日本で神の像が作られなかったというのは本当か 目には見えない神秘が仏像の美を生み出した

古墳には多数の埴輪が並べられたが、そこに大王の姿はない

 次の弥生時代には、なぜか人物像が姿を消す。木の人形のようなものは作られたが、腐って残らなかったのかも知れない。

 人形(ひとがた)が大量に発掘されたのは、次の古墳時代の埴輪(はにわ)である。とりわけ、ヤマトが国家の統一を進めた4世紀から7世紀頃の大型古墳から武人や巫女の埴輪が数多く出土している。それらは古墳の上や周囲に並べられていた。埋葬された各地の[王]の守り人である。

 ところが、古墳に[王]の像はない。王ではないかと見られる埴輪がなくはないが、古墳の主にふさわしい王者の像はない。それどころか、埋葬された人物の名を示すものも全く存在しない。そのため、墳丘長約500m、世界最大級の墳墓である仁徳(にんとく)天皇陵古墳(大阪府堺市)でも、ほんとうは誰の墳墓なのかわからず、地名から大仙(だいせん)古墳などと呼ばれている。

仁徳天皇陵古墳 大阪府堺市 墳丘長約500mの前方後円墳。日本最大の古墳である。写真/フォトライブラリー https://www.photolibrary.jp/

 

 『古事記』『日本書紀』には、天皇の陵の所在地が必ず記されている。仁徳天皇の陵も、『古事記』では「御陵(みはか)は毛受(もず)の耳原(みみはら)に在り」、『日本書紀』では「百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬りまつる」と所在地が書かれているのだが、陵そのものには被葬者の名を示すものはないので、仁徳天皇陵だとは確定できないのである。

 宮内庁は明治政府が仁徳天皇陵と定めたことを引き継いで発掘調査を許さないからだとも言われるが、豪族の古墳でも被葬者の名を示すものはないので、発掘調査をしても、それがわかる見込みはうすい。被葬者の名は隠されている。

 ところで、古墳は自然の小山か森のように見えるが、建造当初は全体が葺石(ふきいし)で覆われていた。それを再現した古墳(神戸市の五色塚古墳、千曲市の森将軍塚古墳など)を見れば、現代のコンクリートのビルのように、きわめて人工的な建造物である。周囲の緑の中で燦然と白く輝いたであろう巨大モニュメントであった。

五色塚古墳 兵庫県神戸市 全長約200mの前方後円墳。建造当時の葺石が再現されている。頂部に立てられているのは墳墓を荘厳する円筒埴輪。写真/フォトライブラリー https://www.photolibrary.jp/

 仁徳天皇陵古墳も葺石で覆われていた。森浩一著『天皇陵古墳への招待』(筑摩選書2011)によれば、墳丘の斜面を覆う葺石は約2万6033立法mと推算され、「墳丘の土を盛るのに要した労働力に匹敵するほどの労働力が、葺石の採取や運搬に必要だったのであろう」という。

 この古墳について森浩一は同書に次のように書いている。

「太平洋戦争に敗れて三年めの昭和二十三年、雑誌『科学朝日』(七月号)に大山陵(だいせんりょう)、つまり仁徳天皇陵古墳の航空写真が掲載された。これによって日本最大の前方後円墳の全容が国民に初めて公開された」

 この古墳は平坦な丘陵地にあって、周囲にそれより高い場所はないので、地上から全体を見ることはできない。他の巨大古墳も、たいてい、周囲の地上からは全体が見えない。それなのに直線の方形部分と円墳部分をきちんと組み合わせた巨大な前方後円墳をどのような方法で造ることができたのか。飛行機からしか見えない南米ナスカの地上絵みたいに不思議だ。自分たちには見えないものを、どういう思いで造ったのだろう?

 古代の巨大建造物は、かつては人民を奴隷のように鞭打って造ったと考えられていた。しかし、エジプトでピラミッド周辺の住居跡などの発掘調査が進むと、労働者の待遇がかなり良好だったことがわかり、奴隷のような見方は完全に変わり、人民自身が大きな熱意にもって造営にあたったと考えられるようになった。

 仁徳天皇陵古墳もそうであろう。それは[大王]を戴くヤマト国家の威信をかけた建造物であり、その建造事業を通してヤマト国家の諸豪族や人民を結束させただろう。権力者が人民を鞭打つだけでは、とうてい成し得ない巨大事業である。

 では、なぜ、肝心の被葬者の名は隠されたのか。『古事記』『日本書紀』をみると、歴代天皇の行跡は必ずしも褒められたものではない。むやみに人を殺す残酷な天皇もいた。国家の威信をかけて編まれた史書のわりには、天皇の姿は生々しく人間的でもある。

 そして天皇が死ぬと、遺体は御陵に封じたうえで名も残さず、目には全体を見ることができない巨大モニュメントを築いた。

 古墳は前述したように、全面を葺石で覆った人工的な建造物であった。古代には風雨や日照りなどの自然に人間が打ち勝つことできす、その宗教は自然崇拝であったと言われるが、多くは原野や原生林が覆っていたであろう古代の地上に、墳墓はきわめて人工的な姿を現した。むしろ自然を超克する人間の力を表したものと考えられる。

 このような墳墓の主に、『古事記』『日本書紀』に語られている生身(なまみ)の人間くさい大王がふさわしいとは思われない。もっと大きなパワーをもつものが目には見えない天空にあるものとして造形されたのではないだろうか。

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