プチ鹿島がアントニオ猪木から学んだこと 「スーパースターは自ら多くを語らない」
考え続けることが真の教養を身につけるための第一歩
ーーー猪木さんの試合は謎掛けが多いですし、その答えを自ら明かすことはなかったですね。プチ鹿島:何も言わないというのも、色気があるじゃないですか。長州さんもおっしゃってましたが、スーパースターは自ら多くを語らないんです。だからこそ、鑑賞者側に語りがいがある。
最近はプロ野球選手がSNSで「実はこういう意味であのボールを投げたんですよ」と正解を言ったりする。それは競技としてはアリかもしれないです。でも、プロレスはスポーツの物差しだけで測れるものではなく、また違う味わいのあるジャンルなので、誰かが「これが真相です」と言ったら面白さも半減してしまう。答えを出さないというのは、猪木さんの素晴らしさでもあったし、僕らがそれをああでもないこうでもないと考えることが、教養を身につけるための一つのきっかけになったんじゃないかなと思うんです。
ーー猪木さんについて考えることが、教養を磨くことにも繋がってくる。
プチ鹿島:10年前に『教養としてのプロレス』という本を出しましたけど、その時もアンチテーゼとして、あえて「教養としての」というタイトルを付けました。こういうタイトルの本は大体「これ1冊読めば、このジャンルのことがざっくりとわかりますよ」というのが売りじゃないですか。 でも、僕は教養ってそんなに簡単に手に入るものなのかという疑念があるんです。本当の教養は、本を1冊読んで終わりじゃなくて、他の本も読んでみよう、調べてみようという積み重ねによって培われていくものじゃないでしょうか。猪木さんで例えると、もう1回あの試合を見てみようとか、毎日毎日繰り返し考えることで、ようやく身につくものだと思うんです。今日はこう思ったけど、明日は違うかもしれない。でも、そうやって考え続けることが真の教養を身につけるための第一歩なのかなと。
ーーまさに、鹿島さんが考え続けた過程が『教養としてのアントニオ猪木』には詰まっています。
プチ鹿島:汗をかいたり、めんどくさいことをすることで初めて身につくものってあると思うんです。 どんなベテランの野球選手でも、ずっと素振りをするじゃないですか。トレーニング機器は発達してるかもしれないですけど、やっぱり素振りで身につくものがあるからだと思うんです。僕が新聞の読み比べをするのも、自分にとっては素振りだと思っているし、その大切さを自分にも言い聞かせてます。
この本を読めば読むほど「猪木さんって面白いな」と感じていただけることには自信があるんですけれど、 これで全てをわかったつもりにはなってほしくないし、わからないだろうなとも思う。「猪木さんって面白い。もっと自分でも調べてみよう」という、興味のきっかけになれば嬉しいですね。
■書籍情報
『教養としてのアントニオ猪木』
著者:プチ鹿島
価格:1,870円
発売日:10月18日
出版社:双葉社