GL漫画の名手・シギサワカヤの魅力 痛くてほろ苦い描写に抜け出せなくなる高い中毒性
シギサワカヤのGL(ガールズ・ラブ)を初めて読んだときの衝撃は、ボディブローを食らったように今でもよく覚えている。
年に3回発行さるマンガ誌『楽園 Le Paradis』(白泉社)第4号に登場した短編GL「エンディング」だった(その後コミックス『誰にも言えない』に収録される)。「エンディング」は一組のカップルの別離を仔細に描き出した短編だ。その描写の緻密さに私は感嘆のため息と、「エンディング」で描かれる別離に至る不可抗力にひとり涙した。
「エンディング」から12年が経つ。多くのラブ(だけではなく人間のどうしようもないさがが加わる)・ストーリーを描く名手であるシギサワ。2018年に著者初のGL作品集『君だけが光』を刊行。そして22年12月にシギサワの第2GL作品集が『さみしさの音がする』が発売された。
シギサワは2004年『憐 Ren』(角川スニーカー文庫)の挿絵およびマンガでデビュー。先に紹介した『楽園 Le Paradis』の表紙を創刊号から担当している。代表作は『ファムファタル 〜運命の女〜』(メディアワークス電撃コミックス 全3巻)、『お前は俺を殺す気か』(白泉社楽園コミックス 全5巻)、『初恋ディストピア』(白泉社楽園コミックス 最終巻が23年1月に発売予定)など。2月からは『楽園 Le Paradis』にて『女神の疵痕』の新連載が控えている。
シギサワのマンガの特徴は「胃が痛くなる」に尽きる。主人公の不遇さと主人公が不条理に振り回される様は読んでいて愉快……ではなく、男性諸君にとっては切実に胃が痛くなるものであろう。GL作品でもほろ苦い作品が多い。痛かったり苦かったりと忙しいが、シギサワのマンガを読めば多くの読者は「中毒」になるだろう。私もそのひとりだ。
今回紹介するシギサワカヤの『さみしさの音がする』は北の田舎に住んでいて実家が温泉宿を営んでいる貴佐と、大学進学のために貴佐の住む北国に来た詩子が話の中心となる。
貴佐は大学卒業をしたら実家を継ぐことになっている。詩子は大学を卒業したら東京に戻ることになっており、貴佐と詩子は6か月間だけ猫と一緒に住んでいた。そして社会人になると詩子は「出張」と称して、年一回、貴佐の住む北の町の地を踏むのだった。
好きだから
手を離した大丈夫
今でも
好きだから今
泣いている
アンタを抱きしめたりは
しない
『さみしさの音がする』の第1話の最後のモノローグだ。これだけで喉元が締めつけられる。大人になって貴佐も詩子も互いへの想いは変わらなかった。しかし厳しい偏見の眼差しや、両親からの期待、そして東京からの圧倒的な距離。それらが易々とふたりの想いを踏みにじる。
「でも」じゃない
アナタと
違って
私はこの地で生まれて
この地で生きて
この地で死ぬその為に
“お客様”に
頭を下げて
微笑っているのだからもう
放して
貴佐は詩子を忘れようと努力していた。それでも詩子への想いは葬り去ることはできない。
覚悟なんて
無かった足りなかった
あのひとを
失って更に
この仔を
失ってそれでも まだ
生きてるなんて
貴佐が国道沿いで怪我した猫を拾ったときのモノローグだ。先述の通り貴佐と詩子はふたりで住んでいるときに猫を飼っていた。その猫はFIV陽性で短命だった。詩子の喪失で貴佐が失いかけた現実感を猫の「ふーちゃん」が繋ぎとめていたのだ。そのふーちゃんが逝ってしまった。それでも生きているってどういう意味だろう、生きるって何をすればいいのだろう。貴佐はそんな想いに駆られたに違いない。
詩子は年一回、木佐の営む温泉宿に「出張」で泊まることに、文字通り命を賭していた。
私を
この年に一度の出張から
降ろそうとする人間は排除する
事にした使える要素
全て使って使えない奴は
全部潰す年に一度
貴女に
会うために私は
上記は詩子の台詞だ。詩子も必死だった。
きっと貴佐への負い目もあったのだろう。しかしそれだけではここまでの行動はしない。詩子もまた貴佐のことを想っているのだ。
ふたりの行く末はぜひ『さみしさの音がする』を読んで確認して欲しい。シギサワは絶対にあなたの期待を裏切らないだろう。
シギサワは異性愛と女性同性愛を両方描く。シギサワのマンガを読んで「胃が痛くなる」のは、登場人物たちみなに恋愛やそれを取り巻くものに切迫感があるからだ。多くの選択を迫られ、緊張する。それが恋愛の醍醐味でもある。それが生身の身体にダイレクトに接続されるから胃が痛いのだ。
『さみしさの音がする』のあとがきでシギサワは以下のように書いている。
既刊『君だけが光』においてもそうでしたが、GLは特に「一生」というテーマで描いております。
シギサワのこの後書きで私は合点がいった。短編「エンディング」も、そして今回ご紹介
した『さみしさの音がする』も、女性が女性を愛するとき、好きだけでは片づけられない様々な感情がある。それに加え親族との関係や社会のあり方が感情ともつれ合う。それが延々と死ぬまで続くのだ。
「一生変わることのない感情」はない。しかし「好き」という感情も痛みや歓びとともに少しずつ形を変え、そのひとの「一生もの」の感情になる。そんな感情は最終的には「貴女には幸せであってほしい」というか弱い祈りのようなものなのかもしれない。それでも祈らずにはいられない。それを「恋愛」と呼ぶ以外に何と呼ぼうか。
シギサワの『さみしさの音がする』は「一生もの」の感情を魅せてくれる貴重な1冊だ。