杉江松恋の新鋭作家ハンティング 今すぐ読むべき驚愕のタイムループ小説『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』

『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』の衝撃

 なんだなんだすごい小説だなと思って読んでいると、第三話「ブレスレス」でさらに驚かされる。これは前の二つともまったく違う話で、スポーツ小説なのだ。主人公の〈ぼく〉は総合格闘技の王者である。この競技にはルールで計量が義務付けられている。計量を通過すれば試合までに体重を増やしても大丈夫だ。もしそれが前日に行われるのであれば、当日までの過ごし方が勝敗を分けることになる。だが、ループする世界においては前日計量が成立しない。そのために無差別級の試合が一般的になり、というところから主人公の格闘技に賭ける思いが描かれていくことになる。

 これだけでもすごいのだが第四話「イノセント・ボイス」ではさらに物語世界が拡張されることになる。視点人物の〈おれ〉はジャーナリストだ。彼が見ているのは残酷な世界、些細な理由で人が人の命を奪うことが横行している現実である。時間の繰り返しによって生み出されたのは、それまでの常識が通用しない状態、つまり非日常の世界だった。当たり前の書き手なら、それだけで満足するだろう。だがこの作者は、〈おれ〉にその非日常を見聞させることにより、鏡像としての日常、つまり読者が暮らしているこの世界までも描こうとする。当たり前に明日が来るこの世界の、当たり前ってなんだろうということだ。

 来ると思っている明日がもしかすると来ないかもしれないと思うことで、では今日とはなんだろうと人は考える。足を止めて考える。『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』の作者も同じことをしているのだが、そこに逆説的な前提を入れてみせる。ループが起きている世界では明日が来ないのが当たり前になっている。では、もしその来ないはずの明日が来るとしたら。明日は誰にでも来るはずと思っている読者にとって、それはとてもねじくれた問いに見える。でも前提を疑うという意味では同じことなのである。そうした形で作者は読者に問いかける。その問いは地球を一周して、読者の後ろから飛んでくる。どーんと人差し指で背中を突かれる。びっくりするだろう、それは。

 最後の第五話「プリズナーズ」で語り手はひらがなの〈わたし〉になり、第一話の〈私〉も登場して円環は閉じる。完結した一つの世界として話を終わらせることも可能だったと思うが、作者はこれが物語として書かれたという事実を強調する形での幕引きを選んだ。読むことによって誰もが物語に参加できる。逆に言えば物語の語り手は、その読み手の誰であってもおかしくない。そうした、開かれた小説に自作がなることを望んだのである。すべての物語を愛する人とつながりたいという意志の表れであろう。宮野優が物語の世界に参加した。ようこそ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる