「ここではない別の世界」を夢想しつづけるためにーーブレイディみかこ初小説『両手にトカレフ』書評

『両手にトカレフ』書評

 明確なジャンル名はまだ与えられていないけれど、理不尽な世界に抗い、ボロボロになりながらも生き抜こうとする女性の物語がある。たとえばコートニー・サマーズ 『ローンガール・ハードボイルド』(高山真由美訳)、北原真理『リズム・マム・キル』、中山可穂『ゼロ・アワー』、蛭田亜紗子『共謀小説家』、マイケル・フィーゲル『ブラックバード』(高橋恭美子訳)などだ。このジャンルに、ブレイディみかこの新刊『両手にトカレフ』(ポプラ社)も連なるように思う。

 ベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者初の長編小説である今作は、次の一文から始まる。

「ミアはお腹がすいていた」。

 主人公は、イギリスの公営団地に母と弟と住んでいる少女ミア。寒い冬の朝、つんつるてんに短くなったスカートを履き、空腹と戦う彼女の姿が冒頭で描かれる。本書のテーマのひとつは、「子どもの貧困」だ。さらに続く場面では、ミアと弟のチャーリーが服だけでなく日々の食事にも困窮していることが明かされる。

 原因は、彼女たちの母親にあった。

 生活保護のお金をお酒に使い、酷くなればドラッグにも手を出す母。男次第で元気になったり、壊れたりする母。「自分のことは自分で守って!私にはあなたのことまで守り切れない」と娘に言わせる彼女は、ミアにとってもはや〈母〉ではない。しかし「こんな母親、私は選ばなかった」とミアがいくら思っても、彼女は弟と二人だけで暮らすことはできない。なぜならミアは14歳。役割の実態が逆転していたとしても、「親の庇護がなければ生きられない」年齢なのである。

 貧困者支援をしているカフェのスタッフ・ゾーイをはじめ、ミアたちに手を差し伸べる大人もいる。だが、彼女はもう誰も信じられないところまで追い詰められていた。作中、ミアは何度も「大丈夫」という言葉を口にする。弟を安心させるために、ソーシャルワーカーやゾーイに不審に思われないために、自分自身に言い聞かせるためにミアは言う。「大丈夫」。大人に裏切られ続けた彼女の武装解除は、並大抵のことでは叶わない。

 そんな日々の中、ミアは偶然ある本を手に入れる。大正時代の日本のアナキストで、23歳で獄中死した金子文子の自伝だ。父に認知されず、男を優先した母に捨てられ、親族を頼って渡った朝鮮でも悲惨な目に遭うフミコの幼少期に、ミアは自分の境遇を重ね合わせる。100年前の人物であるフミコと、その自伝を夢中になって読む現在を生きるミア。二人の少女の物語が交互に登場しながら、本作は進んでいく。

 もう一つ、偶然の出会いがミアに訪れる。彼女が書いた詩に惹かれた同級生のウィルが、「一緒にラップを作らない?」と声をかけてきたのだ。ミアは「無理」と断るが、ウィルは諦めない。すべては理解できないかもしれないけれど、それでもあなたの言葉を聞いてみたい。自分の声を求める存在と初めて出会ったミアは、徐々にではあるが、リリックを書いて渡す程度にウィルに対して武装をゆるめるようになる。ミアのリリックに――彼女の心の底から吐き出される本音に、ウィルだけが真摯に耳を傾けたからだ。ソーシャルワーカーのような大人ではなく、ミドルクラスに所属するウィルが無意識にそれを成し得たのは、皮肉のようにも当然のことのようにも感じられる。

 物語全体のキーワードとなるのは、「ここではない別の世界」である。フミコは自伝の中で、自分が生きることが肯定される別の世界が「ある」と考えている。いつか、今いる場所ではない別の世界に行く。その場所を夢想することで、フミコは辛い現実に耐えようとした。同じくミアも、本や言葉がここではない「違う世界」に連れて行ってくれると信じている。彼女たちが生きるために、「どこかにある」と夢想する世界。それは、大人が夢物語だと一蹴していいものではない。

 「こんな世界くそったれ!」と叫びたくなるような境遇の中で、どうしたら少しでもマシな生き方ができるのか。自分の尊厳や大切な人を守るために、理不尽な現実に抗うフミコやミアの言葉に、その答えがあるように思う。どうしようもない現実を生きているからこそ、親ガチャに恵まれなかったから仕方がないと自嘲するのではなく、私たちは理想の世界を求め続けなければならない。

「もうちょっと 泣くとか怒るとかあるだろ」

声を上げろというミアのリリックが、合言葉のように響く。

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