矢樹純、身近な恐怖を描いた新作『マザー・マーダー』を語る 「自分の身に起こったら、どんなに怖いだろう」

矢樹純、新作『マザー・マーダー』を語る

 「母親」という言葉を聞いて連想するのはなんだろう。愛情、優しさ、慈悲深さ、温かみ……。私たちは当然のように、母親を愛の象徴のようにイメージしがちではないだろうか。

 ところが、矢樹純の新刊小説『マザー・マーダー』(光文社)は違う。タイトルの意味は、「母親」と「殺人」。帯には「母親なんて信じるな。」と書いてあるのだ。

 イヤミス(※読後、イヤな気持ちになるミステリー)で定評のある矢樹純は、これまでにも『妻は忘れない』(新潮文庫)と『夫の骨』(祥伝社文庫)で、日常に潜む落とし穴と後味の悪い結末を描いてきた。自身も3人の子どもをもつ母親である矢樹が、次のテーマに選んだのは、「母親」と「ご近所トラブル」だ。

 生活の延長線上にあるミステリーとは……?  執筆の経緯から創作に対するスタンスまで、本人に直接聞いてみた。(中川真知子)

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人間ドラマの中でミステリーを書こうと思った

ーー私もご近所トラブルに悩まされたことがありますが、『マザー・マーダー』を読んで、危険と隣り合わせだったのかと背筋が凍る思いでした。誰にでも起こりうる出来事から、どうやってミステリーに展開させようと思ったのでしょうか。

矢樹:この本に書いているほどのご近所トラブルでなくても、「近所ですごいことが起きているよ」と聞くと、自分の身に降りかかってきたらどうしようと考えてしまうんですよね。自分に起こったら、どんなに怖いだろう、と。それから、こんなことをされたら嫌だろう、あんなことになったら怖いだろうと想像を膨らませるんです。登場人物を追い詰めるので、読んでいて苦しくなるとおっしゃる読者さんもいます。狙っている部分なんですけどね。

ーー苦しく感じられるのは、登場人物が抱えている悩みなど共感できるものが多いからかもしれません。

矢樹:ご近所トラブルだけでなく、収入が減っていくことへの不安や焦り、生活リズムを考えると仕事が制限されてしまうことなどは、自分が実際に感じたり経験したりしたことでもあります。だからリアルだし、自分ごとのように感じてもらえるのかもしれません。

ーーこの本を読んで、自分はご近所さんのことをほとんど知らないことに気づきました。考えてみたら、人の家って怖いですよね。その家の中で何が起こっているのかなんて、ほぼ100%知らない。

矢樹:本当はそんなに怖がらなくてもいいのですが。でも、梶原家(本作に登場する引きこもりのいる家庭)のように門扉が壊れたまま10年近く放置されているような家は現実にもあるんですよね。人は住んでいるのに修繕がされていない。私なら壊れた箇所を放置しないので、放置する理由や住人のことを想像します。実際のところ、十中八九が普通の人で、ただなんとなく放置しているだけだと思うんですけど、もしかしたら……って。

ーートラブルの内容だけでなく、舞台が現実に存在する横浜なので、情景が浮かびやすいですね。

矢樹:そうですね。以前書いた長編では閉ざされた空間を舞台にしたこともありました。しかし、短編だとページの都合で舞台にこだわることが難しくなってしまいます。そこで、人間ドラマの中でミステリーを書こうと思って。舞台が近かったり題材が身近だったりしたのは、そういう理由もあるんです。

ーーところで、『マザー・マーダー』は母親に関する物語ですが、矢樹さんにとっての母親とは。

矢樹:私の母親は看護師です。働きながら母親としての役割をこなした、とてもしっかりした人です。私自身は3人の子どもの母親ですが、母性が弱いというか、うまく母親になれないタイプだと思っています。この作品の中なら、第二話「忘れられた果実」の、娘から相談される母親が自分に近いと思います。娘との距離感などが、なんだか自分の未来を見ているようです。

 自分の母親がちゃんとした人だったので、劣等感を抱いています。とはいえ、しっかりやろうとすると違和感を覚えてしまって。

ーーその劣等感は、この作品の中になんらかの形で表現されているのでしょうか。

矢樹:表現したというか、(梶原)美里というキャラクターのように、真っ直ぐに息子を愛せる人はすごいと思っています。

ーー美里とはご近所トラブルを起こす母親ですね。

矢樹:問題を起こすのは誉められたことではありませんが、子どものことだけを考えて、行動するのは並大抵のことではありません。実は、書きながら心の中で彼女を応援していました。

ーー私にも子どもがいるので、美里の母親としてのスタンスには憧れる部分があります。本作はこの「梶原美里親子」が絡んだ5つの短編をまとめた長編ですが、この構成にしようと思ったのはなぜでしょう。

矢樹:企画のお話をいただく直前に、道尾秀介さんの『いけない』(文藝春秋)という、それぞれが独立した短編なのに、最後まで読むと違った形が現れる小説を読みました。自分もこういう話を書いてみたい、目指したいと思いました。それで、実際に書けるかどうかも分からなかったのですが、担当さんに「『いけない』みたいな小説を書いてみたいです」と言ったんです。

 これまでの作品は、完全に独立した短編か長編かのどちらかだったので、『マザー・マーダー』を書く上では、担当さんにたくさん相談しました。

ーー独立した短編が5本も入っていると、書くのが大変だった話や、楽だった話があるのでしょうか。

矢樹:大変だったのは、第4話の「シーザーと殺意」です。自分が普段書かないタイプの話というのもあり、後から伏線を加えることもありました。謎解きのシーンは難しいんですよね。

 反対に楽だったのは、第3話の「崖っぷちの涙」です。1番怖い話なのですが、書いていて楽しかった。実は、この話は担当さんから一発OKをもらったんですよ。いつもなら、1回修正が入ってからゲラになるのですが、これは修正作業が発生しなかったのです。それだけノって書けていたのだと思います。

ーー第3話の「崖っぷちの涙」は本当に怖かったですね。あれをノリノリで書いていたとは驚きです。ストーリー展開にしても、読者の想像の上をいっていたと思います。先も読めないし、推理しようとしても、ことごとく外れて悔しい思いもしました。でも、騙されるのが快感というか。

矢樹:そうですよね。私はミステリーを書いていますが、子どもの頃から筋金入りのミステリーファンでもあります。先輩作家さんたちの作品に散々だまされてきたので、自分も読者の想像の斜め上を狙わないといけない、想像された通りではつまらないだろうと考えているんです。

 種明かしをしてしまうと、サスペンスの部分でハラハラさせて、読者の気をそちらに集中させておいて、足元を掬うんです。ミステリーの部分だけに注目して、騙されない強い姿勢で読み進めれば、真相に到達できるのかもしれませんが、それでは面白味に欠けてしまうので。

 ジャンルをミックスさせているので、読者からは「騙された」とか「怖かった」といった感想が送られてきます。どちらもとても嬉しいです。

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