『シン・仮面ライダー』は“継承の物語”なのか 庵野秀明が表現していたのは"正義の心"?

※本稿は、『仮面ライダー』(石ノ森章太郎)、および、『シン・仮面ライダー』(庵野秀明監督)のネタバレを含みます。両作を未読・未見の方はご注意ください。(筆者)

 庵野秀明脚本・監督による実写映画『シン・仮面ライダー』(原作・石ノ森章太郎)。公開直後から賛否両論さまざまな意見が飛び交っている問題作だが(興行収入20億円突破のヒット作でもある)、個人的にはとても面白く観させてもらった。

 ライダー(バイク乗り)というキャラクターの特性を活かしたロードムービー風のハコ書きも良かったが、主人公・本郷猛の成長譚であると同時に、ヒロイン・緑川ルリ子の物語にもなっており、その点も面白いと思ったのだ。

 ちなみに、以下に引用するのは、庵野秀明による映画のための最初のメモである。

「シン・仮面ライダー」メモ 2016 01/08 庵野秀明

石ノ森版の世界観をベースにした映像。
ショッカー初の外骨格装着型の改造人間。

Aパート。蜘蛛男。
Bパート。蝙蝠男。
Cパート。コブラ男。蛇女。
Dパート。13人の蝗虫男。

 なるほどこのメモを見てみると、企画の初期段階においては、庵野監督は、石ノ森章太郎の漫画版の前半部分をそのまま映像化しようと考えていたようだ。

 だが、すでに映画をご覧になった方はご存じのことと思うが、完成した『シン・仮面ライダー』では、コブラ男と蛇女は登場せず(前者は名前のみ出てくる)、その代わりに、サソリオーグ、ハチオーグ、カマキリ・カメレオン(K.K)オーグ、チョウオーグなどが“追加”されており、こうした「怪人」側の大幅な変更は、先行作である『仮面ライダー THE FIRST』(長石多可男監督)との重複を避けるという意図もあっただろうが、それ以上に、物語全体を「緑川ルリ子の視点」で動かすためだったかもしれない。というのも、前述のオーグメント(ショッカーの改造人間)のうち、ハチオーグとチョウオーグはルリ子と近しい関係であるため(前者は友人のような存在、後者は兄である)、物語はおのずと彼女を中心に動いていくことになるのだ。

『仮面ライダー』とは、“継承の物語”である

 さて、漫画版『仮面ライダー』は、テレビ版の原作者でもある石ノ森章太郎が、1971年、「週刊ぼくらマガジン」(16号〜23号)と「週刊少年マガジン」(23号〜53号)にて連載した作品である。

 主人公は、本郷猛と一文字隼人。いずれも世界征服を企む悪の組織「ショッカー」によって肉体を改造された青年だが、前者は、脳を改造される直前に恩師・緑川博士(ルリ子の父親でもある)の手引きで逃げられたことから、後者は、ある事故がきっかけで洗脳が解けたことから「仮面ライダー」として、名もなき人々を守るためショッカーと戦う決意をする。

 ちなみに、作中でこの2人が共闘する場面はほとんどなく、というのも、実は漫画版の本郷猛は、物語の中盤で、複数のバッタ男(悪の仮面ライダーたち)によって射殺されてしまうからだ(一文字隼人もその時の敵のライダーの1人だったのだが、前述の事故のため、戦いの場からはいったん離脱していた)。

 これはテレビ版にはない、かなり衝撃的な展開といっていいだろうが、後に“人間らしさ”を取り戻した一文字は、本郷の亡骸[註]を前にしてこう宣言する。「これからおれが本郷猛になる……かれの遺志をついで……おれが……大自然の使者・仮面ライダーになる!」

 そう、この“継承”の力――すなわち、緑川博士から本郷猛へ、そして、本郷猛から一文字隼人へと受け継がれた“正義の心”こそが、(仮面の下に隠された“改造人間の哀しみ”とともに)漫画版『仮面ライダー』を最初から最後まで貫いている大きなテーマの1つだといっていいだろう。

 たぶんそのことを、庵野秀明は充分理解していた。だからこそ、彼が撮った『シン・仮面ライダー』には、観る者の胸を打つ力強い“何か”があるのではないだろうか。

[註]たしかにこの時、本郷猛の肉体は滅びたのだが、特殊な装置によって脳は生かされ、以後、精神的な存在として一文字隼人をバックアップするようになる。また、最終回では機械の体を与えられ、一文字と共闘する。

※本文中に引用した庵野秀明監督のメモは、(株)カラー2号機のアカウントより、2023年5月21日のツイートを参照しました。(筆者)

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