諸葛孔明の伝説、実は盛られすぎ? 『パリピ孔明』ヒットで考える天才軍師の虚像と真実

 漫画でもアニメ版でも『パリピ孔明』が大ヒットしている。1800年近くも昔の人物ながら、現代でも“数字”を持つ男、それが三国志のスーパースターであり、天才軍師とされる諸葛孔明である。 正しく姓と名で名乗ると、諸葛が姓で名は亮。孔明というのは、字(あざな)という別名だけど、そっちの方が知られている。孔明はどれだけスゴイのか、知らない人もいるだろうから、ちょっと伝説を列挙してみよう。

最強軍を倒しまくり風まで吹かせる孔明

 まず、後に蜀の国の皇帝となる劉備玄徳が孔明の庵を3度も訪れるところから、そのストーリーははじまる。え、「なんで、劉備は3度も行ったのか」って?

 そりゃあ、孔明は「臥竜(伏せる竜)」とも評された天才だったから。劉備はどうしても彼のような逸材を配下にしたかったからだ。

 この逸話のことを「三顧の礼」という。エライ人が礼儀を尽くして人材を招く意味の故事成語になっているから、知っている人も多いだろう。

 こうしてデビューした孔明は、劉備と敵対する当時最強だった曹操軍の動きをビシバシと予言して蹴散らす。次に曹操自身が大軍を率いて南下させると、これと敵対するか降伏するかに揺れる、三国時代のもう一方の英雄、孫権の元に孔明は乗り込み、弁舌さわやかに曹操との交戦を決めさせる。

 さらに、イケメンで知られる孫権軍の都督・周瑜を知恵比べでボッコボコにする。降参した周瑜は「曹操軍を火攻めにしたいのだけど、風向きが悪いんだ」と孔明に言うと、彼は七星壇という祈祷所をつくる。孔明は祈った。

「東南の風よ、吹け!」

 すると、風向きが変わる。風は長江北岸に布陣する曹操軍にまっしぐらだ。周瑜らは火をつけた船を突っ込ませ、これを火だるまにした。

 世に名高い「赤壁の戦い」だ。え、「風向きを変えるなんて、んなアホな!」って? いや、孔明伝説はこれでは終わらない。

 赤壁の戦いに負けて曹操が北に帰ると、周辺地域を関羽、張飛たち将軍に次々に奪取させる。西にある蜀を劉備は攻めに行くけど、ピンチに陥る。孔明は颯爽と軍を率いてこれを助け、蜀を平定させる。曹操と国境線の漢中を奪い合うと、定軍山で撃破する。

 だが、劉備が孫権が統治する呉ともめて戦になり、負けてしまう。しかし、そこは孔明。呉の追撃隊を「石兵八陣」(32小隊からなる方陣を正方形に八陣配した陣形)という必殺の罠におびき寄せる。陣に入ってしまった呉の陸遜は、突然の暴風と砂塵に驚く、逃げようにも、幻術にかかったように出口が見つからない!

 え、「さすがにつくり話だろ」って?

 ええっと、まあ、実はそうだ。ここにあげたエピソードは、ほぼ『三国志演義』という、中国が明の時代だったころに成立した物語なのだ。

 この物語は、孔明たちが世を去って以降、民衆に物語を語って伝える講談(琵琶法師が伝えた『平家物語』みたいなもの)や、伝承、歴史書などをひっくるめて羅漢中という人がまとめたとされるもの。成立の過程で、人気の孔明の話は多少盛ってでも講談師は伝えたいので、盛りに盛られて、こうなってしまった。

 ただし、盛りすぎではない。物語として『三国志演義』のライバルだった『水滸伝』では、空を飛ぶ人物も明確な超能力者も出演している。リアルに近いのは、『三国志演義』の方だ。

本物の孔明に逢えるのが『正史三国志』

 すると、本物の孔明が知りたくなる人も多いだろう。そんなときこそ、本物の歴史書を手にしてみるのもいい。本邦には、陳寿という孔明の少し後の人が記した史書『三国志』の邦訳版『正史三国志』(ちくま学芸文庫刊・全8巻)がある。歴史書なんて、難しくてイヤだ、と感じる人もいるかもしれない。でも、この翻訳はとても読みやすい。そして、ここでなら、生の孔明に逢える。

 じゃあ、実際に読んでみよう。孔明の話が読みたければ、まずは5巻だ。全8巻もあるけど、実は1~4が曹操の魏の歴史を記した『魏志』。みんなが知ってる、邪馬台国が書いてある「魏志倭人伝」は4巻に掲載されている。そして、6~8巻が孫権の呉を記した『呉史』になる。劉備が仕えた劉備の『蜀史』はこの5巻のみなのだ。

 理由はかんたんだ。蜀は三国の中で最弱だった。真っ先に滅んだので、残っている事績も少ない。だから、そうなる。

 そんな弱小国を支えたのが孔明という人物。そして、孔明の「諸葛亮伝」は、蜀の皇帝、劉備とその一族を描いた、いわば皇族の次に位置している。もう、孔明のポジションがそれだけでわかるだろう。特別なのだ。

 読み進めると、どうやら「三顧の礼」の故事は本当だったとわかる。当時、何者でもなかった27歳の若者を50過ぎた有名なオッサンが勧誘したのだ。どうだったんだろうと思ってしまう。予言者のように曹操軍をやっつけることはないけど、呉の孫権の説得には出向いている。若くて経験不足のはずなのに、ちゃんと孫権を説得している。

 赤壁の戦いでは出番がない。風向きを変える不思議な術を使ったりもしない。史実を知りたければ、やっぱり、ここは呉の「周瑜伝」を読んだ方がいい。

 でも、劉備のピンチにリーダー格で蜀に行っている。劉備が蜀を平定すると、ほぼナンバー2の地位になっている。劉備が呉と戦って負けると、「石兵八陣」は繰り出さないけど、死にかけている劉備に呼ばれて、遺言として、すべてを託されている。なんか、劉備と孔明って、マジでわかり合っていたみたい。そして、劉備に託され、実質的国家指導者になってからが孔明の真骨頂になる。

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