『ガンダム 水星の魔女』物語を畳みに入る怒涛の“段取り展開”に違和感……スレッタとミオリネはどこに辿り着く?

 とうとうクライマックスが迫りつつある『水星の魔女』。第20話『望みの果て』では、「なにがなんでもまずスレッタとミオリネとエアリアルとプロスペラ以外の話を先に畳むぞ!」という製作陣の意志を感じた。

 前回、「フォルドの夜明け」によるテロを手引きし、サリウスが拉致された事件の黒幕がシャディクであることがついに判明。グエルとケナンジらドミニコス隊は地球からアスティカシア学園に急行し、シャディクが犯人であるという証拠を押さえようとする。しかしそこにシャディクと配下の生徒たちが立ちはだかり、両者は激しく交戦する。

 戦闘の最中、これまで軟禁してきたノレア、エラン、ニカを急に解放するシャディク。ここでノレアを解放すればガンダムに乗って学園で暴れ回ることは確実だが、それでもシャディクが逃げきれる可能性は高くない。そんな程度の確率のために学園を爆発炎上させ多くの生徒を巻き込む男、それがシャディクなのである。所詮彼にとっては、アスティカシアというのはその程度の存在だったのだろう。

 そのあたりの「シャディクの中でのアスティカシア学園の存在の軽さ」みたいな部分はけっこうグッとくる。しかしなんだか20話は、「話を畳まなければならない」という目的のために急にキャラクターが動き出した感が強いエピソードだったように思う。

 急にスレッタに親切にしたと思ったら急にラウダとのデートの話を始め、そしていきなり死んだ(かどうかはまだわからないが)ペトラがいい例だろう。一応ジェターク寮の学生は地球寮の学生に感謝しているという描写はこれまでにあったものの、1話の中でフラグを全部立てて全部回収してしまうというのは、なんだかずいぶん忙しない。

 グエルが「乗っている機体自体を犠牲にするが、最終的に敵の手足を全部破壊して行動不能にする」という、絶対に決闘では使えない戦い方でシャディクに辛勝するのは、一足先に地球でリーサルな戦闘を経験して成長したグエルの姿としては説得力があった。しかし戦闘シーン自体はモビルスーツでぶつかり合いながら互いに言いたいことを怒鳴るという「いつものガンダムのやつ」であり、リーサルな戦闘の恐怖感も描いていた『水星の魔女』ならではという要素は少なかったように思う。

 他にも、電話があった直後に地球寮メンバーの前に出現するニカ、いきなり床から生えてくるデミバーディング、徹頭徹尾感じられない教師や学校関係者の存在、そもそも金持ちやエリートの子女であるアスティカシアの学生がテロリストのモビルスーツと直接ぶつかる展開への違和感など、全体的に突っ込みを入れなくなるような部分も多かった。なんというか、ちょっと今までに比べると雑で駆け足に感じられたのである。

 個人的にあんまりピンとこなかった点ということで言えば、エランこと強化人士5号が急にノレアへの思い入れを発揮した展開も、「そうなるか〜?」という気持ちになった。これは自分の読解が足りなかったのかもしれないが、あの5号が捨て身になってまでノレアのために体を張る動機が、いつ発生したのかよくわからなかったのである。立場の近さから多少の親近感はあったかもしれないが、あれだけ自分のことしか考えていなかった5号があそこまでアクティブな行動を起こしたのは、これもちょっと段取り感が強いように思う。

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