藤子不二雄(A)が描いた、魅力的な悪人たちと“弱者の視点” 漫画史に刻まれた功績を振り返る
魅力的な悪人たちと弱者の視点
また、ブラック・ユーモアや怪奇物(ホラー)を得意とした藤子(A)の漫画で注目すべきは、やはり、“悪いやつら”の存在だろう。『魔太郎がくる!!』から『笑ゥせぇるすまん』にいたるまで、(A)の作品で描かれている悪人たちのなんと魅力的なことか(後者で描かれるのは、たいてい「普通の人が増長していくさま」であり、それを「悪人」というのは少々かわいそうな気もするが……)。
むろん、彼らの多くは、魔太郎なり喪黒福造(=『笑ゥせぇるすまん』の主人公)なりによって、最後には復讐されたり、“代償”を払わされたりして破滅していくわけだが、その様子を読んだ(見た)読者がカタルシスを得られるのは、ひとえに、そこにいたるまでの彼らの“悪行”(や“増長”ぶり)が嫌らしく(「嫌らしい」というのは、悪役にとっては褒め言葉である)、リアルに描かれているからに他ならない(個人的には、『まんが道』に出てくる日上の“嫌味な感じ”も推したい)。
なお、石ノ森章太郎との対談で、藤子(A)はこんなことをいっている。
『魔太郎』が受けたというのは……。ぼく自身が、どっちかというとイジメられっ子で、チビだったから運動能力もまったくないし、頭も秀才というほどでもないからいじけてたところがあったんですよ。
〈中略〉
(引用者注・隣町の上級生たちに)持っていた本を取られたりして、ますますいじけてね。コンプレックスの塊だった。一般的に見ても、子供の世界ではイジメられる方が圧倒的に多いわけですね。そういうイジメられっ子側の、弱者の視点で描いたら面白いだろうと思って描いたのが、あれだったわけです。
(石ノ森章太郎『漫画超進化論』河出文庫より)
そう――こうした実体験に基づく「弱者の視点」があったからこそ、彼が描いた漫画の数々は、単なる過激なブラック・ユーモアとしてではなく、多くの読者の“共感”を得られる“名作”として、「受けた」のではないだろうか。そしてそれらは、これから先も永く読み継がれていくことだろう。
藤子不二雄(A)先生のご冥福を、心からお祈りいたします。
※「藤子不二雄(A)」の「A」は、正しくは○の中にA。