福嶋亮大に聞く、中華圏における現代思想の大変動 「2010年代半ばはアジア政治史の重大なターニングポイント」
本土主義の二面性
――中国の天下主義に対して、香港や台湾では自らのアイデンティティを訴える本土主義が台頭しています。
福嶋:本土主義は英語では「ローカリズム」。日本人向けに言えば、三島由紀夫の『文化防衛論』みたいな主張です。天下主義が国家を超えた普遍的なシステムを志向するのに対して、本土主義は香港を民族固有の「ホームランド」とするために文化や歴史を再創造しようとする。それが、中国化に対するレジスタンスというか、文化防衛の拠点となるわけです。
もともと、香港はナショナリズムとは縁遠い場所でした。移民や難民が多かったため「香港民族」の意識がないし、歴史をアーカイヴ化し共有しようとする動機も薄かった。要は、ネーション・ビルディングの過程なしに、植民地都市のまま近代化したということです。でも、その香港の若者が今や本土主義の旗印のもとで、草の根レベルでナショナリズムを活気づけたのだから、これは異例なことでしょう。もちろん、若者の全員が本土主義になびいたわけではなく、当然グラデーションはありますが、「本土」という合言葉が民主化のオピニオンの中枢にあったことは確かだと思います。
本土主義者はたんに中国共産党の政治的抑圧に反発しているだけではない。中国大陸からの新移民や観光客が増えたことで、香港固有のアイデンティティが毀損されかねないという危機感も、彼らには強くあります。あとは、反エリート主義的な要素ですね。デモの際の「Be water」という掛け声からも分かりますが、特定の中心がないまま、抵抗のネットワークがまさに「水」のように組織化されていく。
ただ、彼らが三島由紀夫みたいに「純血」のナショナリズムをめざしているかというと、そうでもないんですね。そもそも、香港や台湾は他国(ヨーロッパや日本)に蹂躙されたコンタクト・ゾーンとしての歴史を刻んできた。これはふつうに考えれば、屈辱的かつ暴力的な体験です。でも、その苦難を逆手にとって、香港や台湾では「世界史との暴力的なコンタクトゆえに、自分たちはユニヴァーサルな存在になり得た」という議論が成り立つわけです。香港も台湾も純血種というよりは「雑種」だけれども、だからこそたんなるローカルな小島ではなく、むしろ世界史の動きを刻印されたアイデンティティをもてるんだ、と。「負けるが勝ち」という二枚腰の戦略と言ってもいい。その意味で、本土主義にはポストコロニアルなナショナリズムという要素があると思います。
――中国の支配に対する武装としてナショナリズムが必要となっている、と。そうした理解のもとに雨傘運動などを見つめ直すと、とても複雑な状況にあると感じます。
福嶋:香港の本土主義には二面性があります。一面から見ると、中国の覇権に抗して、民衆が自治を手に入れようとするリベラルな運動に見えますが、他面からすると三島由紀夫ふうの右翼的文化防衛論にも見える。つまり、左翼なのか右翼なのかが一義的に決めにくい、捻れた性格がある。でも、日本ではリベラルも保守も、たいてい香港の運動から自分の見たい一面を読み取っている気がしますね。
何にせよ、香港も台湾も対外的には国家として存在していないので、「世界にとって香港/台湾とは何か」というアプローチで、自分たちのアイデンティティを立証する必要がある。世界史とアクセスしながら自己証明を粘り強く続けていかないと、中国化の圧力に負けて、存在の基盤そのものが消えてしまうという危機感がある。つまり、ここでもやはりタテマエというか理念が鍵なんです。ホンネ主義に自足していると、あっという間に存在しないことになってしまう。
ーー台湾でオードリー・タンのような存在が出てきたのも、本書を読むとよく理解できると感じました。
福嶋:パンデミックを経て、台湾はITを大胆に活用した超透明社会をめざしているところがある。市民の行動履歴がデータのレベルで透明化され、感染対策に用いられる。その代わりに行政の意思決定プロセスもラディカルに透明化して、市民にさらしてしまう。善悪は別にして、社会実験としては面白いと思います。オードリー・タンは思想的にはアナーキストで、究極的には政府なんか要らないと思っている。でも、そういう異端の技術者が政府と組んで行政的なプランを決めているのが面白いわけです。逆に、政府に順応しておこぼれにあずかろうとするタイプがDXとかなんとか言っても、えてしてみみっちい権益争いにしかなりませんからね。
――香港や台湾の現在の状況は、歴史の歯車が少し違えば日本でもあり得たのかもしれませんね。
福嶋:そうですね。おおざっぱに言って、アジアへのヨーロッパの進出を考えるとき、だいたい二つの波が想定できるわけです。第一波の中心は16~17世紀のポルトガルやオランダやスペイン。この第一波で日本には鉄砲やキリスト教が伝来し、台湾はオランダの植民地になった。第二波の中心は19世紀のイギリスやアメリカ。イギリスがアヘン戦争を経て香港を植民地化するわけですが、それは日本にペリーの黒船がやってきた時期とさほど遠くありません。
日本はたまたま二つの波を経ても独立を守れたけれども、欧米の圧力がもっと強ければ植民地化された可能性は大いにあります。裏返せば、植民地化された台湾や香港は「他でもあり得た日本」だとも言えるでしょうね。東アジアにはこういうパラレルワールドが重なっている。僕にとっては、そこがこの地域の歴史の面白いところです。
――『ハロー、ユーラシア』では、天下主義と本土主義を並列化しています。こうした切り口で論じることができるのは、後衛の日本で書くことの利点であると述べていました。
福嶋:自分で言うのもおかしいですが、この二つのイデオロギーを俯瞰的に並べたのは、世界的に見ても『ハロー、ユーラシア』くらいだと思います。日本はすでに東アジアの政治ゲームに組み込まれているとはいえ、まだ相対的に距離を取ることはできますからね。明らかにもう前衛ではないとしても、後衛の立場から記録すべきことは依然としてあるんです。
それにしても、僕がここまでイデオロギー現象に集中して本を書いたのは『ハロー、ユーラシア』が初めてです。ポストモダンがより深化して大文字のイデオロギーは衰退していくだろうと、これまでの僕は漠然と想像していたから。でも、考えが変わりました。好むと好まざるとにかかわらず、イデオロギーは今後も人類の危険な伴走者であり続けるでしょう。だとしたら、それをどうハンドリングするかを考えないといけない。
そういう意味でも、中国の天下主義にせよ、香港や台湾のポストコロニアルな史観にせよ、とにかく世界や世界史とのコンタクトの痕跡を織り込んで、自分たちの歴史や理念を語ろうとしているのは、とても示唆的です。日本の「現代思想」のイメージはいつまでもヨーロッパに偏重しているけれども、それではやはり分からないことが多すぎるでしょう。ホンネ主義を超えて、世界史にアクセスし得る物語をどう作るか。この問いのヒントはむしろ東アジアの思想にあるのだから。僕自身、この問題を今後いろいろな切り口で探究していくつもりです。
■書籍情報
『ハロー、ユーラシア 21世紀「中華」圏の政治思想』
著:福嶋亮大
発売:2021年9月15日
定価:2,200円
出版社:講談社