福嶋亮大に聞く、中華圏における現代思想の大変動 「2010年代半ばはアジア政治史の重大なターニングポイント」
タテマエとしての天下主義
――中国の天下主義を理解する上で特に重要な思想家として、閻学通や趙汀陽などが挙げられています。この二人について改めて教えてください。
福嶋:閻学通は清華大学の地政学者で、アメリカの覇道に対して、中国は仁義をもとにした王道思想によってリーダーシップを発揮すべきだと主張している。まぁ典型的なイデオローグでしょうね。これもやはり大東亜共栄圏の思想とよく似ている。どちらも表面的にはアジアで仁政を実現しようと言いつつ、抑圧的な面には都合よく目をつぶっているわけです。
ただ、そのようなタテマエは馬鹿にできません。自分たちのやり方は「普遍的な価値」に基づくと言い張ることが、政治のゲームを制するためには必要なんです。こういう価値観のゲームへのアクセスは、今の日本人が苦手な部分だと思います。というのも、むかし柄谷行人氏が言っていたように、日本人は意外とホンネ主義だから。でも、今の国際社会はSDGsをはじめタテマエで動いていて、それが新しい環境ゲームを設定し、そこからグリーン経済が立ち上がってきたりするわけです。ヨーロッパや中国は、タテマエの重要性というか、二枚舌をうまく使いこなすことの価値を理解している。そこが日本との大きな差でしょうね。
――趙汀陽の『天下体系』(2005年)は、まさに天下主義と直結する重要な1冊で、本書においても特に頁を割いて説明されています。
福嶋:1961年生まれの趙汀陽は、この本の主人公の一人ですね。彼の仮想敵は、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの『帝国』(2000年)です。趙に言わせるとネグリ&ハートの「帝国モデル」は、西洋の略奪的な資本主義の反映にすぎないので、それでは世界は平和にならない。逆に、中国の「天下モデル」はあらかじめ関係主義的なヴィジョンを搭載しているため、国家同士のより互恵的な関係を築けるというわけです。明らかにご都合主義なんですが、今の中国にはフィットする思想なのでしょう。
ポイントは「超ナショナリズム的な普遍性」をどう概念化するかということ。というのも、世界資本主義のなかで覇権を握ろうとするとき、一国だけの独善的なナショナリズムではもう立ちいかないからです。特に、シルクロードの再創造という超国家的なプロジェクトをやるときに、エゴ丸出しのナショナリズムではうまくいかない。かといって、共産主義というユートピア思想はもうすりきれてしまって、使い物にならない。だから、その代理として、天下主義というユートピア思想が出てきた。
そう考えると、趙汀陽はまさしく「ポスト共産主義の思想家」と言えるでしょうね。その点は、同世代のロシアのネオユーラシア主義者アレクサンドル・ドゥーギンとも共通します。たとえ共産主義革命の夢が潰えたとしても、中国もロシアもふつうの国民国家には戻れないし、戻りたくもない。そのとき「天下」とか「ユーラシア」とかいう普遍性を僭称するパスワードが要求される。
――あらゆる人民の利益を最大化していくのが帝国の役割だとする思想は功利主義的で、まさに現在の中国が志向している社会ですね。
福嶋:おっしゃるように、中国は功利的な資本主義で発展している。でも、だからこそ美しい物語の衣装を必要としているわけですね。習近平は2013年頃から、中国を立派な国家に見せるためのストーリー構築に力を入れていて、趙汀陽の哲学もそのプロパガンダ戦略と符合するところがある。国家ぐるみのプロパガンダのためにも、タテマエは重要なわけです。趙汀陽以外にも、孔子の儒教と毛沢東の革命と鄧小平の資本主義という「三つの伝統」をミックスして、反西欧的・反近代的な価値観に仕立てあげようとする思想家までいる(笑)。繰り返しますが、こういうあれこれが、戦時下の日本の「近代の超克」論を彷彿とさせるわけです。