「もののふ」たちはなぜ1000年にわたって殺し合わなければならなかったのか? 中世の争いの歴史を描く『もののふの国』

中世の争いの歴史を描く『もののふの国』

 「共通ルールを決めて、原始から未来までの歴史物語を、みんなでいっせいに書きませんか?」――そんな伊坂幸太郎の呼び掛けで始まったという〈螺旋プロジェクト〉。かくして8作家による「競作」という形で綴られることになった、この絵巻物のように壮大かつ長大な「歴史物語」の「中世」の部分を担うのが本作、天野純希の『もののふの国』だ。

 「もののふ」とは、すなわち「武士」を意味する。平安時代の後期に登場したと言われている、「戦闘」を家業とする人々だ。源頼朝によって初の「武家政権」が鎌倉に成立して以降、日本の歴史において、実に長きにわたって存在感を示し続けてきた「もののふ」たちは、いったい何に突き動かされながら幾多の戦いへとその身を投じ、そして散っていったのだろうか。本作『もののふの国』は、約1000年にわたる「もののふ」の歴史を、ある「切り口」のもと、駆け足で描き出そうという、なんとも大胆な一冊なのである。

 物語の幕開けとなるのは、10世紀半ば、坂東の地だ。自らを「新皇」と称し、東国の独立を標榜するも、「朝廷」によって討伐された平将門。戦いの中で眉間に矢を受けた彼は、その後、闇の中で不思議な「声」を聞く。「案ズルナ。オ前ハ役割ヲ果タシタ。安ラカニ眠ルガヨイ」、「モノノフノ国ガ始マル契機ヲ、オ前ハ作ッタノダ。オ前ノ戦イハ、決シテ無駄デハナイ」と。そして舞台は、約240年後の伊豆へと移る。平家を打倒すべく、挙兵を決意したばかりの頃の源頼朝だ。やがて実弟・義経との邂逅を果たした彼は、その脳裏のうちに「渦に吞まれ沈みゆく夥しい数の武者と、平家の赤旗」を見るのだった。

 しかしながら、壇ノ浦で義経に敗れて入水した「王城一の強弓」こと平家軍の武将・平教経は、そこで死んではいなかった。「オ前ハマダ、死スコトヲ許サレテハオラヌ」――海の中で不思議な「声」を聴いた教経は、四国へと逃れ、その14年後、橋供養のため相模川を訪れた頼朝の前に、半弓を携え現れるのだった。頼朝暗殺。このあたりから本作は、「記録」には書かれていない歴史の「因果」を、自由かつ大胆に描き始めるのだった。

 「源平の巻」「南北朝の巻」「戦国の巻」、そして「幕末維新の巻」という4つの括りの中で、「断章」のように次々と描き出され散ってゆく、幾多の「もののふ」たち。源氏と平氏はもちろん、足利尊氏と楠木正成、織田信長と明智光秀、豊臣秀吉と徳川家康、さらには土方歳三と西郷隆盛……彼ら「もののふ」たちは、なぜその雌雄を決するべく、殺し合わなければならなかったのか。そして、文覚、佐々木導誉、南光坊天海、坂本龍馬といった、彼らのあいだに立った者たちが果たした「役割」とは何だったのか。

 ところで、〈螺旋プロジェクト〉には、3つのルールが定められている。「「海族」vs.「山族」の対立を描く」、「共通のキャラクターを登場させる」、「共通シーンや象徴モチーフを出す」の3つだ。その中でも、最も重要なのが、時代によって形を変えながら「決して相容れないもの」の象徴として、全8作品共通のテーマにもなっている「海族」と「山族」の対立だ。そう、歴史小説家・天野純希による本作『もののふの国』は、「平将門の乱」から「西南戦争」に至るまで、約1000年にもわたる「もののふ」たちの「戦い」を、「海族」と「山族」の「対立」と「因果」によって読み解こうとする、実に大胆な一作なのだ。

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