与えた偉人だ。作中では、儒家から離れた身ではあるが、儒家の永遠のテーマといえる性善説/性悪説(人間の本質は生まれながらに善、または悪とする説)について、主人公の信(李信)と討論を行っていた。
これまで様々な修羅場をくぐり抜けた信が、自身の考えについて戦場以外で語るという名シーン。「人は生まれながらに善か悪か」と問われた信は、「善や悪より大切なものがある。命の火と思いの火だ」という、戦場に生きる将としてより本質的とも言える答えを導き出し、韓非子を含め多くの人物が驚きを見せていた。
そもそも儒家とは、孔子が祖とされる思想/学問である儒教/儒学を修める学派/思想集団のこと。性善説・性悪説については多くの儒家が研究に取り組んでおり、宗教という区分ではなく、現代的にいえば「道徳」や「モラル」に近い領域を対象としてきた。
対して「法」は、現代のように社会秩序を保つため、道徳的な観点も含めて制定される強制力の高いルールだ。作中での法家は、この法の内容や量刑が適正かどうか研究しているものが当てはまる。韓非子が最後に残した『韓非子』は、生涯をかけて研究した、法のあるべき姿が書かれたものだ。
『韓非子』には具体的な法が書かれているわけではなく、ストーリー仕立てに「こういうものは立場を利用したやり過ぎた行為」というように、さまざまな例を記述。人を悪として捉えた内容が多いことから、作中でも韓非子が嬴政に話していたように、「人を信じることを前提とした法では必ず腐る」という性悪説に依った軸がある。また、いかなる状況においても、法は王であっても覆せないものと定めていることから、法による統治は独裁的な王政の終わりを意味していた。