尼崎出身の現代美術家・松田修のスラム芸術論 「エンタメ的に消費されてもいいから、観る人、読む人の心を一瞬でもつかみたい」

現代美術家・松田修のスラム芸術論
松田修『尼人』(イースト・プレス)

 兵庫県尼崎市の風俗街にほど近い地域で生まれ育ち、1980~1990年代にかけてシャレにならないド貧乏生活を体験。少年時代に2度鑑別所に入るも、更生プログラムで行った美術館でピカソの絵を見て「衝撃って言葉が安くなる思えるくらいの衝撃を受けた」後、トラック運転手をやりながら東京藝術大学に入学し、大学院を卒業。現代アーティストとして評価を得るようになった。しかし、尼崎で暮らし続ける母親は息子のことを詐欺師だと思い込んでいるーー。

 松田修にとって初の単著となる『尼人』(イースト・プレス)は、芸術のことをまったく理解できない“おかん”に向け、「現代美術とは何か?」を説明するために書かれた本だ。また本書には、超貧困生活を経て、現代アーティストとして活動するに至った松田自身の半生も克明に記されている。「貧民蜂起のためのスラム芸術論」と冠された本作について、松田自身に語ってもらった。(森朋之)

下の下の下のほうがおもろいやん

ーー『尼人』、めちゃくちゃ面白かったです。リズムがすごく良くて、1ページに1回は笑えて。とにかく読者を掴んで離さない文章だなと。

松田修(以下、松田):僕のリサーチによると、浪花節が苦手な人は「くどい」って思うみたいですけどね(笑)。そもそも僕、長い文章を書いたことがなかったんです。書いたとしても展覧会のステートメントくらいで。そんなときには必ずといっていいほど自虐的な笑いが含まれていて、(笑)だらけの文章で。ですが、『尼人』を書くときには、編集者の穂原俊二さんに「(笑)をやめましょう」と言われて。で、(笑)が欲しいときは、笑わせるような文を入れるよう苦心しました。スペシウム光線なしで怪獣と戦うウルトラマン状態……ただ、僕は芸人じゃないので。本当に笑わせるというより「ここで笑ってほしい」ということがわかる文章になっていればいいのかなと。

ーー本のなかには「これはさすがに笑えない」という本気でシリアスなエピソードもあって。どこまで深刻な状況になれば笑えなくなるのか?という境界線を行き来しているというか。

松田:それについて言うと、日本・あのときの尼崎化が進んでるような気がしています。舞踏家で俳優でもある田中泯さんが、映画『PERFECT DAYS』の記者会見で「(視聴者を)どうしてこんなに笑わせなきゃいけないのか? 泣かしたり怒らせたっていいわけだから」みたいなことを言ってましたけど、そのときも「日本全体がスラム化してるんだな」と思って。どんどん余裕がなくなって、ドラマや映画を観て怒ったり悲しんだりしたくないんだろうなと。辛い現実をちょっとでも笑い流したいっていう……まあ、僕の推測ですけど。ただ、日本全体が昔の尼崎みたいになるのは、ある意味、ちょっと楽しみなんですよ。僕の実践が活きていくるかもしれないので。治安が悪いなんていうのに僕は慣れっこだし、金!金!金!なんていう人が目立つ一方で、そうじゃない方の人たちの存在感も増すのではないかと。それをはっきりと感じたのはコロナ以降。世界中で空気が変わったと思いますね。貧困問題が目に付くようになったのも最近じゃないですか。たとえばベーシックインカムのことなんて、ちょっと前までぜんぜん話題になってなかった。しかし僕は以前からずっと、日本全体の景気がいいとか悪いとかよりも、自分の目の前にある貧困のほうが問題だった。僕のウチはバブルのときも貧乏だったし、資本主義のシステムが続く以上、バブルだろうが何だろうが貧困は必ずあって、連鎖もあるっていう。だから貧困問題が目に付きやすいいまの状況は、僕にとってはやりやすい状況とも言えます。『尼人』にあるような個人的なストーリーから、大げさに言えば、“世界”を想像しやすい状況というか。いまなら、貧困の実態のような、苦いおクスリもみんな飲めるっていうか(笑)。

ーーコロナになって、今まで隠れて見えなかった状況が露わになったことも『尼人』の背景になっているのかも。

松田:そうですね。お店にしても、個人店がなくなって、体力があるチェーン店だけが残っているので。尼崎もチェーン店とパチンコ屋ばっかりですから。風俗もそうで、「かんなみ新地」(1950年頃から尼崎に存在していた風俗街。2021年11月に全店舗が一斉廃業した)がなくなって、デリヘルがめっちゃ増えてるんです。それはたぶん東京も同じで、錦糸町とかもラブホテルやビジネスホテルが増えてて。僕の目線では「デリヘルが増えてるからやろうな」と。

ーー5月に松田さんが「トー横くさり暮らし」(新宿・歌舞伎町のアートギャラリー“デカメロン”で鎖につながれて暮らすパフォーマンス)を開催した歌舞伎町のトー横も、すごいことになってますからね。ホス狂いの女性のTikTokが人気になってたり。

松田:「どうせダメなんだったら、死ぬほどダメになったほうがいい」という気持ちはめっちゃわかります。がんばって中の下をキープするより、下の下の下のほうがおもろいやんっていう。本にも書きましたけど、大学の助成金も、中の下くらいの生活の人は申請が通りづらいんです。一方で、まったく稼ぎがない家庭の人は顔パス状態だった。学費のために何百万も借金して、卒業後にそれを返すため、「アーティストをやりたかったけど、とりあえず就職しなきゃ」って人が僕のまわりにはたくさんいた。じつは一番下のほうがまだラクって、不思議ですけどね。世代にもよっても違うと思います。たとえば僕の“おかん”世代は、「尼崎の貧困地域に住んでることを知られるのは恥ずかしい」という節があって。貧乏なのは能力や努力が不足していた自己責任問題だと思っていたりするんです。僕らはその世代よりも開き直り世代というか、「“尼”やからなんやねん」ってやれる。「(貧乏なのは)おれのせいちゃうやんけ!」って(笑)。

ダウンタウンには両義性がある

ーー『尼人』には、ダウンタウンも取り上げられています。松田さんは尼崎出身のスターである彼らを「スラム脱出の生き字引」と記していますが、「“尼”やからなんやねん」と言い返せるメンタリティは、ダウンタウンの影響も大きいですか?

松田:デカいですね。ダウンタウンももともとは自虐笑いだと思うんですよ。「(尼崎は)ほんまにひどいんやって!」という話ですけど、僕らはそこに住んでたから、ダウンタウンが話していたことを「普通のことや」と思ってたんです。大人になってようやく「ダウンタウンは擦り切れるような日常を笑いに代えてたんやな」と理解できたというか。今やダウンタウンは権威だし、批判的な人もけっこう多いですけど、僕は永遠に批判することはないですね。全部が全部いいと思ってるわけではないですけど、何ていうか、ダウンタウンには両義性があるんですよ。批判する人の気持ちもわかるんだけど、「あの人たちがいなかったから、もっと絶望してたやろうな」と思うんで。ダウンタウンがいてよかったっていうのは、尼崎で貧乏だった人は全員思ってるでしょうね。ただ、本にダウンタウンのことを書くっておかんに言ったら、めちゃくちゃ怒られました。「ダウンタウンで金儲けしたらあかん」って。現人神なんで、ダウンタウンは。でも、尼崎出身の40代である自分がダウンタウンのことに触れないのはそれこそ不自然なんで、がっつり1章書きましたけど(笑)。

ーー『尼人』は現代美術家である松田さんのことを詐欺師だと思い込んでいる“おかん”に対して、「芸術とは何か?」を説明するというスタイルで書かれています。その結果、松田さん自身のキャリアを振り返りつつ、現代アートに興味のない人にもアプローチできる本になっていますが、そのことも執筆の意図だったんでしょうか?

松田:そこは編集者の穂原さんがアドバイスしてくれたことが大きいですね。僕も書いてる途中からおかんをメタファーにすれば確かに説明しやすいなと思い始めて。おかんの向こう側に(アートに対する興味がない)たくさんの人がいるなと気付いたんです。ただ、書くのは本当に大変でした。さっき言ったように長い文章を書いたことがなかったし、そもそも僕は、自分の作品を良くするために、知識として本を読むというところから読書の習慣が付いたので、かなり打算的なんですよ。エンタメ的というか、楽しんで本を読むことはしてこなかったし、もちろん児童文学にもまったく触れてこなかったので。穂原さんに「ちょっと読んでみてください」ってエッセイを何冊か渡されて、あとは締め切りまでにがんばるだけっていう。その途中で「なるほど、おかんを説得するように書けば、アート言語を使わずに説明できるかもな」と思ったということですね。何度かおかんに電話して、どこまで話が通じるか確かめたんですよ。いきなり「アートって何や?」って言われたから、「あ、じゃあ“芸術”にしよう」とか(笑)。その結果、いろんな人に読んでもらえるというか、いろんな人に勧めやすい本になったかなとは思いますね。難しかったけど、勉強になりました。専門用語というか、共通の言葉を持つ人と話したり相談したり批評し合うと、会話がドライブして新しいアイディアがみつかることがありますが、第三者が聞いたら「こいつら、何言ってんの?」ってことがあるじゃないですか。「おかんへ」ということで、そういうことがある程度防げたように思います。かわりに、「ためになる」ような、線を引く箇所が減った気もしますが(笑)。

ーー現代アートを詐欺だと思っている“おかん”の言い分については、松田さん自身も本のなかで「芸術は、よくわからないものを説明しまくって価値づけするところがあるから、構造としては詐欺師に近い部分が確かにある。」と書いています。

松田:そうですね。「奴隷の椅子」(※)にどんな値段が付いたとか、おかんにははっきり言ってないですからね、気まずくなるから(笑)。芸術における値段にもいろいろあって、たとえば美術館やギャラリーなんかに展示したときのアーティスト・フィー(アーティストが作品を展示する行為に対する報酬)とかビックリするくらい安いんですよ。それを問題にすると、一般社会における発注元と下請けの関係だったり、「労働環境を改善しよう」みたいな話になりがちなんだけど、おかん目線で言うと、それもただただ「あんた、騙されてるやんけ」ということになる(笑)。そのほうが話が早いこともあると思うんですよね。フェミニズム運動の「個人的なことは政治的なこと」というスローガンがあるけど、この本を書いてるときに、「それっておかん目線のことかもな」と思ったり。それは僕自身も面白かったし、個人的な目線に立つことはやっぱり大事だなと。なので具体的なエピソードを書くときも、その人自身がちゃんと頭に浮かぶようにしたかったんですよね。もちろん僕を通して書くんですけど、読んでる人のなかで“おかん”が想像できれば、アートのことや社会のこと、政治的なことにもたどり着けるんじゃないかなと。おかんを生き生きと書くことはめっちゃ意識してましたね。

(※)「奴隷の椅子」/2020年に発表したビデオと椅子のインスタレーション。松田の母親が自分の人生を振り返るように語るビデオと、“おかん”が経営する「スナック太平洋」で30年近く使われていた椅子により構成。

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