高知東生のデビュー作『土竜』は芸能人の余芸にあらず “小説家の小説”たらしめた創意工夫

高知東生の小説『土竜』がおもしろい

 書評の目的が本書への注意を集めることだけならば、この「リラ」と、竜二の関係者が彼について語っていくという「梔子」に言及するのが手っ取り早い。離婚と薬物所持でいったんは破滅を味わった作者の現在の姿が描かれているように見えるからだ。「梔子」に登場するある俳優は、竜二をかばい「叩くだけの報道なんか無意味だし、腹が立ってしょうがねえ」と怒る。そうした箇所だけを見ると本書が身勝手な自己憐憫、都合のいい自己弁護のために書かれたものと思われかねない。だからこそ、過去篇を先に読んでからこの現代篇に目を通してもらいたい。「昼咲月見草」を読んでから判断してくれ。

 気を付けて読むと、各篇には共通した主題がある。ろくでもない生き方をする男たちと、彼らを暖かく見守る女たちという構図だ。これはそういう小説なのである。自分が今あるのは母をはじめとする女性たちに支えられてきたからだ、という感謝の念が小説の基部にある。男は馬鹿で賢いのは女、と書いてしまうとありふれた話に見えると思うが、それをさまざまなストーリーで描いたことが本書の優れた点なのである。

 高知東生の作家デビューを寿ぎたいと思う。芸能人が書いたからではなく、しっかりとした小説だからだ。作家デビューにもいろいろな形がある。新人賞の競争を突破したわけではない高知に、下駄を履かせてもらったからだと陰口を叩く人もきっといるだろう。しかし読んでから言ってもらいたい。『土竜』は芸能人の余芸にあらず。これは小説家の小説だ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる