藤岡みなみが「異文化」を捉え直して見えてきたもの 初エッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』刊行
「異文化」をフラットにしたい
――海外では現地の言葉を覚えるようにしているというのも、より「異文化」の懐に入っていける感じがします。
藤岡:生きている環境が違うということは、世界の捉え方も違うのかもしれません。言葉って、まさにそれを象徴しているもの。ただ同じものを別の言葉で表しているだけじゃなくて、概念自体が違うこともありますよね。そもそも、そこにしかない物事だってある。現地の言葉を覚えて、そこで暮らす人たちの概念や視点で世界を見てみたいという思いがあります。
――いちばん記憶に残っている言葉って何でしょう?
藤岡:そうですね……。マーシャル語の「バルンガ」かな。「私もです」という意味なんですけど、マーシャル諸島共和国に行った時にミナミさんという方がいらっしゃると知って、私も名前が「みなみ」なので、そこで「バルンガ」と言えたのはすごくうれしかったですね。
マーシャル語には、日本の委任統治時代の名残で日本語由来の言葉も多いんです。現地でよく使っていたのが「エンマン」という言葉。おそらく日本語の「円満」から来ていて、「OK」という意味です。ふだん、日本で「円満」って言葉は日常会話ではあまり使わないけど、こうして聞くとなんだかいい言葉だなと思いました。マーシャルでは、マーシャル語を通して日本語に改めて出会うような体験があって、すごく不思議な感覚を味わいましたね。
ほかにも、それまで知らなかった日本の側面にも出会いました。特に戦争の捉え方が変わったのは大きかったです。私が子どもの頃から習ってきた戦争や平和に関する教育って、被害側として戦争反対と言っていることが多かったけれど、マーシャルで加害側としての戦争というものを意識せざるをえなくなりました。社会で、どうしたら加害側に回らずにいられるかということを考えていくことが大事なのに、それがあまり伝えられていないのかもしれないと思います。
台湾など親日の国と呼ばれる国に対して、「みんな日本人が好きだから旅しやすいよ」と手放しに喜ぶのにも違和感があります。過去の出来事や加害側の背景を考慮せずに、日本語など統治の名残があることを親日だと喜ぶのって、やっぱり一つすっ飛ばしていますよね。私も無邪気に親日の国でうれしいなと思っていた時があったので、それまで自分がそうした戦争の歴史を意識せずに生きてきたことにもショックを受けました。
――大きく変わったことといえば、一時はものすごく夢中になったというシンガポールに対する印象も、現地で暮らしてみてガラリと変化していましたね。
藤岡:海外旅行って、どうしても特別視してしまいますよね。でも、そこもまた平等な目で一歩引いて考えた時に等身大の姿が見えるのかなと思っています。
このエッセイ集で「異文化」を捉え直そうとチャレンジしてきて、「異文化」の在り方として一つの理想型がシンガポールかなという仮説があったんです。多民族国家で、私にとってもすごく居心地がいいんじゃないかと思って。実際に行ってみたら、いろんな人がいるのが当たり前の空気感ってこんなに心地いいんだなとやっぱり思ったんですよね。
それで、住むつもりで再び行ってみたら、出自によって職業が分かれているのが見えてきて、分断を感じました。ただいろんな人たちがいることを認めるだけじゃ足りないんだと思い知らされたんです。一人ひとりが「差別はしない」「多様性を尊重したい」と思ったとしても、社会構造の問題があるんだなというのを実感しました。
――藤岡さんは、どんな物事に対してもフラットな目線を大切にされていますよね。
藤岡:そうかもしれないです。この本は「異文化」をフラットにしたいという願望の本かもしれない。自分が変化するほどの発見がある「異文化」の面白さを伝えたいけれど、特別視しすぎたくないという気持ちもあるんです。それは誰かにとっての普通だから、特別視することで却って壁になったらさみしい。たとえば中国出身の家族との暮らしもユニークだけどとても普通の日常です。属性で線引きをするんじゃなくて、自由な身体で行ったり来たりして視点を広げていきたいなと思います。