『盾の勇者の成り上がり』歪んだ主人公・岩谷尚文はなぜ支持された? 『異世界かるてっと』メンバーと比較検証
そうした状況からひとり外れて底辺であえぐ尚文の存在が、選ばれたからといって絶対者として振る舞える人間ばかりではないことに気づかせてくれる。剣や弓や槍の勇者たちが実に勇者らしく、公明正大な振る舞いをしていたら、尚文の苦闘など誰からも無視されただろう。もっとも、人間はなかなか真の意味での勇者にはなれない。天狗になって鼻を折られるのがオチで、それよりは底辺から這い上がって成功を掴む方がカッコ良いと思わせたかった。『盾の勇者の成り上がり』にそんな意図があったとしたら、尚文にだんだんと集まって来た賞賛と、繰り返しアニメ化される物語への支持が成功を証明している。
そもそもが剣や弓や槍といった攻撃のための武器ではなく、盾という防具を象徴する勇者を主人公にしたことが、下克上をして成り上がり成功をつかむ逆転劇への興奮を誘って離さない。転生・転移からの無双こそがこうしたジャンルの隆盛を呼んでいる要因といった声もあるが、見渡すと実はそうした作品は多数派ではない。“かるてっと”も『このすば』はクズとなり『Re:ゼロ』は死を何度も体験させられ『オーバーロード』は魔王の側に立って人類と戦う。
“かるてっと”で残っているカルロ・ゼン『幼女戦記』も、同僚の逆恨みを買って殺されたサラリーマンが、強い魔力を持った女の子として生まれ変わり、幼くして戦場に送り込まれて命がけの戦いを強いられる。強くはあっても無双などしていない。それでも各作品がヒットしたのは、苦悶し苦悩し苦闘することで道を切り開ける可能性に触れさせてくれたからだ。異世界転生・転移などあり得ない現実の中で、やり直すための方法を感じさせてくれるところが、共感を呼んでいるともいえる。
『盾の勇者の成り上がり』の尚文もまた、タイトルにあるように最底辺からの成り上がりぶりが痛快さを誘いつつ、やり直しの可能性を示してくれたから支持された。歪んでいても捻れていても、根底には悪人になりきれない優しさを残していることが分かって、いっしょに歩んでいきたいと思わせたから人気となった。テレビアニメの第2期で尚文たちの前にたちふさがったキョウが、同じ転生者でありながら現実世界での鬱憤を晴らすかのように悪逆非道な振る舞いを取り続け、滅び去っていった展開を対比として示すことで、どう生きるべきかを悟らせてくれた。
単行本で10巻以降を描く第3期に入って、異世界は霊亀に続く異世界の守護獣、鳳凰を相手にした凄絶な戦いへと突き進んでいく。女性や他人への不信感を少しずつ薄めて、仲間を主従関係とは違った見方をするようになっていく尚文に自分を重ねて、困難な壁を突破する方法を探る展開を味わえそうだ。
原作ではさらに先を行く冒険が行き着く先で尚文が元の快活さを取り戻せた時、よく頑張ったと尚文を讃え、それこそ"異世界くいんてっと"の顔として祭り上げたくなるかもしれない。さらに作品が加わって、『慎重勇者~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~』の竜宮院聖哉がセクステットに加わっていても、岩谷尚文の勇者ぶりは唯一無二のものなのだから。