元祖マゾヒズム小説、令和の時代に蘇るーーマゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』新訳が示す多様な快感
プレイスタイルも単に縄で縛り、鞭で叩くだけではない。ヴァンダは奴隷契約書を用意して、不利な条件で〈僕〉をがんじがらめにする。イタリア旅行中には召使として働かせ、何か粗相があると平手打ちして教育する。それだけでなくパスポートと財布を取り上げ逃げられなくした後に、1か月の面会禁止期間を設け、ひたすら別荘の庭仕事をさせる放置プレイでいたぶる。もはやヴァンダに腕を掴まれただけでも、快感を覚えるようになる〈僕〉。その調教のエスカレートする様子をのぞき見していると、マゾヒズムの真髄には、自分たちの演じる主従関係を第三者視点で見ての「関係性萌え」に近い要素もあるような気がしてくる。
ところが2人の関係は、最後まで持続せずに破綻を迎えてしまう。ヴァンダと彼女の新しい恋人に決別の印となる屈辱的な痛みを与えられた〈僕〉は、それを契機に女性を支配する側へと転向する。その変節は捨てられた男の見苦しい振る舞いと受けとれるが、ヴァンダ以外の人間には忠誠を誓わないことを示しているのだとも解釈できる。もしかしたら失恋した〈僕〉は、終わりがあるのかもわからない放置プレイを続けているのかもしれず、できればそうであってほしいと思ってしまう。
こうして読んでいる側もいつしかマゾヒズム思考に陥り、そして気づく。物語の余白を想像することは、本を手にとり読み終えるまでのフィジカルな関係で終わりとしない、作品と読者を永遠に結びつける肉欲を超えた愛の形なのではないかと。本を買うことが作品との何らかの契約行為にも見えてきて、何だか興奮してくる。