『シガテラ』は不穏な時代を予見した漫画だったーー失うものが何もない「無敵の人」の描き方

『シガテラ』が予見した不穏な時代

 中でも圧巻だったのが、一人暮らしを初めた南雲の近隣で暮らす39歳の男の描き方だ。自分は胃ガンで助からないと思い込んだ男は自暴自棄となり、夜中に南雲を襲おうと包丁を持って待ち構える。だが、男は南雲を襲うことは止めて、マンションの屋上から飛び降りる。男が南雲を襲おうとしていたことも自殺したことも、荻野と南雲は知らず、読者だけが幸せな二人の知らないところで、悲劇が起きたことを知らされる。

 39歳の男の顛末のような本編と無関係に見える後味の悪いエピソードが唐突に挟み込まれるのも『シガテラ』の特徴だ。連載で読んだ時は、ただただ唖然とし「なんでこんなエピソードを入れたのだろう?」と困惑したが、今読み返すと、社会的に失うものが何もない「無敵の人」が自暴自棄になって起こした事件に触れた時に感じる「嫌な感じ」を、先取りして描いていたように感じる。

 『ヒミズ』の住田も「普通の人生」から転落してしまった後、「自分より悪いヤツを殺そう」と包丁を持って街を徘徊するようになる。つまり、「無敵の人」になってしまった人の悲劇を描いたのが『ヒミズ』で、『シガテラ』以降の作品では「無敵の人」にならずに現実に着地する方法を、古谷実は模索していたと言えるだろう。

 残念ながら、2016~17年に連載した『ゲレクシス』(講談社)を最後に古谷実は新作を発表していない。現代の暗部に突き進んでいくストイックな作風ゆえに行き詰まってしまったのは仕方ないが、『ヒミズ』以降の作品が次々とドラマ化、映画化されている状況をみると、今こそ古谷実の新作が求められているのではないかと思う。

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