菅田将暉演じる久能整をブロッコリー呼ばわり? ノベライズから紐解く映画『ミステリと言う勿れ』の見どころ
旧家の莫大な遺産を継げるとあって、起こりそうだと想像されるのが血みどろの後継者争い。そして実際に、狩集家での遺産相続ではいつも必ず死人が出ていることを汐路に教えられ、整は「『犬神家の一族』……」とつぶやく。さあ猟奇事件の始まりだ。さっそく誰かが殺されて庭の池に頭から突き刺されるに違いない。そんな妄想も浮かぶシチュエーションだが、そこは『ミステリという勿れ』。原作でもドラマでもたびたび描かれて来たように、面倒な性格の整が減らず口をたたいて厄介がられる描写が挟まれ、ファンを猟奇から好奇へと引き戻す。
そうかと思えば、汐路を狙って上から鉢植えが落ちて来たり、いとこ同士の4人にそれぞれ課題とともに与えられた蔵を開けると、何体もの少女の人形が出て来たり、本物と偽物がセットになった焼き物が幾つもあったり、座敷牢だけが残されていたりして猟奇な雰囲気が戻って来る。加えて、プロローグで描かれた車の事故で、汐路の父親だけでなく遺産相続を争う4人全員の親が乗り合わせていて死んだ事実をつきつけられる。
やはり狩集家は何かがある。遺産相続のたびに誰かが死ななければいけないのは何かの呪いなのか。汐路たちの親は財産を狙う誰かに殺されたのか。あるいは運転していた汐路の父親が他を道連れにして死のうとしたのか。繰り出される謎を整がひとつ、またひとつといった具合に解き明かし、狩集家に秘められた過去を暴く何段構えものミステリ展開を楽しめる。原作も、映画もそんな作品になっていて、そのエッセンスをノベライズもしっかりと拾っている。
そしてもうひとつ、饒舌な整が事件に関わる人たちの心に潜んでいる傷のようなものを、同情や慰撫といった甘い言葉ではなく、合理的で根拠を感じさせる言葉によって解きほぐしていく展開も。予告編にもある、「子供はバカじゃないです。自分が子供のころ、バカでしたか?」という言葉もそんなひとつ。子供の言うことだからと侮る大人たちに気付きを与え、事態を疑心暗鬼の渦から抜け出すきっかけを作る。そうした幾つもの“刺さる”言葉をもらって帰れる映画になっていそうだ。
『犬神家の一族』めいて『八つ墓村』的な要素も含んで何人殺されても不思議はなさそうな状況ながら、ボサボサ頭の金田一耕助ではなくもじゃもじゃ頭の久能整がいれば事態はまった違う方向へと動いていく。その手腕を、その“口撃力”をスクリーンで楽しみ、ノベライズで確かめ、原作へと戻って味わい直そう。